一章 八話 洞窟にて 前編
★
結局おばさんの会話をレイラのお仕事を手伝うという旨を伝えることで打ち切った二人は、以前までのレイラの家族が住んでいた家屋へと移動する。
今でこそ寝食は村長の家だが、薬師として使う各種素材や道具があるので仕事はここで行っている。
動植物の乾燥物を粉にしたものを詰めた革袋がいくつかあり、それらを調合するための匙や塗り薬をいれている壺等も見受けられた。
「わぁ……すごいね」
「お母さんはもっと凄かったよ」
えっへんと自慢げに胸をそらすレイラに、うんうんと頷きながら笑みを返すメリアドール。
ふと視界に入った年季の入った羊毛紙が目に入る。
古めかしい羊毛紙にはびっしりと調合薬のレシピといった様々なことが事細かに書かれており、筆記した人の性格がうっすらと連想することができた。
それはお母さんのメモだよと告げながら、その内の一つを懐かしそうに手を取る。
「一つ一つがお母さんの宿題だったんだよ。これを見ながら目的のお薬を作るの」
「材料は自分で?」
「うん。生育している場所から保存法も全部バッチリ」
「へぇ。僕が手伝えることがあったら言ってね。これでも精霊使いだからね」
「はい、その時はお願いします」
話を聞きながらも、メリアドールはさりげなく目に入った薬やその材料が何であるかを記憶から探っていく。
怪我も自力で治癒する上に並大抵の毒すら受け付けない強靭な肉体を有する夜の民にはほとんど無縁の薬であるが、知識としてその薬効が何であるか等がある程度は知っていたようだ。
自分が使うよりは、仲良くしようとした人の為に。
レイラは年の近い子がいないのに加えて、薬師の話を熱心に聞いてくれるメリアドールに感謝をしていた。
年下の子供達には難しすぎる内容も、彼女はよく聞いてくれる上にこちらの話を促してくれるように聞いてくる。
ずっと一緒にいててもいい、そう考えてしまうほど既にメリアドールという存在を認めている自分に驚くレイラだった。
あのお花の香りのする白い髪の毛をずっと触っていたいなぁと妄想しながらメリアドールを見てたレイラが、つい運んでいた塗り薬の入った大きめの壺を持ったままバランスを崩して仰向けに倒れそうになった。
転倒時に感じるだろう痛みに覚悟して、ぎゅっと目を瞑る。だが一向に痛みがやってこない。
代わりに背中に感じる他人の感触とこちらの顔を覗き見る緋色の双眸とで、自分が支えられていることに気づいた。
「きゃっ……あれ?」
「怪我、ない? うん、気をつけてね」
「あ、はい……」
お礼の言葉が喉元でつっかえるほど、レイラは心臓を高鳴らせていた。
そのまま心臓が飛び出しちゃいそうなほどで、顔はすごく赤くなっているに違いないとレイラは悟る。
彼女は眼前の白髪の乙女に対して着替えの時から見るたびに胸の高鳴りを感じていたが、それがなんなのか……。
ふわりと漂う花と思しき香りが、レイラの思考をクラクラさせていく。
「顔真っ赤だよ?……ってさっきの僕とのやり取りみたいだね」
「ひゃいっ、そ、そうですね! あ、あははは」
「本当に大丈夫?」
いいつつもレイラが抱えたままだった壺をそっと受け取っては置いていくメリアドール。
視線が外れた間に胸に手を当ててゆっくりと深呼吸して鼓動を穏やかにさせていくレイラは、そろそろしなければいけない用事を思い出した。
「あ、そろそろお薬の材料が切れちゃうんだった」
「結構遠いの?」
「ここから歩いて2時間のところだから……帰ってくるのは夕食ぐらいになるかなぁ」
大凡日没まで5時間程なので、急いだほうがいいだろう。それに一人でいくより二人で行くほうが何かと都合がいい、と判断したメリアドールは同行していいかを尋ねる。
「うん、じゃあ僕も一緒にいっていいかな?」
「え、あ、うんっ」
ただ薬の材料を取りに行くだけだというのに、レイラは何故かすごく楽しいひと時になりそうだと予感した。
その時に浮かんだ笑顔に釣られて、穏やかな笑みを浮かべるメリアドールだった。
★
空っぽの革袋に水筒、そして革手袋を備えたレイラに同行するメリアドール。それ以外にはお出かけ用にオーヴォからもっていけ、と言われた毛皮でできたマントを服の上から身に付ける。
村長には目的地である洞窟のことを告げたレイラはいつも通りいってきます、と言って村を後にした。
目的地となる洞窟は子供の足で歩いて二時間の位置にある。危険な動物の類は滅多にでてこないのはオーヴォが調査済みで、行き道にも危険な要素がないので普段からレイラは洞窟まで一人でいっていた。
その道を今度はメリアドールの二人で歩いている。念の為に非実体化状態の精霊らに先行してもらい、危険がないかをこっそりと確かめているメリアドールだったが、隣を歩いているレイラと並んで歩くという経験にしみじみした感覚を抱いていた。
生前ではこうして女の子と歩いたのはいつ以来だっただろうか……。
今は外見上は同性であるが、心のどこかではまだ男だった感覚が残っている。それ故にまるでデートだなぁと思って内心でにやけていた。
チラリと横をみる。十二分に美少女に入るレイラの横顔に癒しを覚える。
ただ会話をしながら歩くだけなのに、時間があっという間に過ぎていくような楽しい一時。
子供らしく元気なのに、どことなく大人への階段を登っていく途中のような彼女が愛しい。
ドクン、とメリアドールの中の獣が騒ぎ出す。
あの温もりを我が物にすればいいじゃないか。
視線がゆっくりと彼女が無防備で晒している項に向く。色白で柔らかそうな曲線に生唾を飲む。
あの首に噛み付けば、命の甘露を得れる。
そんなに欲しければ、力づくで……と囁き出しては、それを慌てて顔を振って振り払う。
では何故彼女が愛しく思う? 疑問がもたげた。
そうじゃないんだ。僕は……。
果たして彼女が欲しいと思うのは、吸血衝動だけからなのだろうか。
その答えはどこにあるのか……。
「ついたよ。メリアドール」
「あ、……ここ、なんだね」
考え事をしてた間にどうやら目的地となる洞窟にたどり着いたようだ。
入口の大きさは大人でも立ったまま入れそうなほど大きく、内部はそこそこ奥行があるのか、先までは入口からは伺えない。
レイラは手馴れた手つきで火打石から松明に火を点け、内部に入り込む準備をした。それに倣うように自分の分の松明を手に持って、レイラの松明から火を移してもらう。
橙色の光に映し出された洞窟の内部はゴツゴツしていて、所々に菌糸類や苔がひっそりと生えている以外には目につくものはなかった。
目的とするものは奥に存在する暗闇の中で青色にほんのりと輝く苔で、煮汁を冷ましたものが肌荒れに効く塗り薬になるらしい。
「おばさんとか、村の皆さん結構手が肌荒れするから」
「それは重宝しそうだね……と、あれかな?」
メリアドールも前世で花関係の仕事をしているので、どうしても水とは縁は切れない。
防水性の手袋をするものの、一部は素手で作業を行うので……冬場になると手の皮膚が皸を起こしたものである。
家に帰る度にハンドクリームだのを塗ってのがいい思い出である。
ほぼ一本道で迷うことなく、目的の青く光る苔を見つけた二人は早速採取を行う。革手袋をした手で苔を削ぎ落としては、革袋へとつめこんでいく。
必要な量を確保しおえて、いざ帰ろうとした時──二人の視界は大きく震えた。
地面ごと揺れたことにレイラは悲鳴をあげなからその場にうずくまる。
──地震だと冷静に判断できたのは、メリアドールの前世が日本人だからか。
其れ故に気づけた。咄嗟に天井を確認したとき……頭上から二人を押しつぶそうとばかりに落下してくる無数の岩の影を。
考えるより先に、体が動いた。
「危ない!!」
メリアドールは咄嗟に蹲ったままのレイラを押し倒し、自らを遮蔽にするべく覆いかぶさる。
ほぼ同時に凄まじい轟音の時雨が洞窟内で振り、落下する岩の群れが二人を覆い隠した。




