第74章 騒がしい訪問者たち
南ジャカルタの朝は、いつもより少しだけ饒舌な陽光に包まれていた。ユダの部屋のカーテンの隙間から差し込む光は温かく、穏やかな日曜日を約束している。階下からは、母・ラティが鼻歌を交えながら食卓を整える音が聞こえ、父・プラモノは淹れたての黒コーヒーを片手に、朝刊のインクの匂いを楽しんでいた。
絵に描いたような、幸せな家庭の風景。
しかし、その静寂は唐突に、そして暴力的なまでに粉砕された。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
執拗に繰り返される呼び鈴の音は、まるで火急の事態を告げる警鐘のようだった。門の外に、せっかちな、あるいは怒りに燃える借金取りでも立っているのではないかと思わせるほどだ。
ラティは鼻歌を止め、眉をひそめた。「お父さん、誰かしら。朝からこんなに騒がしくして」
プラモノは新聞を少しだけ畳んだ。「ファラの荷物じゃないか。あの子はオンラインショッピングが趣味だからな」
ラティはエプロンで手を拭きながら、玄関へと歩き出した。呼び鈴は鳴り止まず、さらには門の向こうから、蜂の巣をつついたような騒がしい女性たちの声が漏れ聞こえてくる。
「おはようございま……って、ちょっと! ユダはどこよ!」
ラティが重厚なチーク材のドアを開け放つと、そこには洗練された装いの若い女性たちが四人、仁王立ちになっていた。先頭に立つ女性は、肩まで届く髪を揺らし、燃えるような赤い口紅を引いた唇を尖らせている。
サンティだった。その後ろにはミタと、かつてのナワセナの同僚たちの姿がある。
ラティは驚きのあまり、思わず一歩後退した。「あの……どちら様でしょうか。ユダに何か御用で?」
サンティはラティの困惑に気づくと、一瞬だけ表情を和らげたが、すぐに少し引きつったような甘い笑顔を作ってみせた。
「突然すみません、おば様! 私たちはトリアとユダさんの友人です。ユダさんは中にいますか? 彼に責任を取ってもらわなきゃいけないんです!」
責任を取る。
その言葉が、ラティの脳内で最悪のシナリオと結びついた。母親という生き物の想像力は、時として残酷な飛躍を遂げる。彼女は返事もせず、弾かれたように背を向け、ちょうど階段を降りてきたばかりのユダのもとへ駆け寄った。
「ユダ! 正直に言いなさい!」
ラティはユダの腕を掴み、震える声で囁いた。
「あなた、あの子を妊娠させたんじゃないでしょうね!?」
ユダは自分の唾液でむせ返った。「げほっ……母さん、何を言ってるんだ!? 誰が妊娠だって?」
「玄関に四人の女の子が来てるわよ! 責任を取れって、ものすごい剣幕で! あなた、あの子たちに何をしたのよ!?」
ユダは混乱に眉を寄せ、母の手を優しく解くと、玄関へと急いだ。一体どこの誰が、日曜の朝から母親に心臓麻痺を味わわせようとしているのか。
玄関の敷居を跨いだ瞬間、耳を劈くような叫び声が彼を歓迎した。
「ほら! 犯人が出てきたわよ!」
サンティが指を突き出し、勝ち誇ったように叫んだ。
ユダは呆然とした。そこにいたのは、数日前にビデオ通話で自分をクルプックで窒息させかけた、あの「騒がしい部隊」だった。
「サンティ? ミタ? どうしてここに……住所を教えた覚えはないぞ」
ユダは呆れ半分、困惑半分で項を掻いた。サンティは腰に手を当て、スマートフォンの画面をユダの鼻先に突きつけた。
「とぼけないでよ、ボス! あなたの妹さん、最高に『いい仕事』をしてくれるんだから!」
ユダが画面を凝視すると、そこには昨夜ファラが投稿したインスタグラムのリール動画が映し出されていた。ユダが片膝をつき、トリアにプロポーズする決定的な瞬間。そこには誇らしげなキャプションが添えられていた。
『兄貴、ついに完売御礼! トリアさん、私たちの家族へようこそ! 場所:南ジャカルタの我が家にて』
ユダは力いっぱい自分の額を叩いた。「……ファラのやつ」
「あの動画のせいで、私たちの同期グループは爆発寸前よ、ユダさん! たまたま近くのカフェで集まってたから、そのまま突撃してきたわ。さあ、トリアはどこ? お姫様をどこに隠したのよ!」
ミタが身を乗り出して尋ねる。
ユダが答えるよりも早く、階段から軽い足音が聞こえてきた。
トリアが姿を現した。髪は寝癖がついたまま無造作にまとめられ、メイクもしていない。ファラから借りた控えめなパジャマ姿で、小さくあくびをしながら降りてくる。
「ユダ、朝から誰がそんなに騒いで……」
トリアの言葉が凍りついた。玄関先にひしめき合う見慣れた顔ぶれに、彼女の瞳は限界まで見開かれた。
「トリアーーーーー!」
「嘘……みんな!?」
トリアの眠気は一瞬で霧散した。彼女は小走りに玄関へ向かい、次の瞬間、玄関先で「集団衝突」が発生した。サンティ、ミタ、そして他の二人がトリアに飛びつき、抱きしめる。大騒ぎで頬を寄せ合い、悲鳴のような歓声と笑い声が、プラディプタ家の静かなテラスを占拠した。
「あんたって子は! ジャカルタにいるなら言いなさいよ! いきなり婚約なんて、心臓に悪いわ!」サンティがトリアの腕をつねりながら、それでも瞳には涙を浮かべていた。
「痛いってば、サン! ああ、もう、みんなに会いたかった!」
トリアは心からの笑みを弾けさせ、親友たちの抱擁を一人ずつ受け止めた。
ユダの背後で様子を伺っていたラティは、ようやく安堵の吐息を漏らし、胸を撫で下ろした。
「……なんだ、仲良しのお友達なのね。ユダ、てっきりあなたがとんでもないスキャンダルを起こしたのかと思ったわ。寿命が縮まったわよ」
ユダは苦笑いするしかなかった。「ごめん、母さん。トリアの友人たちは……その、エネルギーが少し過剰なんだ」
騒がしい一団は、そのままリビングへと招き入れられた。家の中の静寂は完全に消え去り、そこは突如として賑やかな市場のような活気に包まれた。
ソファに座ったサンティとミタは、中央に座らされたトリアを尋問の的にした。騒ぎを聞きつけて起きてきたファラも、自分の投稿がこれほどの「戦果」を挙げたことに満足げな表情で加わった。
「それで、これが本物のユダさん?」
ミタがユダを頭の先からつま先まで、品定めするように眺めた。
「悪くないわね。昨日のビデオ通話でクルプックに溺れてた時より、実物の方がずっとイケメンじゃない」
ユダはぎこちなく笑った。「お褒めに預かり光栄です。何か飲み物を。私が淹れましょう」
「気を遣わないで、ボス! 水で十分よ。イケメンを拝んでるだけでお腹いっぱいだから」
友人の一人がそう言うと、新聞を読んでいたプラモノが思わず吹き出した。彼は眼鏡をずらし、未来の義娘の友人たちの奔放な振る舞いを、楽しそうに見守っていた。
「トリアさんの友達は、みんな愉快だね」
プラモノの言葉に、サンティが即座に反応した。
「あら、お父様! ユダさんのお父様ですね? 初めまして、サンティです」
サンティは礼儀正しく、しかし持ち前の図々しさを隠さずにプラモノの手を取った。
「お父様、ちょっとお聞きしたいんですけど。ユダさんの『在庫』はもうないんですか? 従兄弟さんとか、暇してる親戚はいませんか? もしいたら紹介してください。私、この家族の一員になりたいんです!」
「ちょっと、サン! 失礼でしょ!」
トリアが顔を真っ赤にしてサンティの腿を叩いた。プラモノは肩を揺らして豪快に笑った。
「ははは! 残念だが、息子は二人だけなんだ。だが、独身の甥がいないか、後で確認しておこう」
「やった! 楽しみにしてます!」
ラティが温かいお茶とクッキーの瓶を載せたトレイを運んできた。「さあ、遠慮しないで食べてちょうだい。自分の家だと思ってね」
「ありがとうございます、お母様! ああ、ユダさんがかっこいい理由がわかりました。お母様がこんなに美人なんですもの」
ミタの世辞に、ラティも満更ではない様子で微笑んだ。
リビングの空気は、これまでにないほど華やいでいた。トリアはその光景を、胸がいっぱいになるような思いで見つめていた。ジャカルタで共に戦った親友たちと、新しく得た家族。二つの世界が笑い声の中で混ざり合う様子は、まるで作られた夢のように美しかった。
ファラがユダの幼少期の恥ずかしいエピソード――ガチョウに追いかけられて泣きべそをかいた話――を披露して爆笑を誘っている隙に、サンティがトリアの腕を軽く小突いた。彼女は視線だけで、部屋の隅の静かな場所を指し示した。
トリアは頷き、喧騒から少しだけ離れて、庭に面した大きな窓のそばに立った。
サンティの顔から悪戯っぽい笑みが消え、代わりに深く、温かい眼差しが宿った。彼女は突然、トリアを強く抱きしめた。玄関先で見せた騒がしい抱擁とは違う、慈しむような抱擁だった。
「……本当に、よかったわね、トリア」
サンティの声は、少しだけ掠れていた。
トリアは親友の肩に顎を預けた。「ありがとう、サン」
サンティは腕を解くと、トリアの両肩を掴んでじっと見つめた。
「覚えてる? グラハ・アルジュナの給湯室で、あんたが泣きじゃくってた時のこと。人生が終わったって、ハルランが怖くてたまらないって言ってたあの時」
トリアは静かに頷いた。過去の影が脳裏をかすめたが、もう以前のような痛みはなかった。
「今のあんたを見てよ」サンティの瞳が潤んでいた。「心の底から笑ってる。あんたを大切にしてくれる新しい家族がいる。そしてユダさんが……もう、あんなに見つめられたら溶けちゃいそうよ。あんたが世界で唯一の女性みたいに、ずっと目で追ってるんだから」
トリアの頬を、一筋の涙が伝った。「ユダは……本当に優しいの、サン。彼が私に勇気をくれたのよ」
「彼だけじゃないわ、トリア。あんた自身が凄いのよ。逃げる勇気を持って、立ち直る努力をした。私はあんたを誇りに思う」
サンティは親指でトリアの涙を拭った。
「これからのあんたの仕事は一つだけ。幸せになること。ジャカルタのゴミみたいな思い出は全部忘れて。未来だけを見なさい」
「ええ。約束するわ」
「ちょっと! 何しんみりしてるのよ! クッキーがファラに全部食べられちゃうわよ!」
ソファからミタのツッコミが飛び、ほろ苦い余韻はあっけなく吹き飛んだ。
二人は顔を見合わせ、涙を拭って笑い声を上げると、再びリビングの輪の中へと戻っていった。
一時間後、騒がしい訪問者たちは次の予定があると言って、嵐のように去っていった。
「おば様、おじ様、ユダさん、お邪魔しました! 騒がしくてすみません!」サンティが門のところで頭を下げる。
「いいのよ、家が明るくなって楽しかったわ。またいつでも遊びに来てね」ラティが心から答えた。
「ユダさん、私の親友を泣かせたら承知しないからね!」サンティは車に乗り込む直前、冗談めかしてユダを脅した。
ユダはトリアの肩を抱き寄せ、遠ざかっていく車に向かって手を振った。
「君の友達は、本当に賑やかだね」ユダが呟く。
「『うるさい』の間違いでしょ?」トリアがくすくすと笑った。
「『愛すべき騒がしさ』だよ」ユダは言い直し、トリアを見つめた。彼女の瞳には、決して消えることのない幸福の光が宿っていた。
「次の旅の準備はいいかい?」
ユダの柔らかな問いに、トリアは深く息を吸い込んだ。ジャカルタの空気は、今日は不思議と心地よく感じられた。
「ええ。準備万端よ」
彼女は力強く頷いた。
「次の目的地は、ジョグジャカルタね」
親友たちからの祝福、そしてユダの家族からの温かな受け入れ。それらすべてが、彼女の心のバッテリーを最大限に満たしていた。
自分自身の両親に会い、許しを乞い、そして新しい人生への門出を報告する。最後の、そして最大の試練。今のトリアなら、ユダの手を離さずに乗り越えられる。
家の中に戻る二人の背中には、確かな未来が降り注いでいた。
第74章、お読みいただきありがとうございます。
トリアの友人たちの突撃訪問、楽しんでもらえたでしょうか?
サンティの図々しさと、プラモノさんの懐の深さが光る一章でした。
次章では、いよいよジョグジャカルタへ。
トリアの実家での出来事が描かれます……?
続きが気になる方は、ブックマークやコメントをいただけると励みになります。
X(@mrnoxvane)やLINE(ID: noxvane)でも、気軽に感想を聞かせてくださいね。




