アントラクト(間奏曲)Ⅱ
1
「次の総選挙ではうちが後押しします。青年部に所属している議員はすべて当選できますよ。」
「そんなにうまくいくかな。」
「大丈夫です。先生の邪魔になるような老人たちはいまやわれわれの言いなりです。民友党が次の総選挙で絶対安定多数をとれば、次期総裁は先生です。」
「ふ、次期総裁か。」
「そして、総理大臣です。」
「総理大臣…」
「心配せずに根回しのほうをお願いします。」
「わかった。いろいろとありがとう。あの方にもよろしくお伝えしてくれ。」
「わかりました。」
そう言って電話は唐突に切れた。
長門猛は受話器を耳から離し、傍らに立っている秘書の日向に渡した。日向は静かに受話器を置き、次の指示を待った。
「どう思う。日向。」
「彼の言うことは信用できると思います。」
「なぜ、そう言える。」
長門は疑わしそうな目で日向を見た。
「いままでの実績です。彼の言うとおり、先生の前に立ちふさがる壁は次々と無くなっていきました。青年部が民友党の中で大きな存在になったのも彼らの力のおかげです。」
日向はテストの解答を答える生徒のように淡々と話した。しかし、それを聞く長門の表情はあまりうれしそうではない。かえって不機嫌であった。
「ご不満ですか?」
長門の気持ちを察するように尋ねた。
「踊らされるのは気持ちのいいものではない。」
「それも一時のこと。総理総裁となればこちらが動かす側です。」
日向が初めて表情を見せた。
それを見て長門もニヤリと笑った。
2
十二畳ほどのリビングに二人の男がソファに座っていた。
時計の音がやけに大きく聞こえる。それほどの静かな空間だ。
「それで進行具合はどうなんだ?」
和服姿の男が口を開いた。
「順調だ。俺たちの考えに賛同してくれた下士官は三十人は超える。この分なら人数はさらに増える。」
ダークグレーのスーツを着た男が答えた。
「しかし、人数が増えればいいというものでもあるまい。大切なのは中味だからな。」
「大丈夫だ。人選には慎重を期している。」
「あとは上をどう動かすかだな。」
和服の男が腕を組んだままぼそっと言った。
「それは陸奥の腕次第だな。自信はあるんだろ。」
ダークスーツの男がニヤリと笑った。
それにつられて陸奥と呼ばれた和服の男も口元に笑みを浮かべた。
「それより統幕調査部のほうは大丈夫なのか?」
「伊勢のやつが請け負っていたが。」
「それは大丈夫だ。」
ダークスーツの男の言葉に応えるように第三の男がリビングに入ってきた。伊勢と呼ばれた男はダークスーツの男の隣に座るとニヤニヤしながらソファにもたれた。
「遅いぞ。伊勢。」
「すまん。道が混んでたもんでね。」
「調査部は本当に大丈夫なのか。」
陸奥が再度尋ねた。
「抑えるべきところは抑えた。調査部は動かないよ。」
「本当か?」
ダークスーツの男が懐疑的な目をした。
「山城は心配性だな。」
山城と呼ばれた男の言葉を一笑にふしながら伊勢は懐からタバコを取り出した。それを見て陸奥がテーブルの上にあるライターを取り上げ、火を点けた。
「すまんな。」
タバコに火を点けると伊勢はまたソファにもたれた。
「事は動き始めた。もう後戻りはできん。慎重に進めてくれ。」
陸奥が二人を交互に見ながら厳しい表情で言った。その厳しさがうつったのか二人とも背筋を伸ばし、同じように厳しい顔つきで頷いた。
「くれぐれも情報の漏えいには気をつけてくれ。」
「そういえば以前、伊勢は特捜局とやりとりをしたことがあったな。そちらはどうなんだ。」
山城が思いついたように聞くと、伊勢は山城の方を見た。
「その件は別口だが、特捜局は公安委員会を通して押さえているよ。」
「しかし、それを無視して動くということは。」
「本当に山城は心配性だな。この日本は組織で動いているんだ。上を無視して動くことはないよ。」
伊勢はタバコを灰皿に押し付けながら笑顔で答えた。
「だが、特捜局の剣持はただの男ではないぞ。」
陸奥が相変わらずの厳しい目で伊勢を見つめた。その目にさすがの伊勢もたじろいだ。
「事が事だ。慎重のうえにも慎重にな。」
陸奥の言葉に二人は無言のままうなずいた。
二人が帰った後、陸奥はリビングに戻り、ソファに身を預けた。そこへお盆を手にした女性が入ってきた。
細面で切れ長の目の美しい女性だ。
お盆に乗せたお茶を陸奥の前に置くと、その隣に座った。
「今日は場所を貸してくれてありがとう。樹。」
「どういたしまして。」
樹と呼ばれた女性はにっこり笑いながら陸奥の肩に頭を乗せた。
陸奥もその肩に手を回し、ゆったりとした表情になった。
「これからも協力をたのむ。」
「もちろん、卓美さんのためですから。」
3
そこは道場のような場所であった。
夜なのか、日が差さぬ場所にあるのかわからないが、暗闇が多くを支配していた。灯りと言えば八つの方角に置かれた8本の燭台に点ったろうそくだけである。
その上座に静寂と同化したように無明が座っていた。
あいかわらずの灰色の髪を肩まで垂らし、やはり灰色の着物を着た姿は、死神を思わせた。
その無明の正面のろうそくの火が不意に揺れた。
それに合わせて闇の奥から人が滲みだすように現れた。
牙堂である。
革のジャケットに革のパンツ姿の牙堂の右目は黒い眼帯で覆われていた。
「牙堂か。」
見えぬ目を牙堂に向けて無明がぽつんと言った。
「急に呼び出してどういうことだ。」
無明の横にドカッと腰を下ろすと、左目で無明を睨んだ。
「私が皆に召集をかけました。」
別の闇の奥から女性の声がした。
見ると南西方角に置かれた燭台の影から人が現れた。
左京である。
その後ろには夜叉丸が控えていた。
「左京様。」
無明と牙堂は同時に頭を下げた。
左京はまっすぐ上座に向い、無明は自分が座っていた場所から座った姿勢のまま牙堂の反対側に滑るように移動した。
左京は無明が座っていた場所に座り、夜叉丸はその右後ろに正座した。
「いよいよ我らの計画が本格的に動き出す矢先、我らを探る輩が現れました。」
左京の目がちらりと牙堂の眼帯に向けられた。
「知ってのとおり、すでに魔霊院は陰陽師の女子に倒されました。また、別の陰陽師の女子も現れ、これは夜叉丸の手で始末しました。」
「女ばかりだな。」
牙堂が嘲笑を浮かべた。
「正体不明の女も我らを探っているようです。我らの計画に支障が出る前にこれをなんとかしなければなりません。」
「そいつは俺に任せてくれ。」
牙堂が左京の方に体を向けた。
「一度失敗したやつには任せられんな。」
牙堂の後ろから突然声がした。
思わず後ろを振り返る牙堂の前にスポーツマンタイプの男が立っていた。
「どういう意味だ。鳴神。」
半袖のTシャツにジーンズ姿の鳴神は、牙堂に目もくれず、その横に座ると左京に対して一礼した。
「言葉どおりさ。ましてや、史郎様は失敗を何よりも嫌う。」
「あれは邪魔が入ったからだ。今度は確実に仕留める。」
「そうかな。」
「なんだと!」
鳴神の懐疑的な目に牙堂の左目が怒りで燃えた。
「よしなさい!」
左京の一喝に二人の口が閉じた。
「仲間内で争ってどうします。」
「そうじゃ、いまは仲間同士で争っている場合じゃあなかろう。」
左京の嗜めに同調する声とともに道場の片隅から静かに現れた者がいた。白いフードを頭からかぶり、白いマントで全身を包んだ者だ。その者は滑るように移動すると音もなく、無明の隣に座った。
「幽斎、来ておったのか?」
「一別以来じゃな。無明。」
そう言って、被ったフードをとると、その下から現れたのは坊主頭とミイラと見紛うような皺に埋もれた顔だった。しかし、目だけは爛々と光っている。
「左京様、遅れまして申し訳ありません。」
幽斎は左京に体を向けるとゆっくりと頭を下げた。
「幽斎、頼んでいたことは片付きましたか?」
「はい、土地明け渡しを渋っていた者も快く明け渡すことを承諾してくれました。」
「快くか。」
鳴神が口元に皮肉交じりの笑みを浮かべた。
「幽斎も聞いていた通りです。計画の支障となるべきものを排除しなければなりません。しかも、相手は手強いようです。」
左京が厳しい目で一同の顔を見渡した。
「左京様、伊達霧子の件は私に任せていただけませんか。」
牙堂が身体を前のめりにして左京に懇願した。
「伊達霧子?」
「先ほど正体不明と言っていた女です。」
「お前の目をつぶした女か。」
鳴神がまた皮肉まじりに口を開いた。
「お前は黙っていろ。左京様、お願いします。」
牙堂はさらに身体を進めて、左京の前で頭を深々と下げた。
「正体不明の女のついては幽斎に任せます。」
「かしこまりました。」
「左京様!」
幽斎が頭を下げるそばで、牙堂は不満たっぷりの表情で左京を睨んだ。
「私の決定が不服ですか?牙堂。」
「いえ、そんなことは。」
あきらかに不服そうな顔しながら牙堂は反論しなかった。
「牙堂には陰陽師の女子の始末をたのみます。」
「…わかりました。」
牙堂は不承不承、承諾すると、立ち上がり闇の中に消えていった。そのさいろうそくの火も一本消えた。
「あいかわらずですね…。鳴神。」
「はい」
突然左京に呼ばれて鳴神はびっくりした表情をした。
「おまえは牙堂についていきなさい。」
「子守役ですか?」
「牙堂が暴走しないようにしっかりと手綱をにぎるように。」
「かしこまりました。」
面倒くさそうに答えると、鳴神も立ち上がり、闇の中にろうそくの炎とともに消えていった。
「そういえば樹魔はどうしました?」
左京が無明に尋ねると今度は天井のほうから声がした。
「私はここにおります。」
その声に残った者たちはいっせいに天井を見た。
「いるなら左京様の前に姿を現せ。樹魔。」
夜叉丸が少し怒気を含んだ口調で天井に向って言った。
「むさくるしい男どもの前に姿を現すのは私の趣味ではないのでな。」
「左京様に失礼だろ。」
夜叉丸が思わず立ち上がった。
「よい、夜叉丸。」
左京が手で夜叉丸を制すると、夜叉丸は仕方なそうな顔をして座りなおした。
「樹魔、そなたのほうは順調か?」
「はい、人形たちはうまい具合に動いてくれています。」
「そうか。無明。魔法陣の準備は?」
左京が尋ねると無明の口がかすかに動いた。
「予定の箇所の89%を終了いたしております。残りも半年もかからずにできるでしょう。」
地の底から響くような声で無明が答えた。
「わかりました。幽斎、樹魔、無明、失敗は許されません。心して取り組むように。」
そう言うと左京は立ち上がり、正面にある燭台の方に歩いて行くと、ろうそくの火を消し、自身の姿も消した。
そのあとを追うように歩く夜叉丸は幽斎の前で立ち止まった。
「幽斎、お前か?あの者の遺体を持っていったのは?」
「はて、なんのことやら。」
幽斎はとぼけた笑いを夜叉丸に見せた。
「まあいい。」
そう言い残して夜叉丸も闇に消えていった。それに合わせてろうそくの火もまた一本消えた。
「さて、わしも行くかの。」
「くれぐれも相手の力量を見誤るな。」
無明が心配そうに幽斎に語りかけた。
「めずらしいの。そなたが心配するとは。まあ、任せておけ。」
こもったような笑いを残して幽斎の姿も消えた。そしてまた一本、火が消えた。
「あいかわらず底の知れない男ね。」
天井からまた声がした。
「いつものことじゃ。」
「あなたもよ。無明。」
それっきり声はしなくなった。そして、いつのまにかろうそくが一本消えていた。
二本のろうそくの火だけその道場の中に残った。
あとは闇と静寂しかなかった。
「すべてが動き出した。もう少しじゃ。もう少しで我らの長年の呪いが解消される。」
無明の口から地の底を這うような笑いが漏れた。
その笑いに触れたようにろうそくの火が大きく揺れ、やがて二本とも火が消えた。
真の闇が訪れた。
しかし、笑いだけはいつまでも続いていた。
4
北の歓楽街の夜は今日も色とりどりの光があちこちで瞬き、活気づいていた。
その中を買い物袋を下げた奈美が足早に歩いていた。
「リエちゃん」
突然呼ばれたその名前に奈美は振り返った。
その名を呼んだ男が目の前に立っていた。
背の高い目鼻立ちのくっきりした男だ。
「あら、瀬上さん。おひさしぶり。」
奈美はにっこり笑って答えた。
「こんなところでなにしてるんだい?」
「ママに買い物を頼まれたの。これからお店?」
「ああ、いっしょに行こう。持ってやるよ。」
「いいわ…」
断る前に瀬上は奈美の買い物袋を取り上げた。そして、さっさと店に向って歩き始めた。
「しょうがないわね。」
苦笑しながら奈美も後をついていった。
「ねえ、リエちゃん、この間の話、考えてくれた。」
「この間のはなし?」
奈美はとぼけた。
「店を持って一緒に暮らそうって話。」
「ああ、あれ、冗談じゃあなかったの。」
「本気さ。」
瀬上は振り返って真剣な目つきで奈美を見つめた。
「でも、お金ないでしょ。」
奈美は聞き流すつもりで先に歩いた。
瀬上は回り込んで奈美の前に立ちふさがった。
「いまのネタをものにすれば大金が入る。そうしたら…」
「政治家の女性問題でも追っているの?」
関心なさそうに言って瀬上の横を通り過ぎた。
「そんなんじゃあないぜ。防衛隊がらみなんだ。」
「それは大層ね。」
興味を示さず、前へ進んだ。
「それにある企業がからんでいるんだ。」
瀬上は奈美の横に並んで力説した。
「アルフィス・エンタープライズっていう会社知っているかい?」
「アルフィス…」
奈美ははじめて関心を示した。
「いま、アルフィス・エンタープライズって言った?」
「ああ、その元幹部が絡んでいるんだ。」
「それ、どういうこと?」
「おっと、それ以上は企業秘密。でも大きなネタなんだ。これをモノにすりゃあ、一生左団扇さ。なあ、どうだい、リエちゃん。」
奈美はそれには答えず、そのまま小さな路地に入っていった。
路地にはスナックや居酒屋の看板が立ち並んでおり、その中のスナック「あんじゅ」と書かれた看板の店に奈美は入っていった。瀬上もその後に続いた。
「おかえり。あら、瀬上ちゃん、いらっしゃい。」
中からかっぷくのいい中年の女性がカウンターから出てきた。
「ママ、これ頼まれたもの。」
「ありがとう。」
ママに買い物袋を手渡すと奈美はカウンターの中に入っていった。その後を追って瀬上もカウンターに座った。
「さっきの話どうだい?」
「夢みたいなことばかり言ってるんだから。水割りでいい?」
奈美は瀬上の話を無視するように水割りの準備を始めた。
「夢でもじょうだんでもないさ。待っていな。一大スクープをものにしてやるから。そうしたら俺とのことも考えてくれるかい?」
真剣なまなざしで見つめる瀬上に奈美も冗談として受け流すことはできなかった。
「わかったわ。その時は考えてあげる。」
「ほんとかい。」
喜びに目を輝かせる瀬上に奈美は軽くうなずいた。
「ねえ、何の話?」
横合いからママが話に入ってきた。
「リエちゃんと今度デートしようって話。」
「あら、いいわね。」
ママがにこやかな顔で二人を交互に見た。
「あぶないことはしないでね。」
奈美は瀬上を心配そうに見ながら言った。
「大丈夫だよ。」
平気な顔をして水割りに口をつけた。
しかし、奈美にはなぜか不安が付きまとっていた。
エンジェル伝説 第二部 黒の少女の章 了
エンジェル伝説 第二部 マリオネットの章につづく