六、 帰還
1
アナウンスの声がターミナルの中を響き渡り、様々な国から来た人間がその中を行きかう。今日も成田空港は活気づいていた。
その中で出会った時と同じ服装で霧子は剣持と向き合っていた。
「いろいろありがとうございました。」
霧子は笑顔を見せながら右手を出した。剣持もそれに答えて握手をした。
「お役に立てず、申し訳ありませんでした。」
「そんなことはありません。それにあれは予想外の事故ですから。」
「事故ですか…」
剣持の顔に苦笑が浮かんだ。
霧子がムツ・メディカルセンターに潜入してから二日後、メディカルセンターは原因不明の爆発事故を起こした。
建物は全焼し、中の機材や資料はすべて灰燼に帰した。
証拠の隠滅だと剣持は睨んでいる。
グラス博士が亡くなったいま、ウィルスを使って麻薬人間を作り出すという陰謀は証拠もなにもなく、単なる想像に終わった。
これ以上は特捜局も動きようもなく、博士を捜索に来た霧子は役目を終えて帰国ということになった。
「お見送りはここまでで結構です。本当にお世話になりました。」
霧子は軽く頭を下げると、スーツケースを持って出発ロビーへ向かおうとした。そこへ剣持が声をかけた。
「ミス霧子、ひとつお伺いしたいのだが。」
「はい?」
行きかけた霧子は立ち止まり、振り返った。
「あなたは本当にFBIの捜査官ですか?」
「おかしなことを聞くのですね。ミスター剣持。」
「失礼だが、アメリカの友人にあなたのことを少し調べてもらった。どういう人物か知りたいだけで、他に他意はなかったのですが。」
「それで…」
霧子は不快な表情をするでもなく、黙って聞いていた。
「FBIに捜査員として登録はされているが、あなたを知る者はだれもいなかった。」
「まるで幽霊ですね。」
口元に薄い笑いが浮かんだ。
「そうですな。うわさでは表の顔を隠れ蓑に裏で動く特別な工作員がいるそうですね。」
「そうですか?初耳ですね。もう時間のようですからこれで失礼します。」
そう言って霧子は再び出発ロビーへ足を向けた。
「本当の目的は別にあるんじゃあないんですか?」
剣持の問いかけを背中で受けた霧子は立ち止まった。しかし、今度は振り返らない。
「その別の目的のために私に近づいたのではないのですか?」
それには答えず、霧子は再び歩き始めた。
去っていく霧子を見送り、剣持も踵を返して出口へ向かった。
空港ビルを出て、駐車場に向った剣持は乗ってきたクラウンに向った。中では小田切が待っている。
後部座席に乗り込むと剣持は出るように指示した。
クラウンは静かに走り出し、駐車場のゲートを抜けて自動車道へ向かった。その後ろで飛行機が離陸していった。
その音を聞きながら剣持はある思いにふけっていた。
霧子の目的が別なところにある。その根拠は剣持の部屋にあった。
部屋にあった奈美に関する資料が盗み見られた気配があった。もちろん、所定の場所に資料はあったのだが、剣持の長年の勘が資料を盗み見た者がいると教えていた。
それも霧子が来日してからだった。
FBIの捜査員だと偽ったことも根拠を後押ししていた。
「目的は奈美か…」
「え?何か言いましたか?」
小田切が前を見ながら剣持に聞いた。
「いや、なんでもない。」
腕を組みながら外の景色を眺める剣持の脳裏には奈美の姿が写っていた。
(また、奈美が巻き込まれるのか…)
不安が過り、思わずため息が出た。
2
そのころ、霧子は空港内のカフェでコーヒーを飲んでいた。
くつろいでいる霧子の前に金髪の長身の男が座った。
霧子がミヒャエルと呼んだ男だ。
「ご苦労だったな。キリコ。」
「たいしたことはないわ。」
そう言いながら霧子はカップに口をつけた。
「それで収穫はあったのか?」
「A7の居所は不明。その製作にかかわったミスター面の所在も不明。」
「なんにもつかめなかったということか?」
「そうね。」
あきれ顔のミヒャエルに霧子はそっけなく答えた。
「それでアーマノイド探索とは関係ない事件にかかわったということか?」
「悪い?」
「お前の悪い癖だ。本来の目的はアーマノイド探索だといったはずだ。」
ミヒャエルは不機嫌な表情をはっきり表した。それに対していたずらっぽい笑顔で霧子は返した。
「全く関係ないということもないわ。」
「どういう意味だ。」
「アーマノイドに関する手掛かりはつかんだわ。」
「手掛かり?なんだそれは。」
ミヒャエルの態度が一変し、前のめりになった。
「グラス博士を雇ったやつらが超人を作っているというのよ。」
「グラス博士を雇ったやつら?だれだ、それは。」
「そこまではつかめなかったわ。その前にグラス博士が殺されたから。」
「なんだ。」
ミヒャエルはがっかりした態度を見せ、ふてくされたように霧子から視線を外した。
「でも、えにしの会がからんでいるのは確かね。」
「えにしの会?」
ミヒャエルの視線が戻った。
「新興宗教よ。」
「宗教団体がアーマノイドに関係しているというのか?」
半信半疑の目で霧子を見た。それに対し自信ありげな笑顔で答えた。
「オフィス・ワンもムツ・メディカルセンターにもえにしの会がかかわっている。宗教団体は隠れ蓑かもしれないわ。」
霧子の目が輝きだした。それを見てミヒャエルはため息をついた。
「キリコ、悪い癖がまた出ているぞ。われわれの目的はあくまでもアーマノイドだ。その完成形の奈美の行方を探すのが第一だろ。」
「居場所がわからなくても会う手だてはあるわ。」
「どういうことだ。」
「もうすく彼女にとって特別な日が来るってことよ。」
意味不明なことを言う霧子にミヒャエルはまたため息をついた。
そんなミヒャエルを見ながら霧子には気になっていることあった。
(翔はどうしたのかしら。)
ミヒャエルに保護された後、霧子は翔の動向を探らせた。しかし、翔はオフィスを無断欠勤しており、その後の行方も知れなかった。
完全に消え失せたのだ。
(まさか、やつらに…)
「どうした。キリコ?」
ミヒャエルの言葉に霧子は我に返った。
「ううん、なんでもないわ。」
そう言いながら霧子はすでに冷めたコーヒーにまた口をつけた。
「それで、これからどうする?」
「もちろん、アーマノイドの探索をするわ。」
「手掛かりがさっき言った特別な日か?」
「そういうことね。じゃあ、私、急ぐから。」
そう言って霧子は立ち上がると伝票を持ってレジに向った。それを目で追うミヒャエルは三度目のため息をついた。
3
幸徳井景明も目黒の屋敷で何度目かのため息をついた。
翔からの連絡が途絶えてもう2日が経っていた。
このようなことはいままで一度もない。
(翔の身になにかが?)
そんな不安が過る。
(いや、翔の実力は誰よりも私が知っている。)
そう思ってその不安を何度も打ち消してきた。
(しかし…)
また、ため息が出た。
そのとき、表で何か物音がした。
ガラス戸をひっかくような音だ。
気になった景明は立ち上がり、庭に面したガラス戸に近寄った。
目の前には簡素ながら立派な庭が広がっている。その庭にはなんの異常もなかった。
気のせいかと思った時、またガラスをひっかく音がした。
下を見ると小さな生き物が後ろ足で立って、前足でガラスをひっかいていた。
景明には見覚えのある生き物だ。
「お前はユキ。」
そう確かに翔が使っている管狐の“ユキ”であった。
急いでガラス戸を開けるとユキは座敷に上がり込み、景明を見上げてひとしきり鳴いた。
長い時間走ってきたのか、体中が汚れている。
「どうした、ユキ。翔は一緒じゃあないのか?」
景明はユキの前にしゃがむとその小さな体を抱き上げた。そして、その背にこれも汚れた赤い巾着があるのに気付いた。
「これは…?」
景明は巾着をはずし、その中身を取り出した。
ICレコーダーと札。
翔の持ち物である。
その札を開いてみた時、景明の目が大きく見開かれた。
《エニシ=アリ4=オオモト》
血のりで書かれた言葉。
意味はわからないが翔の身に何かがあったこと確かであった。
景明は札を見つめたままじっと動かず、その懐ではユキが景明の不安げな顔をじっと見上げていた。
4
左京はひさしぶりにえにしの会の本部に戻っていた。
本部内の私室に入った左京はお付の者たちを下がらせ、一人きりでソファに横たわった。
アリエス4としての活動が続き、肉体的にも精神的にも疲れていた。しかも、自分たちを探る者が現れたことも左京の不安の種となっていた。それが左京にため息をつかせた。
陰陽師の女は夜叉丸の力で消せた。しかし、もうひとりの女は取り逃がした。その取り逃がした女が不安の種であった。
そして、不安の種は他にもあった。
陰陽師が絡んできた。
自分たちの計画が察知されたのではないか?
そして、計画を破綻させるために自分たちを殺しに来るのではないか?
あのときの者たちのように。
左京の脳裏に少女時代の自分の姿がフラッシュのように浮かんだ。そして、その目の先で起こった惨劇も。
思わず左京は顔を両手で覆った。
(史郎様、怖い。)
左京は少女のように泣きじゃくり、史郎の姿を頭の中で追い求めた。
そのとき、ドアをノックする音がした。
左京は起き上がると手で涙をぬぐい、返事をした。
「だれ?」
「教祖様、面様がいらっしゃいました。」
その名前を聞いたとき、左京の顔色がパッと明るくなった。
「ちょっと待って。すぐ行くわ。」
左京は部屋の傍らにある化粧台に移動すると、鏡を見て髪や涙のあとを直した。そして、立ち上がったときには教祖としての左京の顔つきになっていた。
ドアを開けると目の前に付き人が頭を下げて立っていた。
「まいりましょう。」
そう言うと付き人は左京の前を歩き始めた。
長い廊下を進むと突き当りに教祖室と書かれた金色のプレートを貼りつけた大きなドアが現れた。それを付き人が静かに開ける。
中は20畳もあろうかという部屋だ。
片側は全面ガラス張りで美しい山林と遠くに富士山が見えている。
それを眺めている男がいた。
「史郎様」
左京の声に史郎が振り返った。
ギリシャ彫刻を思わせる堀の深い美青年は左京に向って、いつもの冷徹な笑みとは違う、優しい笑顔を見せた。
「ひさしぶりだな。左京。」
その笑顔に左京の心から先ほどまでの不安は霧散した。




