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五、 対戦

          1

 同じころ、翔はオフィス・ワンの社長である、早瀬のあとをつけていた。えにしの会との接触を掴みたいと思う行動であった。

 世界的スター、カティナと事務所いち押しのアリエス4とのコラボコンサートが開催されているのに、社長は全く別なところ、高級ホテルで誰かと待ち合わせをしている。

 「芸能事務所の社長とは思えない行動ね。」

 ホテルのラウンジに入って一〇分ほどして一人の女の子がやってきた。

 見覚えのある女の子だ。

 「あれは確か、新人アイドルのミホ。」

 翔の脳裏に事務所のポスターが浮かび上がった。

 早瀬が座るテーブルから離れたところに座っていた翔は、早瀬とその女の(アイドル)がそろってエレベーターホールへ向かうのを見て、席を立ち、二人の後を追った。

 二人がエレベーターの前に立っているのを見て、翔はポケットから蝶の形をした紙を取り出し、それを手のひらに乗せて息を吹きかけた。

 紙の蝶は本物のように宙を舞い、早瀬の背中にくっついた。そこへエレベーターが到着し、二人はそれに乗ると上に登っていった。

 翔はエレベーターの階数ランプを見ながら、隣のエレベーターが来るのを待った。

 隣のエレベーターが降りてくると、翔はそれに乗り込み、早瀬と女の子が降りたらしい階のボタンを押した。

 軽い機械音とともにエレベーターが目的の階に登っていく。

 エレベーターは途中で止まることなく、思ったより早く目的の階に着いた。翔は長い廊下を見渡し、早瀬たちの姿を求めたが、どこにもその姿を見つけることができなかった。

 どこかの部屋に入ったらしい。

 昼間から盛んなことだと思いながら廊下を進むと、ベージュのカーペットの上に一枚の紙が落ちていた。

 翔が早瀬につけた紙の蝶だ。

 それを拾い上げながら翔は目の前のドアを見つめた。

 口元に微笑みが浮かぶ。

 するとドアの中から声が聞こえてきた。

 「それではあとはよろしく。」

 翔は急いで廊下の角に隠れた。

 中から早瀬がでてくる。

 ひとりだ。

 そのままエレベーターホールに向かう。

 ミホはどうしたのだろう、と思いながら翔は迷うことなく、早瀬のあとをつけた

 早瀬はホテルの前にたむろするタクシーに乗り込むとすぐに発車させた。翔もタクシーをひろい、追跡を続ける。

 午後の日差しを反射させながら前を走るタクシーは、やがてオフィス・ワンの入っているビルの前に停まり、車を降りるとその中に入っていった。離れたところにタクシーを停めた翔も車から降り、早瀬に続いてその中に入っていった。

 早瀬はまっすぐエレベーターホールに向っている。

 翔はその後ろで思案したあげく、早瀬のところへ早足で歩いていき、わざとぶつかった。そのとき、早瀬のスーツのポケットに霧子からもらった盗聴器をすべりこませた。

 一瞬のはやわざである。

 「申し訳ありません。」

 翔は米つきバッタのように頭を下げ、謝った。

 早瀬は面倒くさそうな顔をしてさっさとエレベーターに乗り込んでいった。

 頭を下げる翔の口元に笑いが浮かんだ。その顔のまま早瀬の行き先、社長室へ向かった。


 早瀬が社長室に入るのを見届けると、翔は給湯室に入り、受信機を取り出した。

 スイッチを入れると雑音とともに室内を歩く音が入ってきた。やがて、電話を掛ける音が聞こえ、続いて社長の声が聞こえた。

 『もしもし、事務局長ですか。私です。』

 残念ながら相手の声は聞こえない。

 『はい、ナンバー74は先ほど連れて行きました。代議士も気に入ってくれたようです。』

 ミホの相手は政治家の先生なのか、そう思いながら翔は更に聞き耳を立てた。

 『これで会館建設もうまくいきます。』

 (会館建設?)

 『はい、これからもえにしの会のために努力いたします。』

 その言葉に翔は敏感に反応した。相手はえにしの会の幹部らしい。翔は興奮を抑えきれなかった。

 (なんとか社長に聞きたださねば。)

 翔が思案していると、受信機からまた社長の声が聞こえてきた。事務所に内線をかけて、改装中の小劇場のことを尋ねているようだ。

 そのとき、翔の頭に閃くものがあった。

 受信機のスイッチを切ると、自分の携帯電話を取り出し、ある番号を押した。

 

 電話を終え、事務作業に取り掛かろうとしたとき、早瀬の携帯が鳴った。

 非通知の表示がされ、不審感を持ちながらも早瀬は携帯に出た。

 『社長の早瀬さんですか?』

 聞いたこともない女の声だ。

 「だれだ。君は?」

 『あなたを見つめている者ですよ。実は買ってもらいたいものがあるんです。』

 「ふざけたことを。切るぞ。」

 『今日、ミホさんはだれと会っているんですか?』

 「なに?」

 早瀬の眉間にしわが寄った。

 『どこぞのえらい先生ですか?』

 「おまえどうして?」

 早瀬のこめかみがぴくぴくと動いた。

 『芸能事務所の社長が自分のところのアイドルを献金してはいけませんね。』

 「そんな証拠どこにある。」

 早瀬の目に怒気が浮かんだ。

 「あるんです。そして、それを買ってもらいたいんです。」

 「はったりはよせ。」

 『ポケットの中をごらんなさい。はったりでないことがわかります。』

 その言葉に早瀬は自分のポケットを探った。すると、ポケットから黒いチップのようなものが出てきた。

 すぐに盗聴器とわかった。

 「いくらほしいんだ。」

 『その交渉のために今夜十時に改装中の小劇場に来てください。』

 「改装中の小劇場…?」

 『ひとりで来てくださいよ。』

 そう言うと電話は唐突に切れた。

 「もしもし」

 早瀬の呼びかけに応えなくなった携帯を耳からはずし、早瀬はしばらく携帯を握りしめたまま微動だもしなかった。

 その外の給湯室では携帯をポケットに入れてゆうゆうと出てくる翔の姿があった。

          2

 夜十時の闇は都会の端々まで広がっていた。

 それはこの小劇場も同じであった。

 人っ子一人おらず、ひっそりとした小劇場にひとりの男が入ってきた。

 早瀬である。

 早瀬は手に懐中電灯を持ち、床を照らしながらホールへ向かった。

 百人も入ればいっぱいになるようなホールに入ると、それを待っていたかのようにステージの電気が点いた。

 「!」

 驚いた早瀬は辺りを見渡した。しかし、人影は見当たらない。

 「来たぞ。姿を見せろ!」

 大声で叫ぶが返事は帰ってこない。

 早瀬はステージの上にあがると、客席の方を向き、もう一度あたりを見渡した。

 「どうした。一人で来たぞ。」

 もう一度、大声で叫んだ時、懐中電灯を持つ手が後ろ手にきめられ、首にはなにか鋭いものを突き付けられた。

 腕の痛みに思わず懐中電灯を取り落す。

 「だ・だれだ!?」

 「あなたを見つめている者。」

 「おまえが。」

 早瀬は振り返ろうとした。

 「振り返らないで。」

 鋭い声と首の鋭い痛みが同時に届いた。

 「わ・わかった。」

 早瀬は慌てて前を見た。

 「要求はなんだ。金か?いくらほしいんだ。」

 「お金は必要ない。」

 「じゃあ、なにがほしいんだ?」

 「オフィス・ワンとえにしの会の関係についてよ。」

 「なに!?」

 驚きのあまり早瀬の声が裏返った。

 「オフィス・ワンの所属タレントがえにしの会の信者だというのはわかっているのよ。」

 翔は早瀬の耳にだけ届くようにささやいた。しかし、それは早瀬に衝撃を与えるのに十分な重さを持っていた。

 「きさま、どうしてそれを。」

 「そんなことはどうでもいい。一体、えにしの会は何をしようとしているの?」

 しかし、その問いには早瀬は沈黙で答えた。

 「だまってないで話したら。」

 翔は早瀬の腕を更にしぼりあげた。

 苦痛に顔がゆがむが、それでも早瀬は沈黙を守った。

 「しかたないわね。」

 そう言うと翔は早瀬を離し、持っていたポシェットから札を出した。

 床にへたり込んだ早瀬は痛む腕をさすりながら初めて脅迫者の顔を見た。

 どこかで見た顔だ。

 「おまえは確かうちのスタッフ…」

 言いかけた早瀬の口をふさぐように顔面に札が貼り付けられた。そして、二本指を額に当てると呪文を唱え始めた。

 「内なる言霊(ことだま)に願い奉る。かの者の心の内を開かせ、我が問いの答えをその口より聞かせたまえ。」

 ひとしきり呪文を唱えると、翔は二本の指を離した。しかし、札は早瀬の顔に付いたままだ。

 「なにをしたんだ?」

 不安な目つきで翔を見た。

 「これから質問することにあなたは正直に答えるのよ。」

 「ばかな。」

 信じられないというそぶりで早瀬は顔をそむけた。

 「すぐわかるわ。あなたの名前は?」

 「早瀬成三。」

 早瀬の意志とは関係なく口が勝手に開いた。おもわず、早瀬は口を両手でふさいだ。

 「無駄よ。あなたの生年月日は?」

 その問いにも早瀬は素直に答えてしまった。驚愕がその目に宿り、恐ろしいものを見るように翔の顔を見た。

 「わかったでしょ。あきらめて素直になることね。素直にならないと苦しむだけよ。」

 翔は早瀬に顔を近づけ、ニヤリと笑った。

 背中を冷たいものが流れる。

 「えにしの会はオフィス・ワンを使って何をしようとしているの?」

 早瀬はしゃべらないように口をふさぐ両手に力を込めた。しかし、翔の問いに抗うことはできず、手の間から言葉が漏れた。

 「ば・売春だ。」

 「売春?」

 ストレートな言葉に翔は多少びっくりした。

 「オフィス・ワンの女の(アイドル)たちに売春をさせているってわけ。」

 「そうだ。」

 「相手は?」

 「政治家や財界のトップなどだ。」

 そう口にした早瀬の顔にあきらめの色が浮かんだ。抵抗は無駄と覚ったようだ。

 「でも、ただの売春じゃあないんでしょ。」

 「もちろんそうだ。一度相手をしたら離れられないようにある仕掛けを施している。」

 「仕掛け?なんなの?」

 「女のたちにある特殊なウィルスを注入して女の子自身を麻薬人間に仕立てることだ。この子たちとSEXをした男はほとんど麻薬中毒になり、こちらの言うことを聞くようになる。」

 「なんてことを…」

 衝撃的な事実に翔の目が大きく広がった。

 「アイドルとして売り出せば付加価値がつくし、テレビや舞台に出れば目にとまるから大ぴらに紹介できる。覚醒剤などと違って高額な薬代はかからず、足もつきにくい。相手も知らないうちに麻薬中毒者にできる。そうすればこちらの意のままになる。」

 「なんでも言うことを聞く人形ってわけ。」

 「そういうことだ。」

 ふっきれたのか、早瀬は笑顔を見せながらスラスラと答えた。

 「えにしの会が政治家たちにやらせていることって何?」

 汚いものでも見るような目をしながら翔は早瀬の胸ぐらをつかんだ。

 「良くは知らん。ただ、会館建設の許認可やモニュメント設置のための土地取得とかに口をきいてもらっているようだ。」

 「それで誰が黒幕なの?」

 「そ・それは知らん。」

 「知らないことはないでしょう。」

 翔は胸ぐらをつかんだ手に力を入れた。途端に早瀬が苦しみだした。

 「ほ・ほんとうに知らないんだ。」

 「事務局長というのは?」

 「えにしの会を仕切っているやつだ。いつもそいつを窓口にしている。」

 「ほんと!?」

 翔の腕に更に力が入る。

 「く・苦しい。たのむから離してくれ。おまえの術でおれは隠し事ができないんだろう。」

 「そうね。忘れていたわ。」

 やっと手を離すと、早瀬はしばらくの間咳き込んだ。

 咳き込む早瀬を見下ろしながら、翔の肌になにかが触れたような感覚がした。

 「ただ…」

 咳がおさまった早瀬の口がまた動いた。

 「ただ?」

 「えにしの会の教祖が事務局長に指示を出しているようだ。それに、その教祖はうちでアイドルをしている。」

 「アイドル?」

 「ああ、アリエス4のリーダーがそうだ。」

 「あのリーダーが…」

 翔の脳裏に舞台で歌う金髪の少女の姿が浮かび上がった。

 そのとき、観客席を覆う闇の一部が揺らいだのを翔は見逃さなかった。

 翔の全身に緊張が走る。

 突然、黙り込んだ翔の姿を見て、早瀬は不思議そうな顔をした。そんな早瀬をよそに翔は静かにポシェットを肩からおろした。

 ほんの数秒の沈黙が流れる。

 唐突に闇から銀の線が吹き出すのと、翔のポシェットが闇へ放たれるのがほとんど同時であった。

 銀の線とポシェットは空中で絡まり、床に落ちた。見ると、ポショットに細長い銀の針が突き刺さっている。

 早瀬はその光景を見て度肝を抜かれた。

 早瀬をかばうようにその前に立った翔は、闇の奥を見透かすようにじっと一点を見つめた。

 「逃げて!」

 そう叫ぶと同時に右の袖から小柄と呼ばれる小刀が飛び出し、闇に向ってすばやく投げた。早瀬は翔の叫びに突き動かされ、四つん這いでその場から逃げ出した。

 翔の投げた小柄は金属音とともになにものかに叩き落とされた。

 すでに翔の両手には別の小柄が握られており、次の攻撃にいつでも移れる態勢になっていた。

 そのままの状態でまた沈黙が流れる。

 闇が動き、何者かがその中から滲みだしてきた。ステージのライトがその姿を浮かび上がらせる。

 そこにいたのは夜叉丸であった。

          3

 翔が初めて見る男であった。しかし、油断できない相手であることは直感が教えてくれた。

 夜叉丸は無表情の顔を翔に向けながらゆっくりと近づいてきた。

 いつの間にかその右手に短槍と呼ばれる槍を握っている。

 翔はその場を微動だにしない。

 早瀬はステージから逃げ、観客席に隠れて、成り行きを伺っていた。

 夜叉丸が翔の1メートル手前で止まった。同時に穂先がゆっくりと上がり、その先端が翔の顔を差した。

 「ここでなにをしている?」

 唐突な質問に翔は少し戸惑った。

 「なにも。ただ、社長とお話をね。」

 とぼけた返答に夜叉丸の口に笑みが浮かんだ。

 「話か…。どこまで知っている?」

 「ここのアイドルが政治家にとっても人気があるということかしら。」

 「とぼけたことを。」

 夜叉丸の笑みが消えた。

 「おまえさんがオフィス・ワンを探るために潜り込んだ陰陽師だということはわかっているんだ。」

 「なら話すことはないんじゃあない。」

 翔は不敵に笑った。しかし、臨戦態勢は崩さない。

 夜叉丸も短槍をあらためて構えた。

 「おとなしく降参するなら命まではとらん。」

 「おとなしく言うことを聞くと思っている?」

 「お前の身のためだ。」

 「そう、お手上げってわけね。」

 そう言って翔は小柄を握ったまま両手を上げた。その行動に夜叉丸は意外そうな顔をした。

 その刹那、翔が小柄を離した。

 それを見ていた早瀬は翔が降参したと思った。

 そう思った瞬間、翔の右足が床に落ちる寸前の小柄を蹴った。

 蹴られた小柄は刃先を夜叉丸に向けて宙を走った。

 “カッ”という音ともに小柄は夜叉丸の目の前で槍に突き刺さった。

 そのときには翔の姿は消えていた。しかし、夜叉丸はその場を動かない。

 先ほどとは別の方向から小柄がまた飛んできた。

 それも夜叉丸は槍で受け止める。

 「無駄だ。おとなしく出てこい。」

 静かだが十分、威圧感のある言葉であった。

 沈黙のあと、どこからともなく蝶が飛んできた。

 夜叉丸の目の前を漂ったとき、その陰から銀の針が走った。しかし、顔の前に突然立った槍によって針は受け止められた。

 「出てこないならこちらから引きずり出すまで。」

 そう言って夜叉丸が石突きで軽く床を打つと、足元の影が四方に伸びていった。

 伸びた影がステージを駆け巡る。

 幕の陰に隠れていた翔のところにも影が伸び、危険を察知した翔は幕の陰から飛び出した。そのあとの翔のいた場所に影から飛び出した石突きが床を打ち砕いた。

 「!」

 飛び出した翔を執拗に影が追いかけてくる。

 翔はステージから観客席へ軽業師のように飛び駆けていく。

 そのあとを影から伸びる石突きがステージや観客席を所構わず打ち砕いていった。

 夜叉丸はステージから一歩も動かず、駆けていく翔を目で追った。

 翔も駆けながら更に小柄を()った。

 自分に迫る小柄を槍で叩き落としながら夜叉丸の意識は翔から離れない。

 その翔は観客席の背もたれを蹴り、壁に向って飛びあがるとその壁も蹴り、夜叉丸に向っていった。

 宙を飛びながらその右手がベルトにかかり、それを引き抜くと革の部分が抜け落ち、薄く細い金属性のベルトが現れた。

 「ツァ─── !」

 裂帛の気合いがペラペラのベルトを一本の刀身に変えた。

 「リャ─── !」

 夜叉丸も気合いとともに槍を繰り出した。

 翔と夜叉丸の得物が空中でぶつかった。

 すさまじい気と音が弾け、辺りを駆け抜けた。

 早瀬もその衝撃を受け、気を失いかけた。

 弾けた二人はステージの両端に位置して、翔はベルトの太刀を逆手に構え、夜叉丸は槍を中段に構えて両者はにらみ合った。 

 「眞陰流(しんかげりゅう)か…」

 夜叉丸の目が細くなった。まるで何かを楽しんでいるように見える。

 「名を聞いておこうか。」

 夜叉丸が唐突に聞いた。

 「火鳥 翔」

 「そうか。俺の名は夜叉丸。」

 双方が名乗ったあと、再び沈黙が訪れた。

 静寂の中、闘気がぶつかり合っている。それが緊張感を生み、空気を凍りつかせていた。

 翔が右回りに移動をはじめた。構えはそのままだ。夜叉丸の穂先も翔を追っていく。

 ステージ奥の壁を背にした翔は、突然、床を蹴り、その壁を駆け上っていった。

 不意の行動だが、夜叉丸は動じない。

 駆け上がった壁の頂点で翔が壁を蹴った。

 夜叉丸の頭上に迫る。

 槍が跳ね上がった。

 穂先が翔を狙う。

 太刀が穂先を上から抑える。そのまま太刀を滑らせて夜叉丸に向っていく。

 夜叉丸は滑る翔ごと槍で押し上げ、振り払った。

 放り投げられた格好の翔は宙で一回転すると、着地と同時に駆け出した。

 背中に太刀を隠し、どちらから繰り出されるか夜叉丸にはわからない。しかし、夜叉丸は槍を縦一文字に構えて動かない。

 翔が目前に迫ったとき、夜叉丸の槍がその足元を払った。

 間一髪、宙に飛び上がった翔は小柄を投げた。

 夜叉丸がそれを叩き落としてる間にその後ろに降り立ち、ポケットから紙の蝶を取り出した。

 「風の精よ。我が盟約に従いて式に力を与えて、我が対する者を縛れ。」

 手の平に乗せた紙の蝶に息を吹きかけると数十匹の蝶が宙を舞い、夜叉丸に向って飛んで行った。

 「ム!」

 ひらひらと舞う蝶を振り払おうとするが、蝶は思い通りに払えず、夜叉丸の周りにまとわりついて来た。やがて、それは一つ一つがつながり、縄状になって夜叉丸を縛りつけた。

 「これは?」

 夜叉丸は自分を縛りつける縄を引きちぎろうとしたが、縄は千切れず、かえって夜叉丸をきつく縛りつけた。

 「かくご!」

 そこへ大上段に構えた翔が飛び込んできた。

 「妖法、影流れ」

 夜叉丸の口の中で呪文が唱えられた。そこへ翔の太刀が振り下ろされる。

 夜叉丸が真っ二つになったかに見えた。

 しかし、紙の縄を残して夜叉丸の姿は忽然と消えた。

 「!」

 次の瞬間、翔の影の中から夜叉丸が姿を現した。

 背後をとった夜叉丸の短槍が翔の背中を狙った。

 串刺しになる前に翔は横に飛び退いた。

 「次は私の番だ。」

 夜叉丸の口から気合いが迸ると同時に、すさまじいスピードで槍が繰り返し突き出された。それはさながら数十本の槍が一気に翔に襲い掛かったようであった。

 翔も負けじと太刀と体捌きで夜叉丸の槍を躱していく。

 「ツァ── !」

 気合いとともに夜叉丸の槍が翔の頭に振り下ろされた。それを翔はバク転しながら躱し、夜叉丸との距離をとった。

 また、にらみ合いが始まった。しかし、夜叉丸は翔の息がほんのわずかに乱れているのを見逃さなかった。

 夜叉丸の足が滑るように床をかけた。

 翔の神経が穂先に集中する。

 地響きとともに槍が翔の体を貫かんと繰り出される。

 翔の体がほんのわずか右にずれる。

 穂先は翔の脇を通り過ぎ、その槍の柄を左腕でがっちりと抱えた。

 槍を止められ、夜叉丸の動きも止まった。

 その刹那、翔は槍の柄を太刀で断ち切った。

 「ム!」

 その攻撃に夜叉丸の体のバランスが崩れる。そこへ再び大上段に構えた翔が気合いとともに夜叉丸に切りかかった。

 夜叉丸の体が影の中に消える。

 翔の必殺の唐竹割りはまたしても空振りに終わる。そして、翔の背後に再び人影が盛り上がる。

 「同じ手に二度ひっかかるか!」

 振り下ろした太刀をひるがえし、振り向きざまに横に払った。

 人影は胴を境に真っ二つに切れた。

 しかし、真っ二つになったのは夜叉丸が持っていた槍の柄であった。

 「なに!」

 「おしいな。」

 その声とともに断ち切ったはずの穂先が、空を切って翔の腹部に深く突き刺さった。

 「ぐっ」

 激痛に思わず太刀を落とし、片膝を床についた。見ると翔の間合いの先に夜叉丸が立っている。

 「なぜ…?」

 「おまえほどの使い手だ。二度目が通じるとははじめから思っていない。」

 「裏をかいたわけね。」

 翔の口に自嘲の笑みが浮かんだ。

 「死ぬ前になにもかも話してもらうぞ。」

 夜叉丸がゆっくりと近づいてきた。

 「そういうわけにはいかないの。」

 そう言うと翔はポケットから紙の蝶をたばで取り出し、空中に放り投げた。蝶は翔の周りに大きく広がり、花吹雪のように乱れ舞った。

 「またか。」

 夜叉丸に反撃の警戒心が駆け巡った。

 しかし、反撃はついに訪れなかった。

 かわりに紙の蝶が床にすべて落ちた時、翔の姿が掻き消えていた。床に血のりを残して。

 夜叉丸は翔がいた場所に歩み寄ると周りの気配を探った。しかし、夜叉丸の肌に感じる気配は少しもなかった。

 「逃げられたのか?」

 観客席から唐突にかけられた言葉に夜叉丸の顔がその方に向いた。

 早瀬が観客席の影から姿を現していた。

 「追わないのか?」

 ステージに近づきながら早瀬は夜叉丸に非難の目を向けた。

 「あれだけの深手だ。助かるまい。」

 「いいのか、確かめなくて。」

 自身の安全が確信できたせいか早瀬の態度が大きくなっている。その態度が夜叉丸の癇にさわった。

 「ひとのことより自分の心配をしろ。」

 強い語気に早瀬が怯んだ。

 「ど・どういうことだ。」

 「余計なことをペラペラしゃべりおって。左京様が知ったらどう思うかな。」

 「あれは、あいつの術のせいで…」

 「言い訳は左京様にするんだな。」

 そう言うと夜叉丸は踵を返して、その場を立ち去ろうとした。それを追いかけるように早瀬はステージにあがった。

 「待ってくれ。ほんとうに俺の意志じゃあないんだ。」

 早瀬の言葉に耳を貸さず、夜叉丸は闇の中に消えていった。そのあとを追うように早瀬はステージから舞台裏に出ていった。

          4

 ふたりが去った後、ステージには再び静寂が戻った。その中で翔のポシェットだけがポツンと取り残されていた。

 しばらくして、そのポシェットがひとりでに動き始めた。

 カバーの隙間からなにか這い出ようとしている。やがて苦労して這い出てきたのは不思議な姿の生き物であった。

 顔つきは狐のようだ。

 しかし、体がひどく細い。

 白い毛で覆われた30センチほどの棒のような体に、短い脚が四本ついている小さな生き物だ。

 その生き物はポシェットの肩紐に首を突っ込むとそれを背中に担いで、どこともなく走り去っていった。

 

 戦いのあった小劇場から数十メートル離れた裏路地にうずくまる黒い影があった。その影に向ってさきほどの小さな生き物が走り寄ってきた。

 影の前に立ち止まるとその生き物は身を摺り寄せて、小さく鳴いた。それに触発されるように影から手が伸び、その生き物の頭をなでた。

 「良く運んできたね。ユキ。」

 影の正体は瀕死の翔であった。

 槍が突き刺さったままの腹部はすでに真っ赤に染まっていた。

 もはや、虫の息の翔は最後の力を振り絞ってユキと呼んだ生き物からポシェットを取り上げた。

 ポシェットの中を探ると赤い巾着袋を取り出し、その口をあけて中身を確かめた。中にあるのはICレコーダーだった。

 「どうやら無事のようね。」

 レコーダーが無傷であること確かめると、もう一度ポシェットの中を探り、一枚の白い札を取り出した。

 「いい、ユキ。このレコーダーと札を景明様の元に届けるのよ。」

 そう言いながら翔は札に血のりで何かを書いた。

 書き終えるとそれを巾着袋の中にレコーダーと一緒に入れ、ユキの首にかけて、背中にまわした。

 「たのむわよ。ユキ。」

 もう一度、ユキの頭を撫でた。ユキがその大きな目を細めた。

 「いきなさい!」

 お尻を押すと、ユキは一目散に駆け出した。

 闇の中に消えていくユキを目で追いながら、翔の体が冷たいアスファルトに倒れ込んだ。

 そのまま翔はピクリとも動かなくなった。

 それを待っていたかのように闇が人の形となって現れた。

 頭からすっぽりとフードをかぶった男とも女ともわからぬ人物であった。その者は倒れている翔に顔を近づけ、様子を伺った後、翔を抱きあげ、肩に担いだ。

 そして、不気味な笑いを残して、再び闇に溶け込んでいった。

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