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女一匹異世界奮闘記  作者: ぼんぼん
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35.出発

「これからの予定を簡単に話す」レオが言った。「ソゾまで俺とダギーで御者を交代しながら行く。大体1日半ってところだ。その先は海を渡るのに船を用意してある」

「ソゾ?」

「マダン島の港だ。小せぇ町だがマダン島にはそこにしか港がねぇ」ダギーが言った。

「そこで俺とダギーが戻るまでアンには子供と一緒に待機していて欲しい」レオが言った。

「それって、さっき言ってたドラドとかいう人のところに行くって話?」


ダギーがあたしを引き入れたがった最大の理由。


「ああ、やっとだ。やっと最後の仕上げまでこぎつけた」ダギーがニヤリと笑う。

「ドラドって誰なの?最後の仕上げって?」


 レオとダギーによる何らかの目線が交わされた後、気詰まりな間があいて、あたしの質問はプカリと宙に浮いた。


「・・・あたし達はチームなのよね?」

「チーム?」ダギーがあたしの言葉を繰り返す。

「仲間、味方」あたしは言った。「言い方は何でもいいけど、引き入れたのはそっちなのよ。ここまで来て隠し事だなんて、そんなの無しよ」

「隠し事をする気はない」レオが言った。「ただ、ソゾでドラドに会うことが今回の計画の一番の肝になる」

「重要な人物ってわけね。で、どういう風に関わって来るの?」

「ドラドってぇのは・・・ラウドラドの異母兄だ」ダギーが言う。

 あたしはため息をついて天井を仰いだ。「ラウドラドっていうのは誰?あたしは『渡り人』なのよ。もっと分かりやすく説明して欲しいわ」

「ラウドラドは、マダン島の代表者だ。そしてそいつはーーー」ゆったりとした動きでレオが荷車に寄り掛かる。「ダギーのいた犯罪組織のボスでもある」

「・・・ドラドがボスの異母兄・・・じゃあ、あなたたちの言う最後の仕上げっていうのは・・・」

「マダン島代表者の首のすげ替えだ」ダギーが胸の前で腕を組んで踏ん反り返り、ニヤリと口の端を上げた。 



  



 ラウドラド・マダンの2歳年上の異母兄であるドラド・マダンは、ラウドラドのたった1人の兄弟で、ソゾで行政官をしているのだという。表向きは、マダン島唯一の港を取り仕切るという名目だが、その実、その椅子は全くのお飾りでドラドにはなんの実権もない。2人の仲の悪さは折り紙つきで、小さなころからまわりを巻き込んだ確執が後を絶たなかった。というのも、ドラドの母親が第2夫人だったせいだ。アザルの風習では、夫人の序列は子供を産んだ順番になる。なのに何故第一子のドラドの母親が第2夫人だったのか。それには、ドラドが生まれる2年前、第1夫人の身ごもった子供が死産だった事に関係する。アザルでは、子供が亡くなった時点で夫人の称号は取り下げられる。子供のいない妻は妻と認められないのだ。男尊女卑の色濃く残るアザルならではの不当な慣習だが、何をどうしたか第1夫人はその席に居座り続けた。ドラドが生まれてもそれは変わらず、結果、ラウドラドが第1夫人の第一子として優遇されることになる。そのせいで、2人はいざこざの絶えない幼少期を過ごすことになる。

 決定的だったのが10年前。子供のいないラウドラドがソゾを視察で訪れた際、ドラドの息子が不審な死を遂げる。寝返りも出来ない生まれたての赤ん坊だったのにもかかわらず、海で溺死したのだ。ドラドの抗議もむなしく事故死として処理され、捜査さえされなかったという。

 

「ラウドラドって言うのはクソ野郎ね」あたしは言った。「そんなのが代表者だなんて」

「勘違いするなよ。ラウドラドがクソ野郎なのはもちろんだが、別にドラドがいい奴ってわけでもねぇ。毎晩飲み歩いてるパーティ狂いのアル中だからな」とダギー。

「何よ、マダン一族はクソ野郎しかいないわけ?」

「まぁでも、クソ野郎のクソ野郎は味方って言うだろ?」

「そうは思えないわ。クソ野郎のクソ野郎は、結局のところクソ野郎よ」

「そう言うなよ。どっちがマシかって言ったらドラドの方なのは間違いねぇんだ」

「アン」レオがあたしに向かって言った。「俺たちの目的は組織の壊滅であって、この島の将来を憂えることじゃない」


 確かにそれもそうだ。憂いを負うのはその資格がある人間に任せればいい。それに、『パーティ』はそんなに悪いことではないかもしれない。あの底冷えする陰気なマダンの街には、少しくらい陽気な何かが必要だ。


「ここからが本題だ」レオが持ってきた鞄から紙の束を取り出した。「アンの持ってきたシスターエドナのノートと、ダギーが長年付けていた昌石密輸の取引相手の名簿と船の乗船記録、俺が手に入れたシスターエドナに宛てたラウドラドからの手紙。それらを複写してドラド・マダンの元に交渉に行く。アンにはその間、元本を持って待機していてもらいたい」

「・・・上手くいくかしら?」あたしはそれらを見ながら言った。

「こっちの条件は、ラウドラドと組織に関わった者の投獄、それに組織の完全な解体」ダギーが言った。「奴は死ぬほど嫌いな弟を追い出してマダンでの権力を得る。これぞ利害の一致ってやつだ」

「何だか簡単そうに聞こえるけど・・・交渉に失敗した時はどうするの?それに、話に乗ってきたとしても、ドラドが約束を守るとも限らないじゃない」

 レオが肩をすくめた。「失敗することはない。交渉という言葉を使ったが、正確に言うと脅しに近い。奴が怯えて隠れようが行動に移そうが、どっちにしろ2週間後に予定されているアザル総会議に元本を送りつける予定だ。ラウドラドと一緒に泥船で沈みたいなら別だが、奴のアルコール漬けの脳みそでも約束を守らざる得ないことが理解できるだろう」

「なら初めからドラドに頼らないで、会議に送っちゃえばいいじゃない」

「・・・あー、それはダメだ」ダギーが頭をクシャリと掻いて言い淀む。

「どうして?」

「確実に追い詰めるには、アル中だろうがなんだろうがそれなりの肩書を持った人間が必要ってのもある。が、何より」ダギーは自分の耳を指で弾く。「こいつをどうしても消してぇ。俺は組織と一緒に潰れてやるような広い心は持ち合わせてねぇし、この先ずっとこんなもんに振り回される気もねぇ。ただ、これを消せんのはマダン一族の薬品だけだ。アザルじゃそれぞれの家に伝わる薬で奴隷印を描く。消すのも専用の薬がいる」

「そう・・・でも、ドラドはその薬を持ってるの?孤立させられてるんじゃ持ってない可能性もあるわ」

「それについちゃ心配ねぇよ。ドラドは女の奴隷を何人も囲っちゃとっかえひっかえしてるからな」


 あたしの中で元々低かったドラドの評価が更に暴落した。


「それで、その会議とやらでは正義は尊重されるんでしょうね?」

 ダギーがニヤリと笑う。「アザル連合の代表者達は、表面的には上手くやってるが、水面下では足の引っ張り合いに大忙しだ。今のアザル島の総代表がこの件を放っておくわけがねぇ。正義かどうかは別として、ラウドラドが無事に済む確率はほとんどねぇよ」

「それは、少しはあるってこと?」

「その残りの『少し』は、エスタニアが埋めてくれる」何の感情も窺えない表情でレオがじっとあたしを見た。

 あたしの口からため息が零れる。「あたしは元本を持って、ジェマと隠れてればいいだけ。それで全部上手くいくのね?」

「ああ、ソゾで準備が出来たら渡す。絶対に失くすんじゃねぇぞ」ダギーが言う。

「その辺はまかせてちょうだい。お腹に括りつけてるのは結構得意なのよ」









 その後、荷車の中で毛布にくるまってうつらうつらしていたジェマを起こし、4人で簡単な食事をとった。バゲットのようなパン半分と塩の効いたハム、ブロックチーズ1欠け、それに水。パンの表面が硬かったのでジェマと自分の分を一口サイズにちぎっていると、男たちが不思議そうな顔をして見ていた。パンをちぎりながら、たぶん2人は大人になってから女性や子供と一緒に住んだことがないんだろうなと考えていた。男に細々(こまごま)とした日々の生活を切り取って注目する能力を期待してはいけない。子供の小さな口ではこの硬いパンを食べるのに苦労するし、唇が切れる覚悟でもって女が大口を開けてフランスパンにかぶりつくと思ったら大間違いだ。


「早く食え、日が暮れちまう」ダギーがズボンに落ちたパンくずを払いながら言った。

 レオはポケットから銀色のバンドを取り出して左腕に巻いた。「15分後に出発する」

 あたしの目がレオの腕に釘づけになる。「・・・時計、それって時計よね?」


 この世界で時計を見たのは、覚えている限り今が初めてだった。教会にも町の広場にも見当たらなかった。腕に巻いてる人だって見てない。勝手に無いものだと思い込んで、誰かに時間を聞くことさえ考えもしなかった。

 

 ダギーがお尻のポケットから丸い懐中時計を引っ張り出した。「時計ぐらい誰でも持ってんだろ」


 腕時計型は高ぇがな、と続けたダギーがレオの時計を羨ましそうな顔で見る。


「あんたの時計はそんなに高くないの?」あたしはダギーに訊いた。

「新品ならまぁそこそこってところだ」

「中古なら安いってこと?」お金が手に入ったらぜひ欲しい。

「壊れてるヤツなら安いぜ」

「壊れた時計なんてどうするのよ」あたしはムッとして言った。

「はぁ?そんなの修理屋に出すに決まってんだろ。直したって新品の半値以下だからな」

「修理・・・修理しても動かなかったら・・・?」

「まぁそういうのがほとんどだ。そん時ぁしょうがねぇ、諦めるんだな」


 ・・・時計1つとっても今までの常識が全く役に立たない。悲しいことに、あたしはこの世界の常識も、何があって何がないのかも全く知らないのだ。覚えなきゃならないことがとんでもなくたくさんありそうだという現実に、心がどんより曇った。もしあたしが子供だったら、こういうことも面白いと感じるかもしれない。でも、大人のあたしが感じるのはそれじゃない。主に憂鬱さと面倒臭さ、苛立ちと戸惑い。今のところお風呂もトイレも完敗だ。例えば、食事はどう?今のところ手で持って直接食べられるものしか食べてない。もし見たこともないカトラリーを渡されたら?輪っかとか。そうなったらしばらくの間は手掴みしかないだろう。

 






 

 倉庫を出たのは4時を少しまわったところで、初めの御者はレオだった。荷車の中には分厚い毛布が6枚と、ビンに入った水が並んだ木箱、食料の入った緑色の布の袋が2つ積まれていた。天井の梁には昌石が付いていて薄ぼんやりとした明かりで車内を照らしていた。

 7時間ごとに御者を交代するため、ダギーは出発してすぐに毛布にくるまって仮眠を取り始めた。あたしはダギーと反対の壁際に毛布を2枚重ねて敷き、ジェマと一緒に横になって1枚ずつ自分たちの上に掛けた。そしてそのまま、ヒソヒソ声でおしゃべりをしていた。


「ジェマは今いくつなの?」

「6才」ジェマは笑顔で指を4本立てた。「3つ上におにいちゃんがいるの」

「ジェマが6才で、お兄ちゃんが9才?」

「そうなの。それとね、おとうさんとパティ」

「パティって?」

「ジェマのコラットだよ。白と青でかわいいの!」


 ・・・ダメだ。そうなのね、と笑顔で頷いてみたけど、コラットが何かさっぱり分からない。白と・・・青、ペットでいいのかしら?


「前足と後ろ足が青でねー真ん中の足が白いの」

 真ん中?!「・・・6本足?」

「おねえさま、コレットだもん、足は6本だよー!」うふふと笑うジェマ。「しっぽは、白と青のシマシマが1本と白が2本なの」

「へ、へぇ~」6本足の何か。しっぽは3本。あたしは考えるのを放棄した。

「・・・パティ・・・ジェマいなくて元気かな」ジェマが下唇をギュッと噛む。「あとー・・・おとうさんも・・・それと、お、おにいちゃ・・・」家族の話にたちまちジェマの目が潤む。

 あたしはジェマを抱き寄せ、背中を擦った。「もうすぐ。もうすぐ会えるわ」ジェマの頭に向かって繰り返し呟いた。


 小さくコクリと頷くのを胸に感じてから、しばらくの間背中をトントンしているとジェマの寝息が聞こえてきた。恐怖や緊張でよく眠れていなかったのか、教会を出てからジェマはよく眠る。家族に会うまでは本当の意味で心が寛ぐことはないだろうけど、前に進んでることで少しは緊張の糸が緩んでいるのかもしれない。取り留めもなくそんなことを考えていたら、いつの間にかあたしもジェマを抱っこしたまま睡魔に落ちていた。









 目が覚めた時には、ダギーの場所にはレオが横になっていた。夜の11時はとうに過ぎているということだ。ジェマはあたしのお腹のあたりまでずり下がって猫のように丸まり、穏やかな寝息を立てている。荷車の中は、夜特有の心地よい静寂に包まれていた。感じる振動は行きの荷車とは比べられない程小さく、もちろん腐った井戸水のような臭いもしない。

 あたしはレオの元に這っていった。特に理由はないけど、今が時間なのか知りたかった。これっていわゆる1つの現代病なのかもしれない。今が1時であろうが4時であろうが、あたしが選べる選択肢は限られているのだ。じっとしているか、もしくは眠くなるまでじっとしているかだ。

 レオの体の上に身を乗り出すも薄暗い明りと自分の影でよく見えなかった。もう少し近くで見ようと、床についた腕を曲げて頭を下げ目を凝らす。―――とその時、左手首に何かが巻き付いたのを感じ、あたしの心臓が頭のてっぺんまで跳ね上がった。反射で仰け反るも、何かに巻き付かれ縫いとめられた左腕のせいで、杵つきバッタのごとくあたしの体は前のめりに倒れた。レオの胸板の上で恐る恐る片目を開ける。茶色い目があたしを見ていた。


「寝ろ」掠れた声。

「寝てるんだと思ってたわ」起き上がってレオに掴まれている手首を見た。

 レオが顔を擦る。「あんたが動き出すまでは寝てたんだ」

「ごめんなさい、物音をたてたつもりはないんだけど・・・今何時なの?」

 レオが時計に目をやる。「3時だ」

「3時・・・」

「ああ、3時はまだ寝る時間だ」

「ええ、もちろん寝る時間だわ」


 あたしが寝始めてからたぶん8時間は経ってる。これ以上はもう眠れないだろうと思いながら、大人しくジェマの横に戻って毛布にくるまった。

 次に目を開けた時は、6時だった。御者を交代する物音で目が覚めたのだ。レオの姿はもうなく、疲れた顔のダギーが壁に寄り掛かってドスンと座り込む。


「俺はもう寝る。ハンサ鳥を休ませるのにこの後1時間ばかり止まってるから、その間に子供を起こして朝飯を食っとけ」食料の袋と水を顎で示した後、ダギーは欠伸をして毛布にくるまり、あっという間にいびきをかき始めた。


 あたしはジェマを起こして、食べ物の入ってる袋を漁った後、外に出てレオに軽く手を振りジェマと共に茂みの中にわけ入って必要な用事を済ませると、軽くストレッチをして再び荷車の中に戻った。その後、おぼろげな昔話をいくつかと終わり所の見えないアッチ向いてホイをして、ともすれば涙を浮かべるジェマを慰めながら、お互いに何度となく首を傾げ続けるしりとりで時間をつぶした。

 幾度目かの交代と、代わり映えしないパンとハムとチーズの食事を5回連続で食べたのち、荷車が止まって、ダギーが昌石の明かりを消した。

 幌が開き、朝日が差し込む。


「ソゾに到着だ」レオが言った。



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