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黒い魔女

霧の朝、館の厩舎には湿った干し草の匂いが漂っていた。

馬番兼警備隊長の息子——

少年の名はルーカス。

日に焼けた腕と、少し大人びた目をした少年だった。

エルザが館に来てから、彼は必要以上に近づかなかった。

学校では知らぬ顔、館でも挨拶だけ。

——伯爵のペット。

その噂が頭から離れなかったからだ。

だが、彼には大切な存在がいた。

黒と白の毛並みをした猟犬、バルト。

子犬の頃から一緒に育ち、森へ行くときも眠るときもそばにいた。

そのバルトが、ある日突然倒れた。

息は荒く、身体は熱を帯び、立ち上がれない。

「父さん……バルトが……」

隊長である父親は犬の身体を調べ、首を振った。

「悪い病だ。医者を呼んでも難しいだろう」

ルーカスの胸が締めつけられる。

それを厩舎の影からエルザはみていた。

エルザにはルーカスがバルトをどれだけ大切にしているかわかっていた。

よくその仲よく遊ぶ姿をみていたから。

エルザにも故郷でそんな時があった。

それを思い出していた。

ルーカスが悲しむ様子をみてるのが辛かった。

バルトはだんだん弱っていく。

それと同時にルーカスも元気がなくなっていった。

そんなルーカスを父親である馬番はいつも悲しそうな目でみていた。

バルトのことが親子を苦しめていた。

エルザは決心した。


ルーカスはその晩もバルトの下へ餌を持っていこうと馬小屋まできていた。

そこでバルトは誰かがいるのに気づいた。


「誰だろ…」

近づいたルーカスが見たのはエルザだった。


彼女は土の上に円を描き、枯れ葉と小石を並べた。

その中央に、バルトの毛を置き、ナイフで自分の腕を切った。小さな血が流れる。それをバルトの毛に垂らす。

そして低い声で、古い言葉で祈りを唱え始めた。 

それは唸りとも聞こえた。祈りの言葉も怪しげに聞こえた。

エルザは何度も地面に額をつけた。

一回二回と続いた。

その間も低く唸るような祈りは続いていた。

それは故郷で祖母が行っていた——

精霊と生命に願う儀式。

だが、ルーカスには異様に見えた。

風が渦を巻き、落ち葉が宙に舞う。

地面がかすかに震え、赤い光が円の中を走る。

ルーカスは思わず後ずさった。


その中心で、エルザは必死に祈っていた。

「奪わないで……この命を……」

やがて、風が止まる。

バルトに取り憑いてた悪霊が去り、荒かった息が静かになった。

バルトは、ゆっくりと目を開く。

尻尾が、かすかに揺れた。


「……治った?」


ルーカスにはそうみえた。

バルトは立ち上がった。

途端にルーカスのもとへはしった。


エルザが振り返ると、ルーカスが立っていた。


「バルト!!」

ルーカスは泣きながら抱きついた。

助かった。

間違いなく、助かったのだ。

だが——彼は同時に恐怖も覚えていた。

あの声。あの言葉。

あの儀式みたいなもの。

見たこともないもの。

全てが不気味だった。

でも、バルトは助かった。


「バルト!バルト!おまえ、もう大丈夫か?」


バルトはルーカスに抱きついていた。

それをエルザは微笑みながらみていた。

そしてそこを去ろうとした。


「……ありがとう」

ルーカスはエルザの後姿にかすかにそういった。

そう言いながら、距離を取ってしまったいる自分に気がついて情けなくなった。


数日後。

学校はざわついていた。

「黒魔女が犬を生き返らせたらしいぞ」

「血を使う呪いだって」

「肌も黒いし、悪魔と契約してるんだろ?」

噂は瞬く間に広がった。

きっかけは——ルーカスだった。

怖さと驚きで、友達に話してしまったのだ。

それが歪んで、変な話になった。

エルザは廊下で後ろ指をさされる。

「黒魔女」

「呪われるぞ」

胸が苦しくなった。

助けたはずなのに。

誰も近づかなくなった。

ルーカスは気づいた。

自分の言葉が、彼女を傷つけたことに。

彼は父にすべてを打ち明けた。

「俺が……しゃべったせいで……」

隊長は静かに聞き終え、息子の肩に手を置いた。

「恐れは、知らないものから生まれる。

だが、お前は真実を知っているはずだ」

「……うん」

「なら、それを伝える勇気を持て」

その話はやがて伯爵の耳にも入った。

館の書斎で、ローゼンシュタイン伯爵は深く息をつく。

「……彼女は命を救っただけだというのに」

伯爵はルーカスを執務室に呼んだ。

何事かとおもって恐る恐る執務室のドアをノックするとそこにルーカスの父もいた。。


「座りなさい」


明るく落ち着いた声で伯爵はルーカスに語りかけた。


「ルーカス、バルトが助かってよかったね。君はうれしいかね?」


「はい…」


素直にルーカスは答えた。

父親は黙ったままだった。

怒ってる様子はなかった。


「君のその気持ちをエルザに伝えてあげてくれないか?」


伯爵にそう言われて断れるわけはなかった。

「エルザの行ったことは、医術に近い生命魔術だ。

恐れるものではない。むしろ奇跡に近い。誰でもができることではない。尊ぶべき行為だ。だが、言いふらすものでもない。命を左右することだからね。エルザはなんでもできるわけではない。村の牛や馬を全部救えるわけではない。分かるよね。」

伯爵はルーカスの顔をみながら慎重に噛み締めるように話した。

ルーカスは少し難しかったが、素直に頷いた。

「いい子だ!」

伯爵がそういった途端に、ルーカスの頭を父親が抱きしめていた。

翌日、伯爵は学校に赴いた。

そこで、エルザの行ったことを、科学的に説明した。

実は、それは作り上げた説明だったが。

今はそうするしかなかった。

権威ある伯爵の言葉は、子供達を納得させるのに十分だった。 

逆にエルザの評判がよくなった。

それは少しどうなのかと、伯爵は思ったが。

この一件が学校のエルザに対する空気を少し変えていた。

しばらくして伯爵はエルザを呼んだ。


「エルザ、よくやってくれたね。君は優しい子だ。それはみんながわかってる。わかってくれたよ。それに、こんなこともできるなんて、私は驚いたよ。正直ね(笑)よく、ここまで、精霊を使えるようになった。すごいよ。でもね、気をつけなさい。人は自分のわからないことには、悪い気持ちを持つものなんだよ…エルザが誰かを助けたいのはいいことだ。でも、それを素直に受け取れない人もいるのも本当だ。私はエルザに傷ついてほしくない。魔術を間違った使い方をしてほしくもない。それは、エルザが悲しむことになるから…」


「わかりました。気をつけます…」


エルザには、伯爵が自分のことを考えながら話してくれているのがよくわかった。

だから、素直に本心から答えた。

そして、もっといろんなこと学びたいと思った。

人間のこと、社会全体のこと。世界のこと。魔法のこと。


ある日学校が終わったあと、ルーカスは震えながらエルザの前に立った。

「……ごめん」

深く頭を下げる。ルーカスの目から涙がもう少しでこぼれそうだった。

「俺がしゃべったせいで……変なことに……」

エルザはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「バルト、生きてるんでしょ?」

「……うん」

「よかったね!私にもバルトみたいな友達がいたけど、もういない…」


その一言に、涙がこぼれた。

(エルザはだからバルトを助けてくれたんだ…)

ルーカスにはエルザの心の中にある悲しみが少しわかった。

「ありがとう……本当にありがとう」 

ルーカスは心から感謝した。

それから二人は、少しずつ話すようになった。

バルトとルーカスとエルザで遊ぶことも多くなっていった。それ以外にも、馬の世話を一緒にしたり、

乗馬も覚えた。

孤独だった館に、初めて“友だち”ができた瞬間だった。

ルーカスとエルザとバルトが仲良く遊んでいる姿を執事やメイド達もよく見かけるようになると、無邪気なエルザの笑顔をみた彼らはだんだんエルザにも親近感を覚えるようになった。

話すことも多くなった。

ただの子供…

そうみんなが思えるようになっていった。

だが、エルザは知ることになる。

人は奇跡を見れば、時には感謝より先に恐れることがあることを。

その恐れが、噂となり、迫害になることを。

優しさと恐怖が交差する場所で、

少女は世界の残酷さを一つ学んだのだった。

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