射撃訓練
霧の朝、館の裏庭に設けられた射撃場には、乾いた火薬の匂いが漂っていた。
銃声が響くたび、エルザの胸は強く締めつけられる。
——まただ。
あの日の叫び声と、炎と、倒れていく人たち。
エルザは逃げ出そうとして、執事や伯爵にとめられた。それからエルザは部屋の隅で膝を抱え、耳を塞いで震えていた。
伯爵のところに来てから、射撃訓練の銃声が一番エルザを苦しめた。
最初それを聞いたとき、窓越しに聞こえる発砲音は、まるで過去そのものが追いかけてくるようだった。
「精霊さま……お願い……止めて……」
何度祈っても、答えはない。
最初は祈った。でも、ただ無情に響く銃声だけが続いた。
精霊が答えてくれないとわかると、ひたすらベッドに潜り込み、歯を食いしばり、涙をこぼしながら耐えるしかなかった。
その様子は執事やメイドを通じて伯爵の耳にも入っていた。
ローゼンシュタイン伯爵は知っていた。
心配もしていた。
だが、あえて何もしなかった。
——逃げ続ける限り、彼女は過去に縛られ続ける。
それが残酷な選択だと分かっていても、伯爵は見守るしかなかった。
そしてその「祈っても救われない日々」こそが、エルザを魔術の道へと向かわせたのだった。
精霊が応えてくれないなら。
自分の力で、未来を切り開くしかないのだと。
時は流れ、エルザは少し大きくなった。
細かった体にはしなやかな強さが宿り、
瞳には怯えだけでなく、意志の光が宿っていた。
それでも——
射撃場の近くを通るだけで、足がすくむ。
「怖い……」
銃は憎かった。
故郷を奪った象徴だった。
けれど、エルザはある日、物陰から訓練を見つめている自分に気づく。
兵士たちが的を撃ち抜くたび、土煙が上がる。
反動に耐える腕。
集中した目。
——強くならなきゃ。
魔術だけでは足りない。
銃も、魔法も、使えなければ勝てない。
憎しみから目を背けることは簡単だ。
だがそれでは、また奪われる。
その夜、エルザは伯爵の書斎の扉を叩いた。
「伯爵さま……お願いがあります」
「ほう?」
「わたしに……銃を教えてください」
一瞬、部屋の空気が止まった。
伯爵は眼鏡の奥から、まっすぐ彼女を見つめる。
「怖いのだろう?」
「……はい」
エルザの声は震えていた。
それでも目は逸らさなかった。
「でも、逃げたままじゃ……わたしは一生、あの日に負けたままです」
沈黙のあと、伯爵はゆっくりと息を吐いた。
「よかろう。だが私ではなく、あの男に任せよう」
翌日。
射撃場に立っていたのは、警備隊長——馬番を兼ねる屈強な男だった。ルーカスの父親。もう、すっかりエルザとも仲良くなっていた。
ルーカスも一緒だ。
「重いからな…」
そういうとエルザに優しく回転式の銃をエルザの手に置いた。
「……これが」
手に取ると、ずしりと重い。
心臓が暴れだす。
隊長は低い声で言った。
「怖いか…怖くていい。怖いまま握れ。
恐怖を知らない奴は、引き金を引く資格がない。ルーカスお前もだ!さあ、やってみろ!」
ルーカスは弾丸を確認すると、撃鉄をあげた。
銃声がした。
エルザは思わず、ビクッとなった。
心臓が激しく打つのがわかった。
「さあ、エルザ、…こう構えるんだ…」
そういうと隊長はエルザに構え方を教え始めた。
エルザは唇を噛みしめ、銃を構えた。
腕が震える。
視界が揺れる。
——大丈夫。今は襲われていない。ここは館だ。
「呼吸を整えろ。撃つんじゃない。“放つ”んだ」
ゆっくり息を吸い、吐く。
引き金に指をかけた瞬間、過去の悲鳴がよぎる。
「……っ!」
それでも。
エルザは引いた。
——パンッ!
乾いた音が響き、弾は大きく外れた。
だが。
エルザは倒れなかった。 目を塞がなかった。
耳を塞がなかった。
逃げなかった。
ただ、荒い息をつきながら立っていた。
「……撃てた」
隊長はわずかに口角を上げた。
「上出来だ、お嬢さん。初めてで立ってる奴はそういない」
エルザの目に涙が浮かぶ。
怖い。
それでも——
「わたし……強くなれますか?」
隊長は力強くうなずいた。
「なるさ。怖さを知ってる奴は、必ず強くなる」
遠くからその様子を見つめる伯爵は、静かに目を閉じた。
——ついに彼女は、過去に向き合い始めた。
魔術だけの少女は終わった。
憎くしみと恐怖の弾丸はエルザの味方になった。
エルザはルーカスの父親と一緒に山へ猟にでることになった。
「ここから、この川を超えると、いよいよだ…ここから先は、精霊と獣の住む世界だ…」
二人の目の前には大人なら渡れそうな川が横たわっていた。
エルザは突然膝をついた。
「どうした?」
彼女は膝をついたまま頭を二度と下げた。
そして川に近づきしゃがんで手で水をすくうと、軽く両手に何回もかけた。
それをルーカスの父親は黙って、不思議そうにみていた。
「手を洗ってるのか?」
「はい…ここから先は精霊の世界だから清めてるんです…おばあちゃんがよくやってました…」
立ち上がった彼女に優しい表情を向けたルーカスの父親だった。
「さあ、行くか…」
「はい!」
二人は森へ入っていった。
「どこにいる?」
「前方の木の茂みです。」
「見えるのか?」
「はい…」
「驚いたな…」
エルザはスコープを使っていないのに、スコープを使うルーカスの父親と同じくらいにみえていた。
先祖から受け継いだ力が彼女を優れた狩人にしていた。
猟銃は大人用だ。
簡単には扱えない。
「この銃に祈りを込めてもいいですか?」
「祈り?銃にか?」
「祈りというか…呪術なんです…」
「ああ…わかった、いいぞ」
エルザは朽ち果てた倒木に立てかけられた銃に地面の土を軽く塗りつけた。
「森の霊よ…分け与え給え…森の糧を…」
そうつぶやいた。
森に銃声が響いた。
エルザの弾は鹿の急所を貫いていた。
伯爵とは牧草地では狐の狩りを一緒にした。
偽装して身を伏せる。
エルザに先祖の血が蘇る。
自然共に生きてきた先祖の血が。
用心深い狐を狩ることはとても難しい。
それをエルザはまるで狼のように狩った。
エルザの獲物の数が増えるたびに伯爵の心配は増していた。




