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第2話:冷遇と修道院への別れ(オレリー視点)

「まあ、ガブリエル様!」

カーテンを開けて、ベッドを覗き込んだマリアンヌが小さく声をあげて、目が覚めた。兄の腕に包まれて眠っていた。

「ガビ。」

「ん……もう、朝?」

「ほら、ガブリエル様、ジュリアンが探しに来ますよ。」

「あ、そうだな。おはよう、リリ。僕は戻るよ。じゃあ、朝食の時に迎えにくるよ。」

まだ、ベッドに横になったままの私の頬に、いつものように軽くキスをすると、起き上がって部屋を出て行った。


朝食に向かうために、兄は私を迎えに来た。一緒に、ダイニングルームへと侍女と従僕に従って歩く。

ダイニングルームの扉を開けると、父と義母とエレオノールが、既に席に着いていた。

テーブルの上座に父。その右隣に義母。左隣にエレオノール。昨日と同じ配置。


三人の前には、豪華な朝食が並んでいた。


ふんわりとしたオムレツ。

ベーコンとソーセージ。

焼きたてのクロワッサン。

バター、ジャム、蜂蜜。

新鮮な果物の盛り合わせ。

温かい紅茶。


湯気が立ち、良い香りが漂っている。


「お座りなさい。」

義母が、冷たく私たちを見た。

私たちの席は、テーブルの一番端だった。


私たちの前に置かれたのは、昨日と同じ、固いパンと、冷めたスープだった。

昨夜より贅沢だったのは、チーズの小さな塊が、一つ増えていたことか。

それだけ。


兄は、黙って席に着いた。

私も、隣に座った。


「神様、この食事を感謝いたします。」

兄と私は、小さく手を合わせた。


「まあ。」

義母が、笑った。

「オレリー、ガブリエル。まだそんなことをしているの?」


「……母上が、教えてくださいましたので。」

私は、小さく答えた。


「あら、そう。」

義母は、不機嫌を隠さずに、顔を顰めながら、フォークでオムレツを切った。

「古風なのね。」

エレオノールが、クロワッサンを齧りながら言った。

「義姉様、そのパン、固そう。」


私は、何も答えなかった。


食事の間、父は一度も私たちを見なかった。

時々、義母と言葉を交わす。

「今日は、商会の方が来ますわ。」

「ああ。」

「エレオノールのドレスも、新調しなくては。」

「可愛くしてやれ。」


父の声は、穏やかだった。

エレオノールが、嬉しそうに笑う。

「お父様、ありがとう!」

温かい家族の会話。


私たちは、そこにはいなかった。


私は、固いパンを噛んだ。

スープは冷めていて、小さな葉が浮いている。

飲み込むのに、少し時間がかかった。

兄も、黙々と食べている。

私たちは、何も言わなかった。


「お父様、このベーコン、美味しいわ。」

エレオノールが、嬉しそうに言った。

「そうか。」

父が、初めて笑顔を見せた。

「もっと食べなさい。」

「はい!」

エレオノールの皿に、使用人がベーコンを追加する。


私の前の皿には、固いパンの残りと、冷めたスープ。

もう、食べたくなかった。でも、残すわけにはいかない。

私は、スプーンを口に運んだ。塩でしか味付けされていない感じのスープが、喉を通る。


「ガブリエル。」

突然、父が私たちの方を向いた。

兄が、顔を上げる。

「はい。」

「お前、ちゃんと食べているのか。」

父の目は、冷たかった。

「はい。」

「痩せているな。そんなところまで、あの女に似たんだな。」


兄の拳が、膝の上で握られているのが見えた。


義母が、紅茶を飲みながら言った。

「ガブリエル様も、オレリー様も、もっとしっかり召し上がったほうがいいわ。」

その声は、優しかった。でも、目はまったく笑っていなかった。

「使用人に、もっと食事を増やすように言いましょうか?」

「いえ、結構です。」

兄が、静かに答えた。

「そう?」

義母は、微笑んだ。

「遠慮しなくてもいいのよ。」

でも、私たちの皿が増えることはなかった。


食事が終わると、私たちは席を立った。

「失礼いたします。」

兄が、頭を下げる。

私も、カーテシーをした。


父は、何も言わなかった。

義母とエレオノールは、まだ果物を食べていた。

私たちは、ダイニングルームを出た。



廊下に出ると、兄が壁に手をついた。

「……ガビ。」

「大丈夫だ。」

兄の声は、震えていた。

「母上のことを、“あの女”だなんて。」

兄の目は、潤んでいた。私は、兄の手を握った。

「兄様。」

「……リリ。」

私たちは、誰もいない廊下で、小さく寄り添った。二人だけが、家族だった。



数日がたった。

いつものように、私たちはダイニングルームへきて、いつものように末席に座った。


「旦那様、私、あの娘が苦手だわ。あの女みたい。」

義母は父にはっきりとそう言うのが聞こえた。

「私、あの娘とはうまくいかないと思うの。」

義母は続ける。

「……そうだな。……オレリーは寄宿学校へ入れよう。」

父はあごひげを触りながら、私を睨みつけながらそう言った。

「――父上、お考え直しを。」

兄上が立ち上がって叫んだが、父は無視した。


「あの眼付きですもの、厳しいところへ入れてください。」

「そうだな、あの女の娘だ。ちゃんとしつけておかないといけないな。」

義母と父で話はとんとん拍子に進んでいった。

テーブルの下で、兄上は私の手を握ってくれていた。



朝食後、義母が部屋に来た。

「オレリー。」

「はい。」

首筋に冷たい汗が伝う。


義母は、私の顔をじっと見た。それから、小さくため息をついた。

「……お前、母親によく似ているわ。」

義母の声は、ぞっとするほど冷たかった。

「その顔、……不快なのよ。あの女と同じ顔して、本当にむかつくの。」

まるでずっと言いたかったことを、吐き出すように続けた。私は、息を呑んだ。


「お父様の決めた通り、修道院の寄宿学校へ行きなさい。」

義母は、微笑んだ。でも、その目は、笑っていなかった。

「準備は、使用人にさせます。出発は、明日の朝よ。」

そう言って、義母は部屋を出ていった。



「リリ……あの女が今言っていたこと、本当なのか……修道院だって?」

兄が、信じられないという顔をした。

「はい。明日の朝……。」


「待て。父上に話す。」

兄は、立ち上がった。

でも、私は兄の腕を掴んだ。

「ガビが父上と争ったら、ガビも追い出されてしまいます。」


兄は、拳を握りしめた。

「……俺は、何もできないのか。」

兄の唇が震えそうになって噛みしめる。。

「守れない……のか。」


「兄上様は悪くありません。」

私は、兄の落ちた髪を指で優しく払いあげながら、そっと抱きしめた。

「必ず、迎えに行く。」

兄が、私の背中に手を回した。

「待っていてくれ。」

「はい。」



その夜、兄と一緒に寝た。一緒に過ごせる、最後の夜だった。

「リリ。」

「……はい。」

「僕は、絶対に諦めない。」

兄の腕の中は、いつも通りに温かかった。

でも、明日には、離れ離れになる。


朝。

どんよりと雪が降りそうな雲が、空一面を埋め尽くしていた。

馬車が、玄関に待っていた。

兄が、見送りに来てくれた。


「リリ。」

「……兄上様。」


私たちは、抱き合った。


「また、会えるわ。」

「ああ。」


私は、馬車に乗り込んだ。振り返ると、こらえきれず涙が零れる。兄の頬にも一筋の涙のあとが見えた。

馬車が動き出す。窓から見える兄の姿が、ゆっくりと遠ざかっていく。



馬車で半日、走り続けた。ようやく修道院が見えてきた。灰色の石造りの塀があり、奥に何かありそうだが見えなかった。牢獄のように感じられた。


馬車から降ろされると、小さな荷物を持たされ、馬車はそのまま行ってしまった。

仕方ないので、玄関らしきところへ行き鐘を鳴らすと、中から修道女らしき人が現れ、中に入るようにと手招きした。


小さな修道院長室へ通された。


「オレリー様、おつかれでしょう。そちらにかけなさい。」

「ありがとうございます。失礼いたします。」

疲れていたので、椅子に腰かけさせてもらった。

ここに来てから思うが、何もかもすべてが質素である。


「ここは修道院です。寄宿学校の生徒は、基本的には見習い修道女として生活してもらっています。子どもですから、仕事ではなく学習が主になりますが、自分の生活の世話は自分でできるようになってもらいます。たとえば、寝具の片づけや洗濯、食事の洗い物の手伝い、構内の掃除、畑の世話なんかがあるかしら。」

「……よろしくお願いいたします。」

「上出来よ。」


「では、衣装室で丈を測ってもらったら、着替えをもらってから、部屋へ案内しましょう。」


裏表のない素直な笑顔を向けられて、ドキッとした。


衣装室で、背丈を測り、背中や腰回りをメジャーで測られると、衣装係のシスターがこれとこれとこれ、という感じで衣装を積んでくれた。衣装は2セットで、1枚を洗っている間は1枚を着る、みたいな仕組みで、自分で管理すると言われた。


部屋は個室だった。小さな個室で、寝返りがうてない程の小さなベッドと小さな窓があるだけだった。家具は作り付けの棚があり、「祈りの書」が置かれていた。衣類やかばんはこの中に入れるしかない。

扉は一枚の布がかかっているだけだった。



修道院での生活は、規則正しかった。


朝、鐘が鳴って始まる。鐘が鳴ると次のことが始まる。すべてが鐘に支配されている。


朝の鐘が鳴り、大きな鈴の音を鳴らしながら、廊下を歩いていく人がいて、大体全員が起きる。廊下のピッチャーから水をもらい、顔を洗うと、部屋に戻ってすぐに着替える。身支度が済むと、廊下にでて扉の前に立つ。次の鈴の音で、全員で聖堂へ行く。


聖堂では前の方にシスターたちがいて、後ろの方に寄宿生たちがいる。席に着くと、シスターの一人が、祈りの書を読む。それを聞いて、その後、かなり長い間、沈黙のままじっと過ごす。小さな鐘が鳴り、また並んで食堂へ行く。


食堂では、カトラリーを並べたり、食事を配膳したりを自分たちで行った。いつも、侍女やメイドたちがやってくれていたことを自分でやるのは、最初、戸惑いがあった。でも、ここには沈黙を維持しながらも、微笑みは赦されていた。ちゃんとやると、静かな微笑みを向けられることに気が付いた。

食事は、質素だった。パンと豆スープ、時々チーズ。でも、温かかった。


食べ終わると、片付けする係だけ片付けをする。それ以外は洗濯場で洗濯。洗濯バケツに水を汲んで、その中に浸してグシュグシュと押し洗いする。それを水で洗い流したら、そのまま物干しに干す。絞らないから水が滴っているけど、しわにならないようにピンと張っておくとアイロンをかけたように乾く。洗濯が終わると、勉強。


勉強は、数人の勉強を教えられるシスターたちが教えてくれる。勉強は、厳しかった。文学、算術、歴史。


鐘が鳴ると、今度は昼の祈り。これは聖堂へ行くが、朝と違って座っている時間はない。


昼食もパンと豆スープに、時々チーズ。


食べ終えると構内の清掃。草むしりも含む、という感じで、役割分担表に従って、担当個所を清掃したり、庭や畑の草むしりをしたりする。庭に出ると、洗濯物がハタハタしているのが見えた。大きな麦わら帽子をかぶっての草むしりは、結構好きだった。


鐘が鳴ると、教室へ向かって午後の授業。午後は料理や縫物、そして、刺繍。私は刺繍が好きだった。母が教えてくれたから。


夕方の祈り。これは朝の祈りと一緒で、祈りの書を読んだ後は、じっと座る時間がある。それが終わると、夕食。


夕食後は自由時間で、希望者は縫物や刺繍もすることができた。作品はバザーで売りに出されるらしく、私は刺繍を選んだ。針を刺すたびに、母を思い出す。

「いつか、辛いことがあるかもしれない。」

「でも、あなたは強い子よ。」

母の声が、聞こえる気がした。


夜の鐘が鳴ると、刺繍は片付けて、部屋に備え付けられた祈りの書の寝る前の祈りを読む。チリンという鈴の音が鳴るまで沈黙。


そして、消灯。明かりを消すと、真っ暗だった。目が慣れてくると、カーテンのない窓から入る月の光が部屋を照らしているのが分かる。兄は、どうしているだろう。毎週末、家庭へ手紙を書く時間があり、何度も兄に手紙を書いたが、返事は来なかった。私は眠れなくて、起きて窓に近づいた。夜空を見上げると、星が綺麗だった。兄も、同じ星を見ているだろうか。


私は、小さく祈った。

「神様、兄様を守ってください。」

そして、眠りについた。



毎日、同じことの繰り返し。



家とは全く連絡が取れない。院長に聞くと、手紙はちゃんと送ってくれていると言ってくれ、心配なら、自分で出しに行ってもいいと言われた。何度か外出許可を取って近くの郵便局まで手紙を出しにも行った。でも、返信は来なかった。院長は心配してくれたが、侯爵家に物申すことはできないと沈黙を守った。手紙は侯爵家までは届いている。兄にも届いているのかもしれないと思うと、返事はなかったけど、毎週、書き続けた。


毎日刻まれるように、活動の合間に祈りが挟み込まれる。


最初はじっと座っていると眠くなってしまったりして辛かったが、いつの間にか母に抱かれるような気持になるようになっていった。


祈りの書に書かれる神様が、沈黙の中で座っているうちに、いつも隣にいてくれているように感じるようになった。死んでしまった母も同様に、私の側で見守ってくれている、母に与えられた愛は永遠に私を包み込んでくれているとそう思えるようになっていった。


毎夜、刺繍を刺しながら、兄と母を思い出す。


私は修道院で育ったけど、教育も与えられ、沈黙はあるが、人間らしい生活ができた。返事の来ない兄がどういう生活をしているか心配だった。兄も追い出されて、どこかで平穏に生活してくれていることを願うばかりだった。





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