第3話:孤独な戦い(ガブリエル視点)
リリがいなくなって、初めての朝。
部屋は、静かだった。
隣のリリの部屋に、リリはいない。
僕は、ベッドから起き上がった。
胸が、痛かった。
妹を、守れなかった。
◇
ある日、父に呼ばれた。
「ガブリエル。」
「はい。」
「お前の妹は、修道院で苦労しているらしい。」
父は、にやにやしながら、冷たく言い放った。
「いい気味だ。あの女の娘なんぞ要らん。お前も、生まれてこなければよかったんだ。」
僕は、手を握り込む。爪が掌に食い込む。でも、何も言えなかった。
リリに手紙を書いた。でも、返事は来なかった。執事に聞いても、「わかりません」と言われるだけだった。
リリは、元気だろうか。
会いたい。
◇
「若様、奥様がお呼びです。」
「何だろう……。」
嫌な予感しかしないが、呼び出しに応じなかったら、何を言い出すかと考えると、仕方なく出向いた。
部屋の前に行くと、従僕が「ガブリエル様がお見えです」と声をかけた。しばらくして、中から扉が開けられると、侍女が姿を現した。
「ガブリエル様だけ、中へ。おつきの方は廊下でお待ちください。」
ジュリアンと目を見合わせた。ジュリアンの目が不満を表していたが、仕方ないので義母の部屋へと入った。扉は後ろで閉まり、施錠される音がした。そのまま奥の部屋へと案内される。廊下からは一部屋分、奥へと入ってしまったから、ここでの声は廊下へは漏れないだろう。義母の書斎に連れていかれた。義母はソファに腰を掛けながら、こちらをみて、口角をぐっと上げて嬉しそうに声をかけてきた。
「これ、オレリーからのあなたへの手紙よ。読みたいなら、そこで跪きなさい。」
「その手紙は私のものだ。あなたにそれを取り上げる権利はないはずだ。」
「いうことを聞かないと、オレリーの仕送りを減らしてもらうわよ。そこで跪いて、手をついて、私に謝って。」
「そんな必要はない。」
「――やらせなさい。」
義母などにこのような仕打ちを受けるなど、信じられなくて言い張ると、そばにいた従僕が二人がかりで僕を床に膝をつかせて、両手を床につけた。そして、額を床にこすりつけられた。
「オレリーの仕送りは、今月分は送らないことにするわ。」
僕は従僕たちに押さえつけられたまま、心が折れたのを感じた。
「……義母上、どうか、オレリーには。」
「……最初から、そうすればいいのよ。でも、謝罪だけでは許せないわ。」
「では、僕に、罰を与えてください。オレリーには、何もしないでください。」
「――罰ね。いいわ、あなたに罰を与えて、オレリーはゆるしてあげる。」
「じゃ、お前たち、その子の背中に鞭を当てなさい。そうね、3回で許してあげる。」
「奥様!?」
従僕たちが驚きで声をあげた。僕も鞭と聞いて背筋がぞくっとした。
「なによ、やりなさい。」
「……はい。」
上着を脱ぐように言われて、従った。
1度目、あまりの痛みにうめき声をあげてしまう。
2度、3度と背中にむちが当てられる。
「ガブリエル、この手紙、読みたい?」
僕はうなずいた。
「そう。」
義母は目の前で、手紙をろうそくにかざした。パッと火がついて、皿の上でめらめらと燃やされていく。
“お兄様へ”という表書きが、妹の字が確かに読み取れた。
「もういいわ。連れて行きなさい。」
「はい。」
従僕の一人が僕の衣類をかき集めた。そして、もう一人は僕を背負うとその部屋をでて、廊下へと向かった。
「ガブリエル様!!何てことを!!」
「お前、主を守りたければ、黙ることを学べ。」
廊下でジュリアンが声をあげると、従僕の一人が小さく言った。
「ジュリアン、大丈夫だ……。」
「医務室で手当てをする。ついてこい。」
「は、はい。お願いします。」
むち打ちをした二人は、義母のすることに納得はいかない様子だった。医務室に運ぶと、医師も義母のやりように憤りを漏らし、その後は淡々と手当てをしてくれた。先ほどの従僕が再び僕を背負うと、部屋まで送り届けてくれ、ベッドへうつぶせの恰好で寝かせてくれた。
「治るのに、しばらくかかるだろう。しっかり面倒を見るんだぞ。」
「はい。ありがとうございました。」
「いや、俺たちが加えた傷だ。俺たちもどうしようもない。すまない。」
その日の夜、ジュリアンが心配している。ベッドで、冷えたスープにパンをちぎって浸し、柔らかくしたものを手渡してくれた。少しずつ口に入れる。
「どうしても、これしかもらえなくて。」
「いいんだ。食堂に行かなくても、これがもらえただけましだ。お前まで失いたくない。お前は絶対に、あいつらに、たてついちゃいけない。」
「……はい。」
「そうだ、オレリーの子どもの頃の日記が、オレリーの箱に入っていただろ?あれ、持ってきてくれないか。」
「あぁ、あれですね、わかりました。」
食事の後、医者がだしてくれた薬湯を飲み、うつぶせのまま、オレリーの日記を開いた。
“ははうえさま、きょうは、あにうえとおはなをとりました。あにうえは、りりのかみにおはなをつけました。”
“やさしいおにいさまですね。りりのかみはとてもきれいになりましたね。”
リリの日記に母上が丁寧にコメントを付けている。ぽたりと日記に涙が落ちるのを見て、自分が泣いているのに気が付いた。母上が亡くなってしまって、リリが修道院で苦しんでいるというのに、何もしてあげられない。その上、この仕打ち。父上に何か言っても、何も変わらないだろう。僕の存在を疎ましく思っている人だから。
◇
その日は、父が領地へ行っている日だった。
いつも通り、夕食にダイニングルームへ行った。
エレオノールが手にしていたのは、妹がいつも送ってくる封筒だった。開けて読んでいる。
席に着くことができなくて、目でその封筒を見つめてしまった。
「お兄様、これ、欲しい?」
「まぁ、エレオノール、何をする気なの?」
「お兄様、いつもパンばかりでお肉食べていないから、差し上げようと思って。」
フォークに一口に切った肉を刺して、見せつけてきて、そのままフォークごと床に落とした。肉は床に落ちて、フォークは肉から外れて壁の方へと飛んで行った。
「これ。手を使わないで食べたら、お手紙を渡してあげてもよくってよ。」
「まあまあ、エレオノールは優しいのね。ガブリエル、お前は何をすべきかわかっているわよね。」
義母は僕に鞭打つときの微笑みを顔に貼り付けた。
僕は床に這いつくばって、肉に口を付けた。
「やだ、お兄様、本当にそんなにお肉が欲しかったの?」
「お前は優しい子ね。」
「もう一切れ上げようかしら。」
エレオノールが肉片を床に投げてきた。義母は僕を睨みつける。
僕は床に落ちた肉を、床に口を付けて口に入れる。ただ、咀嚼して呑み込む。
「じゃ、エレオノール、封筒だけ、お兄様にあげなさい。」
「はい、わかりました。」
エレオノールは封筒を手に取ると、給仕がそれを預かり、僕のもとへ届けてくれた。妹の字だった。すぐにポケットにしまい、ダイニングテーブルの自分の席へと着く。ひどい与えられ方だったけど、肉を食べたのは久しぶりだった。テーブルに自分の分として与えられている、冷めた塩味のスープと硬いパンを食べる。スープには豆がたくさん入っている。おそらく、料理人が気を利かせてくれているのだと思う。
◇
図書室へと行く途中で、父と出会ってしまった。
「オレリーが助けてくれと手紙を書いてきた。」
「!」
「修道院長へ、もっと厳しくするように手紙を送っておいたぞ。」
「――なんてことを。お願いします、オレリーを屋敷に戻してください。」
「お前の望みを打ち砕けて、楽しいね。お前の母親が知ったら、何て言うんだろうな。」
「――。」
「お前なんていらなかった。どこかで野垂れ死んでくれていいのにな。」
部屋へ戻り、オレリーのことが心配で仕方がなかった。手紙を書き、修道院長へも、どうか優しく扱ってくれるようにと願う手紙を書いた。
◇
義母は週末に僕を呼び出しては、妹の手紙を見せてきた。助けてと書いてあると言う。そして、燃やしてしまうと、部屋を出ていいけという。義母に与えられた傷が完全に癒えることがないまま、日々が過ぎた。背には無数の傷がある。心にも同様に傷がついているのかもしれない。
◇
オレリーが18歳になった年の初夏、修道院の寄宿学校を卒業して屋敷へ戻ってきた。
偶然にも父と義母と義妹が、隣の領地で行われている祭りを見に行くということで出かけていた日だった。
僕は馬車がついたという従僕の知らせに、玄関へと急いだ。
麦わら帽子を取って、髪を後ろで一つに束ねて、見習い修道服を着た女性が、そこに立っていた。
「兄上様?」
「リリか?」
お互いにお互いの幼いころからの面差しを今の姿に見ると、抱きしめ合った。
「兄上様、痩せてらっしゃいますね……。」
「……この家は、碌な状態ではない。お前は、つらくなかったか?」
「修道院は穏やかで、平和な環境でした。」
「そうか、では、父上も義母も僕にうそをついていたのだな……。でも、平和な日々だったのなら、よかった。」
「手紙をたくさん書きました。届いていましたか?」
「届いているのは見ていたよ。読ませてはもらえなかったが。」
「え?」
話しながら部屋へと向かった。
「懐かしい……。」
「母上のドレスは、あの女がすべて売ってしまったよ。」
「……兄上様がいれば、十分です。」
「お前のものも、結構、持っていかれた。」
「……兄上様、私だけ修道院で、平和に暮らしていたなんて……。」
「お前が無事だったのなら、僕の心配はほとんどなくなったよ。よかったのさ。」
リリは、手際よく、部屋に荷物を片付けると、ベッドも自分で整えてしまった。
「寄宿学校ではなんでも自分でやるように言われました。私、料理も洗濯もできます。」
「それは頼もしいな。」
「若様、今日の昼食はお部屋のダイニングにお二人分用意してあります。」
「わかった。」
しばらく、リリの部屋で話をしているとジュリアンが食事だと呼びに来た。
ダイニングルームへ来て、食事の内容にリリが黙り込んでしまった。
「すまないな、僕らにはこのような食事しか出てこないんだ。」
「……ジュリアン、あなたの部屋に暖炉はあるわよね?」
「はい。」
「かまどを作って、そこで私が料理するわ。見つからなければいいのよね?あの人たち、今日は遅いのよね?だったら、これ食べたら、出かけたいわ。ジュリアンついてきてくれる?」
「若様、いいですか?」
「僕がついて行くと目立つからな。頼む。」
「それと、ジュリアン、メイドの衣装を手に入れてきて。この格好より、目立たないと思うわ。」
「了解です。」
リリとジュリアンで、こっそりと部屋を出ていき、ジュリアン出資でかまどにするためのレンガや、金属の棒、鍋などを見繕ってきて、食材も卵と豆を買い込んできた。今までもジュリアンが菓子を見つけてはくすねてきてくれていたが、これは本格的だった。
リリはジュリアンの暖炉に簡単にかまどを作って、鍋を置いた。藁の中にいくつもの卵と袋一杯の豆と小麦粉。往復の道端で摘んだというハーブと塩が用意されていた。手慣れた手つきで、ニョッキの入った卵豆スープを作ってしまった。
「兄上様、どうかしら。美味しいといいのだけど。」
安っぽいスープ皿に木のさじ。でも、スープは美味しくて、ニョッキは腹にたまった。
「この家の食事は、修道院でも出ないレベルです。こういうスープやパン、たまにチーズやリンゴが食べられました。それと、刺繍の仕事を見つけてきました。まずはワンピースの刺繍からですが、そのうち、大物を任せてもらえるようになりますわ。」
リリがたくましく育っているのを見て、なんだか驚いてしまっていた。
◇
リリが帰ってきた翌日、リリと庭を散策し、道との境の垣根のところまで来ると、外から声が聞こえてきた。
「あの、若様でしょうか。」
「……何者だ?」
ジュリアンが前に出た。
「公爵領の、北の町の代表のテオドールと申します。税のことで相談が。」
「……ジュリアン、この先の柵の切れたところへ案内しろ。例の木陰で話そう。」
テオドールという男が持ってきた帳簿と、話を合わせると、父は税金を違法なほどに重く課しているようだった。テオドールは、領民は限界にきていると話す。
「何とかしてみようと思うが、まだ何とも言えない。しばらく、待っていてくれないか?」
「若様……。」
テオドールは悔しそうに顔を顰めた。
「テオドールさん、兄上様は待てと言っただけです。私たちでできるだけ早く証拠を見つけます。信じて、待っていてくださいませんか?」
リリがテオドールに声をかける。テオドールは驚いたようにリリを見つめて、僕を見た。僕はうなずいた。
「どうか、どうか、よろしくお願いします。」
「あぁ、どうにかしてみるから、待ってくれ。」
拝むようにして頼み込むと、テオドールはジュリアンに従って、また柵の切れたところへ行って帰っていった。




