第87話「青き外科手術」
シルフィの庭園に戻った俺たちは、すぐさま治療の準備に取り掛かった。
周囲には、噂を聞きつけたエルフたちが遠巻きに集まり、不安そうにこちらを覗き見ている。
その視線には、期待よりも恐怖の色が濃い。
「始めよう。まずは土壌改良だ」
俺は採取してきた『消石灰(白い粉)』を、若木の根元周辺に撒いた。
真っ白な粉が、強酸性でベチャベチャになった黒土を覆っていく。
「これで土のpHを中和する。酸性になりすぎた土を、植物が住みやすい弱酸性に戻すんだ」
俺はスコップで土と石灰を混ぜ合わせる。
地味な作業だが、これが一番重要だ。
足元が腐っていては、どんな薬も効かない。
「次は薬剤の調合だ。……リリア、水を頼む」
「了解!」
リリアが汲んできた水に、青い『硫酸銅』と白い『石灰乳』を混ぜ合わせる。
化学反応が起き、バケツの中身が不透明なスカイブルーへと変貌した。
自然界には存在しない、強烈な化学の色だ。
「うわぁ……。本当にすごい色。スライムみたい」
「見た目は悪いが、これが最強の殺菌剤だ」
俺は刷毛と、剪定用のハサミを手に取った。
ここからが本番だ。
「シルフィ様。これから少し手荒なことをする。……見ていて辛いかもしれないが、目を逸らさないでくれ」
「……はい。覚悟はできています」
俺は若木に歩み寄った。
カビに覆われ、完全に枯死している枝を見極める。
そして――。
パチンッ!
乾いた音が響き、枯れた枝が切り落とされた。
「ひっ!?」
「き、木を切ったぞ!?」
遠巻きに見ていたエルフたちから悲鳴が上がる。
神聖な木に刃物を入れるなど、彼らにとっては殺人にも等しい暴挙だ。
「やめろ貴様ッ!!」
怒号と共に、大長老が血相を変えて飛び出してきた。
「気でも狂ったか! 薬を使うと聞いていたが、刃を向けるなど聞いておらんぞ! 今すぐやめさせろ!」
警備兵たちが槍を構えて突っ込んでくる。
だが、その前にリリアが立ちはだかり、鋭い眼光だけで彼らを威圧して足を止めさせた。
「邪魔しないで。アレンさんは今、手術中なんだから」
「大長老様、下がってください!」
シルフィもまた、両手を広げて立ち塞がった。
「見てください! アレン殿が切っているのは、もう助からない『死んだ部分』だけです!」
俺は作業を止めず、淡々とハサミを動かし続けた。
パチン、パチン。
壊死した組織を残しておくと、そこから腐敗が広がる。
人間で言えば、壊疽した手足を切断して命を救うのと同じだ。
「これは『剪定』という治療だ。腐った部分を切り落とし、風通しを良くして、元気な枝に栄養を集中させる」
不要な枝を落とし終えると、若木はずいぶんとスッキリした姿になった。
そこへ、例の「青い液体」をたっぷりと塗りたくっていく。
切り口にも、幹のカビが生えた部分にも。
ベチャッ、ベチャッ。
神聖な若木が、見るも無残な青色に染まっていく。
その光景に、大長老は泡を吹いて卒倒しかけた。
「あ、青い……! 木が毒の色に染まっていく……! お、おのれ人間、これが治療だと!? 呪いをかけたに違いない!」
「黙って見ていろ!」
俺は初めて声を荒らげ、長老を一喝した。
「これは『ボルドー液』の被膜だ! カビを殺し、新たな菌の侵入を防ぐバリアになる! ……綺麗事で命が救えるか。泥と薬に塗れるのが『生きる』ってことだ!」
俺の気迫に、長老がたじろぐ。
俺は最後の一塗りを行い、刷毛をバケツに戻した。
「……処置完了だ」
そこには、白い粉が撒かれた土の上に立つ、青い斑点だらけの若木があった。
美しい緑のエルフの森において、そこだけが異質な、科学実験場のような光景。
だが、俺には分かっていた。
これが「回復」への第一歩だと。
「あとは待つだけだ。……植物の生命力を信じて」
太陽が沈み、森に夜が訪れる。
青く染まった木は、月明かりの下で静かに佇んでいた。
運命の審判まで、あと二日。
(第87話 完)
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