第83話「深夜の土壌調査」
「……よし。見張りは向こうに行った」
深夜のエルフの森。
木々の隙間から漏れる月明かりだけを頼りに、俺とリリアは足音を殺して移動していた。
留守番のシェリーには、俺のマジックバッグから出した「特製ビーフジャーキー(ドラゴンの肉)」を大量に与えてある。
今頃、夢中で噛み締めているか、満腹で寝ている頃だろう。
「さすがリリア。足音が全くしないな」
「えへへ、これでも冒険者だからね! 迷宮での隠密行動は得意なんだよ」
リリアが小声で自慢げに胸を張る。
俺たちは監視のエルフたちの巡回ルートを盗み見し、その隙を突いて世界樹の根元近くまで接近していた。
「……でもアレンさん。なんか、この森変だよ」
「変?」
「うん。静かすぎるの。虫の鳴き声も、動物の気配もしない。まるで……死んでるみたい」
リリアの野生の勘は正しい。
本来、豊かな森なら夜行性の虫や小動物で騒がしいはずだ。
だが、ここには「沈黙」しかない。生態系が崩壊している証拠だ。
「ここら辺でいいだろう」
世界樹から数十メートル離れた地点。
巨大な根が地面から隆起している場所で、俺は足を止めた。
俺は膝をつき、携帯用のスコップを取り出す。
「リリア、周囲の警戒を頼む。俺は土を調べる」
「了解。……気をつけてね」
リリアが愛剣の柄に手をかけ、周囲に目を光らせる。
俺は地面の落ち葉を退け、黒ずんだ土を掘り返した。
(硬いな……。団粒構造が壊れて、土が締め固まっている)
健康な土はフカフカとして空気を含んでいるものだが、この土はまるで粘土のようにベチャッとして重い。
俺は採取した土をビーカーに入れ、持参した「精製水」を注いでよくかき混ぜた。
そして、懐からあるものを取り出す。
細長い短冊状の紙片――『万能pH試験紙(リトマス紙の進化版)』だ。
前世の知識を使い、リトマス苔や紫キャベツの色素を定着させて作った、アレン工房のオリジナル検査キットである。
「それ、なに? お札?」
「いいや。これは『酸性』か『アルカリ性』かを調べるための紙だ。……見ててくれ」
俺は試験紙を、泥水の上澄みに浸した。
瞬間。
黄色かった紙の色が、みるみるうちに変化していく。
「あ、赤くなった!」
「……やっぱりか」
俺は赤く染まった紙を見て、重い溜め息をついた。
その色は、危険信号を示す濃い赤色だった。
「pH4.0以下……。予想以上の『強酸性』だ」
「きょうさんせい? それって悪いの?」
「最悪だ。多くの植物は、pH6.0〜6.5くらいの弱酸性を好む。ここまで酸性が強いと、根っこが焼けて栄養を吸えなくなるんだ。……人間で言えば、毎日お酢のプールに浸かっているようなもんだよ」
さらに悪いことに、土壌が酸性化すると、土の中に含まれるアルミニウムが溶け出し、植物の根にとって猛毒となる。
世界樹は今、毒の沼に足を突っ込んでいる状態なのだ。
「でも、どうしてこんなことに? エルフさんたちは森を大事にしてるんでしょ?」
「ああ。だからこそ不思議だった。……だが、これを見て謎が解けたよ」
俺は視線を、すぐ近くにある小さな祭壇へと向けた。
そこには、世界樹への供物として、美しいガラスの瓶に入った「水」が捧げられていた。
エルフたちが毎朝、儀式として世界樹の根元に撒いている『清めの水』だ。
俺はその水を少しだけ採取し、再び試験紙を浸した。
結果は――変化なし。色は黄色のまま。つまり「中性」だ。
「あれ? 赤くならないよ?」
「ああ。これは酸性じゃない。……だが、もっとタチが悪い」
俺は別の試薬――電気を通すかどうかを調べる簡易装置(魔力伝導チェッカー)を水に入れた。
ランプは点灯しない。電気が流れないのだ。
「リリア。これはただの水じゃない。『超純水』だ」
「ちょう……じゅんすい?」
「魔法で徹底的に濾過して、不純物を極限まで取り除いた水だ。エルフたちにとっては『最も穢れのない聖なる水』なんだろうが……」
俺は苦々しい顔で告げた。
「植物にとっては『飢えた水』なんだ」
水には、濃度の高い方へ移動しようとする性質(浸透圧)や、物を溶かし込もうとする性質がある。
ミネラルを全く含まない超純水を土に撒けばどうなるか。
土の中にわずかに残っていたカルシウムやマグネシウムといった栄養分を、水が無理やり溶かし込み、地下深くへと洗い流してしまうのだ。
「彼らは『清める』つもりで、土から栄養を奪い取り、スカスカにしていたんだ。そこへ酸性雨が降り注げば……土壌の緩衝作用(酸性を和らげる力)がなくなっているから、一気に酸性化が進む」
「そんな……。じゃあ、エルフさんたちが頑張れば頑張るほど、世界樹を苦しめてたってこと?」
「悲しいけど、そういうことになる」
無知とは罪だ。
彼らの信仰心が、皮肉にも森を殺す凶器になっていた。
俺は分析結果をノートに書き留め、試験紙を挟み込んだ。
これが動かぬ証拠になる。
「……誰だ!」
その時。
鋭い声と共に、複数のランタンの光が俺たちを照らし出した。
「しまっ……囲まれた!?」
リリアが剣を構える。
森の闇から現れたのは、弓を構えたエルフの警備隊と、怒りに震える長老たちだった。
「夜分にこそこそと……やはり人間は信用できん!」
「神聖な根元を穢した罪、万死に値するぞ!」
殺気立ったエルフたちが、ジリジリと包囲網を狭めてくる。
俺は両手を上げ、しかし視線だけは強く長老を見据えた。
「穢してなんかいませんよ。……俺はただ、『診断』をしただけです」
「黙れ! 投獄せよ! 世界樹様を傷つける前に!」
問答無用か。
だが、証拠は揃った。
あとは、この頑固な連中にどうやって「科学の真実」を叩きつけるかだ。
「リリア、抵抗するな。……一度捕まろう」
「えっ!? 本気?」
「ああ。騒ぎを大きくして、全員の前で『事実』を突きつけてやる」
俺たちは武器を捨て、大人しく拘束された。
冷たい手錠の感触を感じながら、俺は頭の中で次の「実験」の準備を始めていた。
(第83話 完)
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