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第8話「王都からの志願者」

工房の裏手にある小さな空き地。


俺とエミリアは、そこに立って土を見つめていた。


「ここで薬草を育てるんですか?」


「ああ。まずは試験的に、ヒールハーブから始めよう」


雑草が生い茂るこの土地を、薬草栽培に適した畑に変える。前世で学んだ農業知識が、ついに活かせる時が来た。


「土壌改良が必要だな。まず、土の状態を調べよう」


俺は土を手に取り、感触を確かめた。


「砂が多すぎる。これじゃ水はけが良すぎて、水分を保てない」


「どうすればいいんですか?」


「腐葉土を混ぜる必要がある。あと、堆肥も。そうすれば土が柔らかくなって、保水性も上がる」


エミリアは真剣な顔でノートにメモを取っている。


「それと、日照条件も重要だ。ヒールハーブは半日陰を好む。午前中だけ日が当たるこの場所は、ちょうどいい」


「へえ...知らなかったです」


「野生の薬草は森の木陰に生えてるだろ?つまり、直射日光が苦手なんだ」


エミリアは目を輝かせた。


「なるほど!だから森で採れるんですね」


「その通り。自然を観察すれば、育て方のヒントが見つかる」




昼過ぎ、俺たちは街の農具屋で鍬とシャベルを買った。


「よし、土を耕すぞ」


「はい!」


エミリアと二人、汗を流しながら土を掘り返す。固まった土をほぐし、石を取り除く。地道な作業だ。


でも、これが大切なんだ。良い土がなければ、良い薬草は育たない。製造と同じで、基礎が全てを決める。


「師匠、すごく力持ちなんですね」


「え?そうか?」


エミリアが感心したように言った。確かに、前世より体力はあるかもしれない。18歳の若い体だからな。


「錬金術師って、体力仕事も多いんですよ」


「そうなんですか?」


「ああ。薬草を運んだり、器具を洗ったり。意外と体を使う」


「なるほど...」


作業を続けながら、俺は前世のことを思い出していた。研究室に籠もりきりで、運動不足だった日々。気づいたら過労で倒れていた。


「今世では、もっとバランスよく生きよう」


「え?」


「いや、独り言」




夕方、土壌改良の準備が整った。


「明日、堆肥と腐葉土を買ってきて混ぜ込もう」


「はい。その後、種を植えるんですか?」


「いや、まずは苗からだ。マーティンさんに頼んで、良い苗を分けてもらう」


エミリアは嬉しそうに頷いた。


「楽しみです。自分で育てた薬草で、ポーションが作れるなんて」


「ああ。そうなれば、完全に品質をコントロールできる。これが、俺の目指す形だ」


工房に戻ると、扉の前に誰かが座っていた。


「あれ?」


近づくと、それは若い男性だった。ローブを着て、両手に大きな荷物を抱えている。


「すみません、どなたですか?」


男性が顔を上げた。20代前半くらいだろうか。疲れた表情をしている。


「あの...アレン・クロフォードさんですか?」


「はい、そうですが」


男性は立ち上がり、深々と頭を下げた。


「初めまして。私はルーカス・ブラウンと申します。王都から来ました」


「王都から?」


嫌な予感がした。まさか、ギルドが何か言ってきたのか?


「実は...お願いがあって参りました」


ルーカスは真剣な顔で俺を見た。


「どうか、私を弟子にしてください!」


「え?」




工房の中に案内し、椅子を勧めた。


「まず、落ち着いて説明してください。どうして俺に弟子入りを?」


ルーカスは荷物を床に置いて、ゆっくりと話し始めた。


「私は王都の錬金術師ギルドに所属していました。でも、ギルドのやり方に疑問を感じていたんです」


「疑問?」


「はい。経験と勘だけに頼る製造方法。品質が安定しない。客からのクレームも多い。でも、誰も改善しようとしない」


ルーカスの言葉に、俺は驚いた。


「それで、どうしてここに?」


「噂を聞いたんです。追放されたアレン・クロフォードという錬金術師が、辺境で革新的なポーションを作っていると」


「革新的...」


「はい。温度管理、正確な計量、製造記録。そして、驚くほど高品質で安価なポーション。王都でも話題になっています」


そこまで広まっているのか。


「私も同じことを考えていたんです。でも、ギルドでは誰も聞いてくれなかった。だから...」


ルーカスは再び頭を下げた。


「どうか、あなたの元で学ばせてください。正しい錬金術を」


俺は黙って考えた。


エミリアは初心者だから、ゼロから教えられる。でも、ルーカスはギルドで学んでいる。変な癖がついているかもしれない。


「ルーカスさん、一つ聞いてもいいですか」


「はい」


「あなたは今まで、どんなポーションを作ってきました?」


「下級回復ポーションと、魔力回復ポーションです。でも、品質は...正直、安定していませんでした」


「温度は測っていましたか?」


「いえ。『適温』としか教わっていません」


「分量は?」


「目分量です。『この くらい』という感覚で」


やはり、典型的なギルドの教育だ。


「ルーカスさん、うちのやり方は、あなたが今まで学んできたことと全然違います。一から学び直す覚悟はありますか?」


「あります!」


ルーカスは力強く頷いた。


「むしろ、それを望んでいます。今までのやり方は、間違っていたと思っています」


その目に、嘘はなかった。


「...分かりました。試用期間として、1ヶ月様子を見ましょう」


「本当ですか!?」


「ただし、条件があります」


俺は指を三本立てた。


「一つ、全ての指示に従うこと。疑問があれば質問してください。でも、勝手な判断はしないこと」


「はい」


「二つ、記録をつけること。全ての工程、全ての数値を記録します」


「分かりました」


「三つ、エミリアの先輩として、彼女をサポートすること。分からないことがあれば、一緒に考えてください」


ルーカスはエミリアを見た。エミリアは緊張した顔で会釈した。


「よろしくお願いします、ルーカスさん」


「こちらこそ。一緒に頑張りましょう」




その日の夜、俺は三人分の教育プログラムを考えていた。


エミリアは薬草栽培と基礎的な抽出作業。


ルーカスは既存知識の修正と、品質管理の基礎。


そして俺は、二人を教えながら、さらなる改善を続ける。


「人が増えるのは嬉しいけど...教えることも増えるな」


でも、悪くない。


前世では、上司が無能で部下がやる気なしという環境だった。でも、ここは違う。


エミリアは真面目で素直。ルーカスは意欲的で向上心がある。


「こういう仲間と働きたかったんだよな」


ノートに教育計画を書き込んでいると、工房の扉がノックされた。


「はい?」


「師匠、まだ起きてますか?」


エミリアの声だ。


「ああ、どうした?」


「あの...ルーカスさんのこと、ちょっと心配で」


エミリアが工房に入ってきた。


「心配?」


「はい。彼、今日は宿に泊まるって言ってましたけど、お金大丈夫なんでしょうか?」


「...確かに」


王都からリバーサイドまでは、馬車で三日。旅費もかかっただろう。


「明日、聞いてみよう。もし困っているなら、工房の片隅に寝床を作ってもいい」


「師匠、優しいんですね」


「別に。戦力になってもらわないと困るからな」


俺は照れ隠しに、そっぽを向いた。


エミリアは微笑んで言った。


「でも、嬉しいです。仲間が増えて」


「ああ。これから忙しくなるぞ」


「はい。頑張ります」




翌朝、三人で工房の掃除から始めた。


「5Sの基本は、整理・整頓・清掃です」


俺はルーカスに説明した。


「5S...ですか?」


「ああ。清潔な環境じゃないと、品質の高いポーションは作れない」


「王都のギルドでは、そんなこと教わりませんでした」


「だろうな。でも、これが基本中の基本なんだ」


三人で工房の隅々まで掃除し、道具を整頓する。エミリアは慣れた手つきだが、ルーカスは少し戸惑っている。


「ルーカスさん、その計量カップは、あっちの棚です」


「あ、すみません」


「大丈夫ですよ。最初はみんな同じです」


エミリアが優しくフォローする。良い先輩になってくれそうだ。


掃除が終わると、俺は二人に温度計と計量カップを見せた。


「今日は、基礎実験をします。温度の違いで、効果がどう変わるか」


「昨日、師匠と一緒にやった実験ですね」エミリアが言った。


「ああ。今度はルーカスさんにも体験してもらう」


ルーカスは興味津々で器具を見つめている。


「これが温度計...初めて見ました」


「マルコさんに作ってもらったんだ。この色で温度が分かる」


「すごい...これなら、正確に温度管理ができますね」


「その通り。これがあるとないとでは、品質が全然違う」


実験を開始した。


69度、71度、73度。三つの温度でヒールハーブを抽出する。


ルーカスは真剣な顔で、温度計を見つめている。


「温度を一定に保つのが...難しいですね」


「最初はみんなそうだ。慣れれば大丈夫」


エミリアが魔道炉の調整を手伝う。


「こうすると、安定しますよ」


「ありがとう、エミリアさん」


二人の連携が、徐々に生まれてきている。




実験が終わり、三つのサンプルができた。


「じゃあ、効果測定をしよう」


俺はナイフで指を切った。


「あ、師匠!」


「大丈夫。これがテストだから」


三つのポーションを順番に試す。


「71度が、やっぱり一番早いな」


ルーカスは驚いた顔で俺の手を見ていた。


「たった2度の違いで、こんなに変わるんですか...」


「ああ。これがデータの力だ。感覚じゃなく、数値で判断する」


「すごい...」


ルーカスはノートに結果を書き込んでいる。その手つきは、真剣そのものだ。


「ルーカスさん、記録の取り方、上手ですね」


エミリアが褒めた。


「ありがとう。でも、まだまだです。もっと正確に、もっと詳しく記録しないと」


良い姿勢だ。この調子なら、すぐに戦力になってくれるだろう。


昼過ぎ、いつものように冒険者たちが来店した。


「今日もポーションお願い!」


「ああ、いらっしゃい」


接客している俺の後ろで、エミリアとルーカスが製造の準備をしている。


「アレンさん、今日は助手がいるんだ?」


リリアが興味津々で尋ねてきた。


「ああ。エミリアは前から手伝ってもらってる。あっちのルーカスは昨日から」


「へえ、増員したんだ!じゃあ、もっとたくさん作れるようになる?」


「そうだといいんだけどな。まずは教育が先だ」


リリアは嬉しそうに笑った。


「アレンさん、先生みたいだね」


「先生...か」


前世では、部下を教える機会がなかった。いつも一人で黙々と仕事をしていた。


でも、今は違う。エミリアとルーカスという、優秀な弟子がいる。


「悪くないな、この感じ」




その夜、三人で今日の振り返りをした。


「今日学んだこと、質問はありますか?」


ルーカスが手を挙げた。


「温度管理の重要性は分かりました。でも、なぜ71度が最適なのか、理論的に説明できますか?」


良い質問だ。


「前世の――じゃなくて、昔学んだ化学の知識なんだが」


俺は簡単な図を描いた。


「ヒールハーブの有効成分は、ある温度で最も溶け出しやすくなる。高すぎると成分が壊れ、低すぎると十分に抽出できない」


「なるほど...化学反応には最適温度があるんですね」


「その通り。そして、それを見つけるには、実験とデータが必要なんだ」


ルーカスは感心したように頷いた。


「王都では、誰もこんなこと教えてくれませんでした」


「教えられる人がいなかったんだろう。でも、ここでは違う。全部、データに基づいて判断する」


エミリアも嬉しそうに言った。


「私も、最初は難しいと思ってました。でも、理由が分かると、すごく面白いです」


「そうだろ?理論を理解すれば、応用もできるようになる」


三人で話していると、時間があっという間に過ぎていく。


こういう時間が、俺は好きだ。




寝る前、俺は一人、製造記録を更新していた。


-------------------

【新体制スタート】


エミリア: 薬草栽培と基礎抽出作業

ルーカス: 品質管理の基礎と製造補助

アレン: 教育と新製品開発

-------------------


「やっと、チームらしくなってきたな」


王都では孤独だった。誰も理解してくれなかった。


でも、リバーサイドは違う。


ギルバートさん、マルコさん、リリア、エミリア、そしてルーカス。


みんな、俺を支えてくれる。


「この街に来て、本当に良かった」


窓の外を見ると、満月が輝いていた。


明日も、三人で頑張ろう。


俺たちの工房は、少しずつ大きくなっている。


そして、いつか――


王都を超えるポーションを作る。


その日は、きっと遠くない。




【第8話 完】

第8話をお読みいただきありがとうございます!


面白かったと少しでも感じていただけたら、


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