第72話「遺された『黒い手記』と、創立者の正体」
静寂に包まれた最奥の部屋。
俺はガラスケースを慎重に外し、鎮座していた「黒い本」を手に取った。
表紙には何の装飾もなく、ただ黒い革で装丁されている。
「……先生、その本からすごい『圧』を感じます。呪いの書とかじゃないですよね?」
「触っただけで即死とか、やめてくださいよ?」
ノアとクララが俺の背中に隠れながら怯えている。
確かに、この部屋の空気は異質だ。だが、それは邪悪な気配ではない。
もっと純粋で、鋭利な――『知性』の気配だ。
「開くぞ」
俺はページをめくった。
中身を見た瞬間、俺の目は大きく見開かれた。
「これは……!」
そこに書かれていたのは、魔法陣でも呪文でもない。
びっしりと書き込まれた『数式』と『化学構造式』だった。
しかも、この世界の未熟な数学体系ではない。
微積分、熱力学方程式、そして量子力学の基礎理論……。
前世(地球)の知識体系に極めて近い、高度な記述だ。
「な、なんですかこれ? 数字と……変な記号ばっかり?」
「読めない……古代語ですか?」
二人が首を傾げるのも無理はない。
だが、俺にはスラスラと読める。
これは魔導書じゃない。
これは――
「『研究日誌』だ」
俺はページを読み進めた。
筆跡は荒々しく、書き手の興奮が伝わってくるようだ。
『X年X月。魔力をエネルギーとして保存する実験はまたも失敗。』
『魔素は不安定すぎる。これを物理法則の檻に閉じ込めるには、新たな触媒が必要だ。』
『既存の魔術師たちは馬鹿ばかりだ。彼らは現象の「結果」しか見ていない。「過程」にある理屈を解明しようともしない。』
手記の主は、この世界の魔法文明に対して苛立ち、孤独な戦いを続けていたようだ。
そして、最後のページに辿り着く。
そこには、震える文字でこう記されていた。
『ついに完成した。魔力を電気信号へ、そして物理エネルギーへと変換する回路。私はこれを「魔導科学」と名付ける。だが、今の時代にこれを公表すれば、私は異端として処刑されるだろう。故に、この技術は地下深くへ封印する。いつか、この数式の意味を理解できる「同類」が現れることを願って』
署名は――『アルキメデス・フォン・ロイヤル』。
この学園の創立者であり、伝説の大魔導師とされる男の名前だ。
「……ハハッ、傑作だな」
俺は思わず笑声を漏らした。
歴史の教科書では「魔法の神」と崇められている創立者が、実は魔法を否定し、科学を追い求めた「錬金術師(科学者)」だったとは。
「先生? 何か分かったんですか?」
「ああ。この学園の創立者は、俺たちの大先輩だったってことさ」
俺は手記をパタンと閉じ、懐に収めた。
この本は、ただの古文書じゃない。
ここには、俺がまだ再現できていない「魔力を動力に変える」ためのミッシングリンクが記されている。
これがあれば、俺の錬金術は次のステージへ進化する。
「よし、目的のブツは確保した。これを持って帰るぞ」
「えっ、持って帰っていいんですか!? 国宝級なんじゃ……」
「ここに置いておいてもカビが生えるだけだ。それに――」
俺は部屋の隅に積まれていた木箱を開けた。
中には、手記に書かれていた実験に使われたであろう、希少金属のインゴットが山のように詰まっていた。
ミスリル、オリハルコン、ヒヒイロカネ……。
市場価値にすれば、小国の国家予算並みだ。
「この『研究費』も有効活用してやらないとな。創立者もそれを望んでるはずだ」
「「顔が悪い! 先生の顔が完全に悪党になってます!」」
俺たちはリュックに入るだけの素材と、古代のバッテリー、そして手記を詰め込んだ。
帰りの足取りは軽い。
魔力欠乏のダルさなど吹き飛ぶほどの収穫だ。
数時間後。
理事長室。
「……まさか、本当に生還するとはね」
ギデオン理事長は、泥だらけで帰還した俺たちを見て、優雅に紅茶を置いた。
その目は、値踏みするように細められている。
「それで? 地下の『幽霊』には会えたのかい?」
「幽霊はいませんでしたが、もっと面白いものがありましたよ」
俺は鞄から『黒い手記』を取り出し、机の上に放り投げた。
重い音が響く。
「創立者の遺言です。『魔法使い(おまえら)には理解できないだろうから、錬金術師が貰ってやる』と書いてありました」
これはハッタリだ。だが、理事長の表情が変わった。
余裕の笑みが消え、鋭い視線が俺を射抜く。
「……君は、その中身が読めるのか?」
「さあね。ただの数式の羅列に見えるか、それとも世界の真理に見えるか……それは見る者の『知性』次第でしょう」
俺はニヤリと笑って挑発した。
この古狸との腹の探り合いは、ここからが本番だ。
「Fクラスの評価、見直して頂けますよね? 理事長」
ギデオンはしばらく俺を睨みつけていたが、やがて愉しげに口角を吊り上げた。
「……いいだろう。アレン・ロドル。君という『異物』を、この学園はどうやら飼いならせていなかったようだ」
学園の支配者と、最弱職の錬金術師。
二人の間に、新たな火花が散った瞬間だった。
(第72話 完)
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