第61話「爆発する教室」
「……臭いですね」
それが、俺がその場所へ足を踏み入れた最初の感想だった。
王都エルデンシアの北区画。
高くそびえる石造りの門の向こうには、この国の錬金術の最高学府――『王立錬金術アカデミー』がある。
未来の宮廷錬金術師や研究者を育成する、栄光ある学び舎だ。
だが、俺の鼻腔を突いたのは、アカデミックなインクの香りではない。
硫黄の腐ったような臭い、焦げ付いた油の臭い、そして何かが酸で溶けるような刺激臭だ。
「すまない、アレン君。今日は特に……風向きが悪いようだ」
案内役のダニエルさんが、ハンカチで鼻を押さえながら苦笑いする。
「これが『伝統』だよ。アカデミーでは、日々新たな発見のために実験が繰り返されているからね」
「発見のために、安全をドブに捨てているように見えますが」
俺は眉をひそめながら、キャンパスの中へと進んだ。
校舎は立派な煉瓦造りだが、あちこちの壁が黒く煤けている。
窓ガラスが割れたまま板で塞がれている場所も珍しくない。
その時だった。
ドォォォォォォンッ!!
腹に響くような重低音とともに、目の前の校舎の三階から、派手な黒煙が噴き出した。
「うわっ!? ば、爆発だ!」
「ああ、またか。第三実験室だな」
ダニエルさんが驚きもせずに呟く。
校庭にいた生徒たちも、「あーあ、やったな」「今日は派手だな」と笑って見上げているだけだ。
「……避難は? 警報は鳴らないんですか?」
「錬金術に失敗はつきものだからね。ボヤ程度なら日常茶飯事さ。ほら、生徒たちが消火活動を……」
見ると、煙を上げる教室の窓から、煤だらけの生徒たちが顔を出していた。
彼らは杖を振りかざし、叫んでいる。
「火だ! 風魔法で吹き飛ばせ!」
「いや、水だ! 水魔法をぶっかけろ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋が凍りついた。
あの煙の色。そして鼻をつく独特の甘い刺激臭。
あれはただの焚き火じゃない。『可燃性薬品』の火災だ。
「バカ野郎ッ! やめさせろ!!」
俺は叫ぶと同時に、ダニエルさんの静止も聞かずに校舎へと駆け出した。
「アレン君!?」
薬品火災に水をかければ、火がついた油が飛び散って火災が広がる(ボイルオーバー)。
風を送れば、酸素を供給して爆発的な燃焼を招く。
どっちに転んでも大惨事だ!
「どけッ! 死にたいのか!」
俺は三階の実験室に飛び込んだ。
教室内はパニック状態だった。
部屋の中央にある巨大な鍋から青白い炎が立ち上り、天井を舐めている。
「な、なんだお前は! 部外者は出て行け!」
上級生らしき長髪の男子生徒が、煤だらけの顔で俺を怒鳴りつけた。
「いま消火する! おい、ウィンド・ブラストで一気に……」
「風を送るな! 爆発するぞ!」
俺は男子生徒を突き飛ばし、炎の前に立った。
周囲には、中和剤らしき粉末や、実験用の液体が入った瓶が散乱している。
俺は瞬時にそれらのラベルを確認した。
『重曹(炭酸水素ナトリウム)』。『クエン酸溶液』。そして、洗い場にあった『石鹸水』。
「……上等だ。これだけあれば足りる!」
俺は錬金術師のコートを翻し、それらの材料を床にぶちまけた。
そして、両手を叩き合わせる。
「錬成開始! 混合!」
俺の魔力が素材に干渉し、急激な化学反応を引き起こす。
重曹と酸が反応し、猛烈な勢いで二酸化炭素が発生する。
そこに石鹸水が混ざることで、ガスを包み込んだ大量の「泡」が生成される。
「食らえ、即席『化学泡消火剤』ッ!!」
ドバァァァァァァッ!!
俺の手元から、雪崩のような白い泡が噴出した。
それは生き物のように炎を覆い尽くし、酸素を遮断していく。
ジュゥゥゥゥ……。
窒息させられた炎は、断末魔のような音を立てて、あっという間に消え失せた。
あとに残ったのは、教室を埋め尽くす白い泡の山と、呆気にとられた生徒たちだけだ。
「…………は?」
長髪の生徒が、泡まみれになりながら口を開けていた。
「な、なんだこれは……? 水も風も使わずに、火が消えた……?」
「泡……? なんだこの、変な匂いのする白い塊は……」
静まり返る教室。
そこへ、遅れてダニエルさんと、初老の教授らしき男が駆け込んできた。
「な、何事だ! 騒がしい!」
「教授! こいつがいきなり乱入してきて、変な魔法を!」
生徒たちが俺を指差す。
教授と呼ばれた鷲鼻の男――教頭のバルトスは、俺をねめつけるように睨んだ。
「貴様、何者だ。神聖な実験の場を汚すとは」
「汚したのは、貴方たちの『無知』ですよ」
俺は泡だらけの手を払いながら、冷ややかに言い放った。
「可燃性液体の火災に水をかけようとするなんて、自殺志願者ですか? それとも、ここでは『爆死』が卒業条件なんですか?」
「な、なんだと……?」
「火が燃えるには『酸素』『燃料』『熱』の三要素が必要だ。俺は泡で覆って『酸素』を遮断しただけです。……こんな基礎知識、現場の工場なら新入りでも知ってますよ」
俺の言葉に、エリートを自負する生徒たちの顔が赤く染まる。
バルトス教頭はワナワナと震え出した。
「き、貴様ぁ……! 王立アカデミーを愚弄するか! 名を名乗れ!」
俺はため息をつき、懐から辞令書を取り出した。
ダニエルさんから渡された、今日付けの書類だ。
「本日付で、特別外部講師として着任しました。アレンです」
俺は教室を見渡し、呆然とする生徒たちに向かって宣言した。
「これから俺が、本当の『錬金術』を教えてやる。……死にたくなければ、俺のルールに従ってもらうぞ」
静寂の中、誰かのフラスコが落ちて割れる音が響いた。
これが、俺とアカデミーとの最悪の出会い。
そして、常識外れの授業の始まりだった。
(第61話 完)
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