第58話「臨界点突破(フル・スロットル)」
「抜けた……! 海だぁーっ!」
トンネルを抜けた瞬間、リリアの歓声が風に溶けていった。
眼下に広がるのは、キラキラと輝く紺碧の海。そして、その海岸線にへばりつくように栄える港町。
俺たちが目指していた終着点だ。
「ガハハハ! 見ろアレン殿! あの岩の化け物をぶち破っても、ビクともしねえ! ヴァルカンの鋼は世界一だ!」
ガルフ親方が煤だらけの顔で笑い、運転席の計器盤をバンバンと叩く。
確かに、先頭車両の排障器はひしゃげているが、ボイラーや車輪といった主要部分は無事だ。
俺たちが作り出した「鋼」の強靭さが証明された瞬間だった。
「さて、そろそろ減速しましょう。この速度で駅に突っ込んだら大惨事ですからね」
現在、時速はまだ60キロ近く出ている。
俺はレギュレーター(加減弁)を閉じ、ブレーキレバーに手をかけた。
「ブレーキ、作動」
グッ、とレバーを引く。
通常なら、シューッという空気の抜ける音とともに制輪子が車輪を締め付け、心地よい減速Gがかかるはずだ。
だが――。
スカッ。
「……ん?」
手応えがない。
空気の音もしない。
そして何より、速度計の針がピクリとも下がらない。
「お、おいアレン殿? どうした?」
「……親方。ブレーキ配管の圧力がゼロです」
嫌な汗が背中を伝う。
俺は窓から身を乗り出し、車輪の付近を確認した。
そこには、千切れてブラブラと揺れる真鍮製のパイプが見えた。
「ブレーキ配管が……切断されています。さっきのゴーレムとの衝突で、破片が当たったんでしょう」
「な、なんだとぉ!? じゃあどうやって止まるんだ!?」
「止まりません」
俺は前方を指差した。
線路は緩やかな下り坂を描きながら、港町の駅へと続いている。
その先にあるのは、行き止まりの車止め(バッファストップ)。そして、その向こうは海だ。
「このまま行けば、駅舎を粉砕して海へダイブです。……数百トンの鉄塊になって」
「冗談じゃねえぞ! 客車にはダニエルの野郎やシェリー嬢ちゃんも乗ってるんだぞ!」
親方が顔面蒼白で叫ぶ。
物理ブレーキは死んだ。
魔力切れで魔法ブレーキも使えない。
この巨大な慣性エネルギーを止める手段は、もう残されていないのか?
いや、ある。
理論上、たった一つだけ。
だがそれは、蒸気機関にとって「禁じ手」とも言える荒技だ。
「親方。……『逆転』させます」
「ああん?」
「逆転機をバックに入れて、全力で蒸気を吹かすんです。車輪を逆回転させて、その摩擦で無理やり止めます!」
いわゆる『蒸気制動』。
だが、前進している状態でいきなり逆回転の力を加えれば、シリンダーやピストンにかかる負荷は計り知れない。
普通の鋳鉄なら、一瞬で爆散するだろう。
「正気か!? エンジンがぶっ壊れるぞ!」
「壊れません! ……俺たちの『鋼』なら、耐えられるはずです!」
俺は親方の目を真っ直ぐに見つめた。
俺たちが作った、あの粘り強い鋼。
そして規格統一し、精度を高めたボルトとナット。
それらが完璧に組み合わさっていれば、この無茶な負荷にも耐え抜ける。
「……ちっ! 腹くくるしかねえか! やるぞ若造!」
「はい! リリア、シェリーさん! 何かに掴まってて!」
俺は叫ぶと同時に、逆転機を力任せに反対側へと叩き込んだ。
そして、スロットル全開!
「止まれェェェェェェッ!!」
ズガガガガガガガッ!!!
凄まじい轟音と振動が車体を襲う。
逆回転を始めた動輪がレールと激しく擦れ合い、真っ赤な火花と白煙を撒き散らす。
「ぐぅぅぅぅ……ッ!」
強烈な減速Gで、体が前につんのめる。
悲鳴を上げるピストン。
軋むコンロッド。
ボイラーの圧力計は、危険域を振り切っている。
「耐えろ……耐えてくれ……!」
俺は祈るようにレバーを握りしめた。
もしここでボルト一本でも弾け飛べば、俺たちは木っ端微塵だ。
キキキキキキキキッ!!
金属の悲鳴が続く。
だが、エンジンは爆発しない。
規格化された部品たちは、誰一人として脱落することなく、その役割を果たし続けている。
「見えた! 駅だ!」
車窓に、驚愕の表情で見上げる港町の人々が映る。
迫る駅舎。
あと300メートル。
速度はまだ時速20キロ。
「間に合えぇぇぇッ!」
「私も手伝うわよッ!」
ドカァァン!
屋根の上で、シェリーが尻尾をアンカーのように地面(枕木)に突き刺した。
ガリガリガリガリッ!
物理的な摩擦抵抗が加わり、減速が一気に強まる。
「私もっ!」
リリアも剣を突き立て、火花を散らしながらブレーキをかける。
あと50メートル。
速度10キロ。
あと10メートル。
速度5キロ。
「と……と……」
ガッ……クンッ。
巨大な鉄の怪物は、車止めのわずか数センチ手前で、最後の蒸気を吐き出して静止した。
「…………」
静寂。
聞こえるのは、シューという蒸気の音と、俺たちの荒い息遣いだけ。
「……と、止まった……」
俺はへなへなと運転席に座り込んだ。
全身の力が抜けて、指一本動かせない。
「ガハハ……ハハハハ! 見たか! 耐えきりやがった! 俺たちの鋼は最強だぁぁぁッ!!」
ガルフ親方が俺に抱きつき、むさい歓声を上げる。
壊れていない。
あれだけの無茶をしたのに、ヴァルカン一号はピンピンしている。
「おい、大丈夫か!? 何があったんだ!」
駅のホームから、ダニエルさんたちが青い顔で駆け寄ってくる。
俺は窓から顔を出し、親指を立てて見せた。
「ただの『急停車』ですよ。……少し、スリル満点でしたけどね」
その時。
呆気にとられていた駅の人々から、パラパラと拍手が起こり始めた。
それはやがて、大きな歓声へと変わっていく。
「なんだあのでっかい鉄の馬は!」
「山を越えてきたのか!?」
「すげえ! 黒煙を上げて止まったぞ!」
人々が機関車を取り囲み、興奮した様子で触れたり、眺めたりしている。
彼らはまだ知らない。
この鉄の塊が、ただの乗り物ではなく、世界を縮め、時代を変える「革命」の象徴であることを。
「ふぅ……。どうやら、無事に到着ですね」
俺は汗を拭い、安堵の息を吐いた。
これで、鉱山都市の鉄と、港町の海が繋がった。
産業革命のレールは、ここから世界中へと伸びていくことになるだろう。
(第58話 完)




