第56話「産業スパイとラッダイト」
「……ネズミがかかったな」
深夜の工房。
全ての灯りが落とされ、静寂と油の匂いだけが漂う暗闇の中で、俺は小さく呟いた。
俺たちが隠れているのは、資材置き場のコンテナの陰だ。
隣には、愛剣の柄に手をかけ、目を爛々と輝かせているリリアがいる。
そして足元には、夜食のサンドイッチを音もなく咀嚼しているシェリーがいる。
「アレンさんの作った機械を壊すなんて、絶対に許さないんだから……」
リリアが低い声で唸る。普段の天真爛漫な彼女とは違う、獲物を狙う狩人の目だ。
ここ数日、工場では不可解なトラブルが続いていた。
完成した部品が消える。組み立て中の配管に砂が混ぜられる。ボヤ騒ぎが起きる。
単なる事故じゃない。明らかに、この蒸気機関車の完成を阻もうとする「悪意」が働いている。
だから俺たちは、罠を仕掛けた。
『完成したばかりの心臓部――調速機を、今夜保管庫に移す』という偽情報を流したのだ。
カチャリ……。
静寂を破り、保管庫の鍵が開けられる音がした。
現れたのは、三つの人影。
二人は黒装束で顔を隠した小柄な男たち。そしてもう一人は――見覚えのある、ドワーフの作業服を着た男だった。
「……こいつだ。これが機関車の心臓だ」
ドワーフの男が、保管庫の棚から真鍮製の部品を取り出す。
それは俺が作ったダミーだ。
「よし。これで奴らの計画は頓挫する。……行くぞ」
「待て。設計図も燃やしておけ。徹底的にやるのが依頼主の意向だ」
黒装束の男が、オイルの入った瓶を取り出す。
それを聞いた瞬間、リリアの殺気が爆発した。
「そこまでだよッ!!」
「なっ!?」
リリアがコンテナの陰から飛び出す。
銀色の軌跡を描いて抜刀された剣が、黒装束の男の手からオイル瓶を弾き飛ばした。
ガシャンッ!
瓶が割れ、床に大量の潤滑油がぶちまけられる。
「き、貴様ら! なぜここに!?」
「待ち伏せしてたに決まってるでしょ! アレンさんの邪魔をする悪い子たちにお仕置きの時間だよ!」
リリアが油まみれの床をものともせず、滑るように踏み込む。
黒装束たちが短剣を抜いて応戦するが、リリアの動きはそれを凌駕していた。
「遅いっ!」
キンッ! キンッ!
火花が散る。リリアは相手の剣を弾き、流れるような体術で一人を油の海に転ばせる。
もう一人が背後から襲いかかるが――。
「邪魔よ。食事中なのに」
ドゴォッ!!
シェリーの尻尾が唸りを上げて薙ぎ払われた。
黒装束の男は「ぐべらっ!?」と変な声を上げて吹き飛び、鉄柱に激突して気絶する。
「ひ、ひぃぃぃッ!」
残されたドワーフの男――ベテラン旋盤工のドルトンが、腰を抜かして後ずさる。
「ドルトンさん。……どうしてですか」
俺は明かりを灯し、彼の前に立った。
彼はガルフ親方の右腕とも言われた熟練工だ。旋盤の導入にも、最初は反対していたが、最終的には協力してくれていたはずなのに。
「……お前らが悪いんだ!」
ドルトンは涙目で叫んだ。
「あんたが変な機械を持ち込むから!『規格』だの『標準化』だの……そんなものが広まったら、俺たちの技はどうなる!長年磨いてきた『手仕事』の価値がなくなっちまうだろうが!」
彼の叫びは、悲痛だった。
それは前世の歴史でも起きたことだ。
機械打ちこわし運動――ラッダイト運動。
新しい技術が仕事を奪うという恐怖。自分が不要な存在になるのではないかという不安。
それに付け込んだ隣国のスパイが、彼を唆したのだろう。
「俺は……俺はただ、自分の仕事を……誇りを守りたかっただけなんだ……!」
ドルトンが崩れ落ちる。
リリアが剣を収め、悲しげな顔で俺を見た。
彼女も分かっているのだ。彼が悪意だけで動いたわけではないことを。
だが、俺は首を横に振った。
「ドルトンさん。貴方は勘違いをしています」
俺は油で汚れた彼の手を取った。
その手は、長年の鉄仕事で分厚く、硬くなっている。
「機械は、貴方たちの仕事を奪うためにあるんじゃありません。……『人間がやるべきでない単純作業』を代行するためにあるんです」
「なに……?」
「一日中、同じネジを何百本も削る。それは確かに技術が必要ですが、貴方ほどの職人が一生を費やすべき仕事ですか? 旋盤があれば、ネジ作りは新人に任せられます。そうすれば、貴方はもっと高度な――例えば新しいエンジンの設計や、誰も見たことがない芸術的な装飾に集中できる」
俺は彼を真っ直ぐに見つめた。
「標準化は、職人を殺しません。職人を『単純労働』から解放し、本当の『創造』へ羽ばたかせるための翼なんです」
「……創造への、翼……」
ドルトンは呆然と呟き、自分の手を見つめた。
「ガハハハハ! よく言った、アレン殿!」
工場の入り口から、ガルフ親方が現れた。
その後ろには、武装したドワーフの警備隊が控えている。
「親方……俺は……」
「馬鹿野郎! 迷ったなら俺に相談しやがれ!……だがまあ、その『不安』も分からなくはねえ。技術が変われば、俺たちも変わらなきゃならねえからな」
親方はドルトンの頭をバシッと叩き、ニカッと笑った。
「安心しろ。機械がどれだけ進化しようが、最後に必要なのは『職人の魂』だ。その魂まで機械化されるこたぁねえよ」
「親方ぁ……ううっ……!」
ドルトンは親方の足元で泣き崩れた。
「さて。……そっちのネズミ共はどうする?」
親方が冷ややかな目で、縛り上げられた黒装束たちを見下ろす。
彼らは隣国から潜入していた産業スパイだ。この国の技術革新を恐れ、妨害工作を仕掛けてきたのだ。
「ヴァルカンの掟通り、鉱山の最深部で強制労働といこうか。……一生、日の光は拝めねえと思え」
ドワーフたちの怒りは深い。彼らはスパイたちを引きずって連行していった。
「ふぅ……。終わったね、アレンさん」
リリアが大きく息を吐き、油で汚れた顔を袖で拭う。
その頬には黒い煤がつき、服もベトベトだ。
だが、その姿はどんなドレスを着た令嬢よりも美しく、頼もしく見えた。
「ありがとう、リリア。君がいなかったら危なかった」
「えへへ。……でも、これじゃあお気に入りの服が台無しだなぁ」
彼女が苦笑いした時、シェリーがひょっこりと顔を出した。
「ねえ。悪い奴らもいなくなったし、そろそろ動かせるんじゃない?」
「え?」
「機関車よ。……もう、完成してるんでしょ?」
シェリーが指差した先。
工場の奥、巨大な布に覆われていた影。
俺たちは顔を見合わせた。
そうだ。邪魔者は消えた。
部品は揃い、燃料も満タンだ。
あとは、この怪物を目覚めさせるだけ。
「……ああ。行こうか」
俺は布を勢いよく引き剥がした。
現れたのは、鋼鉄の装甲に覆われ、銀色の配管が走る、完成したばかりの『魔導蒸気機関車・改』。
「夜明けとともに出発だ。……目指すは、山越えの港町!」
俺たちの産業革命は、いよいよ最高潮を迎える。
レールの上には、もう障害物はない。あるのは、未知への恐怖と、それを上回る期待だけだ。
(第56話 完)
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