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第50話「浸透圧の悪夢」

「こっちよ! このナメクジ野郎!」


「ヌオオオッ! 我が槍の味を思い出させてやるわ!」


リリアとガイドルが左右から牽制攻撃を仕掛け、アビス・ワームの注意を引きつける。

怪物は巨体をくねらせ、鬱陶しいハエを追い払うように強酸の粘液を撒き散らしながら、ズルズルと前進した。


その進行方向にあるのは、畑の中央を走る、石造りの農業用水路だ。


「よし、そのまま誘導してくれ! 水路に入ったら作戦開始だ!」


俺は少し離れた土手の上から、タイミングを計っていた。

用水路の水門はすでに閉鎖し、水流をせき止めている。今はただの「巨大な水槽」だ。


「シャアアアアッ!!」


怪物がリリアを追いかけ、ドプンッ! と用水路にその巨体を滑り込ませた。

水しぶきが上がり、水路の水が一気に溢れそうになる。


「今だッ!!」


俺が手を振り下ろすと同時に、水路の両脇に潜んでいたボルマンさんと農民たちが一斉に姿を現した。

彼らが抱えているのは、アジトから回収した「岩塩」と、肥料用の「硝石」が入った麻袋だ。


「食らえええええッ!!」


号令と共に、トン単位の塩と肥料が水路へと投げ込まれた。


ドサドサドサッ!!


白い粉末の雪崩が、怪物の頭上から降り注ぐ。

水路の水は瞬く間に白濁し、ドロドロの飽和水溶液へと変貌した。


「ギ……? ギュル……?」


怪物が動きを止める。

最初は、何が起きたのか理解できていないようだった。

だが、数秒後。


「ギ……ギャ、ア……? ギャアアアアアアッ!!」


悲鳴ともつかない絶叫が上がった。

怪物がのた打ち回るたびに、高濃度の塩水が波打つ。


「き、効いてるのか!? 斬っても死なない化け物だぞ!?」


ボルマンさんが半信半疑で叫ぶ。

俺は冷静に頷き、その光景を見下ろした。


「効きますよ。むしろ、生物である以上、この攻撃からは逃れられない」


「何をしたのだ、アレン殿!?」


戻ってきたガイドルが問う。


「『浸透圧しんとうあつ』の原理です」


俺は簡潔に説明した。


「生物の細胞膜は、水を通すけれど塩は通さない『半透膜はんとうまく』でできています。この膜を挟んで、内側と外側に濃度差があると……自然界はバランスを取ろうとして、薄い方から濃い方へと水が移動するんです」


普段、この怪物は体内の塩分濃度を高めることで、外からの水分吸収を防いでいる。

だが今、俺たちは怪物の周囲を「致死レベルの高濃度塩水」に変えた。


「つまり、あいつの体内の水分が、外側の濃い塩水に向かって無理やり引きずり出されているんです。……簡単に言えば」


俺は苦しむ怪物を指差した。


「ナメクジに塩をかけたのと同じですよ」


「ギャアアアア! ギュウゥゥゥ……ッ!!」


怪物の巨体が、目に見えて縮み始めた。

パンパンに張っていた皮膚がしわくちゃになり、体液が毛穴という毛穴から噴き出していく。

強酸性の粘液バリアも、大量の塩水によって洗い流され、無力化されていた。


「ひぃっ……。あんなデカブツが、干物みてぇになっていく……」


農民の一人が青ざめる。

剣で斬られるよりも遥かにエグい、科学による処刑。

水分を奪われたアビス・ワームは、もはや動く巨大なゴム紐のようになっていた。


「……今よ、シェリー!」


俺は、ここまで待機させていた最終兵器に合図を送った。


「待ってましたぁぁぁッ!!」


土手の上で待ち構えていたシェリーが、大きく息を吸い込む。

その口元に、赤紅色の魔法陣が展開された。

彼女の背後には、怒れるドラゴンの幻影が揺らめいている。


「私の……私の野菜をぉッ! よくもドロドロにしてくれたわねェッ!!」


食い物の恨みは恐ろしい。

彼女の怒りは頂点に達していた。


「黒焦げになりなさァァァいッ!! 『竜王の咆哮ドラゴン・ブレス』ッ!!」


ゴオオオオオオオオオオオッ!!


シェリーの口から放たれたのは、すべてを灰燼に帰す極大の火炎放射だった。

熱波が俺たちの頬を焦がす。

水路の塩水が一瞬で蒸発し、白い蒸気が爆発的に広がる。


「ギャ……ッ!?」


水分を失って干からびていた怪物は、もはや火に油を注いだ薪のようなものだ。

抵抗する間もなく炎に包まれ、その巨体が炭化していく。


「トドメだ! リリア!」


「任せて!!」


リリアが炎の中へと飛び込む。

彼女の愛剣が、眩い閃光を放った。


「『閃光剣・一文字』ッ!!」


キンッ!


澄んだ音が響き渡り、炭化した怪物の巨体が、真っ二つに両断された。

燃え盛る残骸が崩れ落ち、灰となって風に舞う。


「……やったか?」


ガイドルがハルバードを構えたまま呟く。

煙が晴れた水路の底には、黒い炭の塊と、大量の白い塩の結晶だけが残されていた。

再生する気配はない。細胞レベルで破壊され尽くした完全な「死」だ。


「うおおおおおっ!! 倒したぞぉぉぉッ!!」

「アレン様万歳! 竜騎士様万歳!!」


農民たちが歓声を上げ、帽子を空に放り投げる。

俺はへなへなとその場に座り込んだ。


「ふぅ……。なんとかなったな」


「アレン殿……」


ガイドルが近寄ってきて、恐ろしげな目で俺と塩の山を交互に見た。


「剣も魔法も通じぬ相手を、ただの『粉』で殺すとは……。錬金術師というのは、ドラゴンよりも恐ろしい生き物なのだな」


「買い被りですよ。ただの自然の法則を利用しただけです」


俺は肩をすくめた。

そこへ、煤だらけになったシェリーとリリアが戻ってくる。


「ふんっ! いい気味よ! 私の野菜を奪おうとするからこうなるのよ!」


シェリーが炭の山に向かって「ベーッ」と舌を出している。

リリアは苦笑しながら剣を収めた。


「お疲れ様、アレンさん。……でも、畑がめちゃくちゃになっちゃったね」


リリアの言う通り、戦闘の余波で試験農場の一部は泥と塩にまみれていた。

だが、俺は心配していなかった。


「大丈夫さ。また『石膏』を撒いて、水を流せばいい。……俺たちにはもう、そのノウハウがあるんだから」


破壊されたなら、また直せばいい。

一度できたことは、二度目はずっと上手くできる。それが技術スキルというものだ。


「それよりシェリー、約束だ。……とびきり甘いトマト、作ってやるからな」


「! 本当!? 絶対よ!?」


シェリーが目を輝かせて飛びついてくる。

俺は彼女の頭を受け止めながら、青空を見上げた。


地下の脅威は去った。

これでようやく、本当の意味でガラハド領に「実りの季節」がやってくる。


(第50話 完)

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