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第42話「逃亡と視察」

「――却下です。このポーション、成分表記と中身の誤差が3%を超えています」


「こちらの魔道具は、安全装置の耐久性が基準値スタンダードを満たしていません。再提出を」


王都、王立規格保安院の執務室。


窓の外は爽やかな青空だというのに、俺の目の前には羊皮紙の山がエベレストのように積み上がっていた。


「あー……もう! 判子を押すだけの機械になりそうだ……」


俺はペンを投げ出し、椅子に深く沈み込んだ。


第3章の騒動から一ヶ月。


俺が提唱した「王国産業規格(KIS)」は、予想以上の反響を呼んでいた。


安全と信頼の証である「KISマーク」を求めて、国中の工房から申請が殺到しているのだ。


「嬉しい悲鳴ですね、院長?」


副官として手伝ってくれているダニエルさんが、苦笑しながら新しい書類の束を運んできた。


「ダニエルさんまで……。俺は研究がしたいんです。書類と格闘するんじゃなくて、フラスコを振りたいんですよ」


「ははは。しかし、あなたが作った基準のおかげで、市場のポーション事故は激減しました。これは偉大な功績ですよ」


それは分かっている。分かっているが、根が研究職オタクの俺にとって、デスクワーク地獄は精神衛生上よろしくない。


どこかに、俺の化学知識を必要とする、もっと現場フィールドに近い刺激的な案件はないものか……。


バンッ!! そんな俺の願いが届いたのか、執務室の扉が豪快に開かれた。


「アレン! 大変だよ! お客さんが……わわっ!?」


飛び込んできたリリアが、書類の山につまずきそうになる。


彼女の後ろから、一人の巨漢が現れた。


熊の毛皮を肩にかけ、顔には古傷。洗練された王都の貴族とは違う、荒々しい「武人」の空気を纏っている。


「……ここが、噂の『規格保安院』か。随分と貧弱な男が長をやっているのだな」


男は俺をジロリと値踏みするように見下ろした。


リリアが慌てて割って入る。


「ちょっと! 失礼だよ! アレンさんはすごいんだから!」


「構わないよ、リリア。……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


俺が冷静に尋ねると、男はニカッと野性的な笑みを浮かべた。


「俺は北東の辺境、ガラハド領の領主代行、ボルマンだ。……アレン・クロフォード。お前に『土』を見てほしい」


「土……ですか?」


「ああ。我が領地は今、原因不明の不作に喘いでいる。麦は育たず、野菜は枯れる。呪いだと騒ぐ者もいるが……辺境伯様は『あの錬金術師なら分かるかもしれん』と仰った」


ガラハド辺境伯領。


王国の最北東に位置し、過酷な環境と魔獣の脅威に晒されながらも、国を守る「盾」として知られる武門の名家だ。


そんな場所で、作物が育たないというのは死活問題だろう。


「呪い、ですか。……興味深いですね」


俺の知的好奇心アンテナが反応した。 作物が育たないのには、必ず科学的な理由がある。 土壌のpH異常、塩害、連作障害、あるいは特定の微量元素欠乏。 それを解明し、解決策を提示するのは、まさに俺の本分だ。


「ダニエルさん」


「はいはい、行ってきなさい。ここの決裁は私が代行しておきますから」


ダニエルさんは察しよく、俺の背中を押してくれた。神か。


「ありがとうございます! ……ボルマンさん、お受けします。その『呪い』の正体、俺が暴いてみせましょう」


「話が早くて助かる。すぐに馬車を出せ! 一刻を争う!」


「えっ、今すぐ!? 荷造りとかご飯とか……」


「リリア、行くぞ! 久しぶりの遠出だ!」


俺は白衣を脱ぎ捨て、冒険者コートを掴んだ。


さらば書類の山。待ってろ謎の土壌。


俺たちの新たな旅の始まりだ。




王都から馬車に揺られること三日。


景色は徐々に荒涼としたものに変わっていった。


豊かな緑は消え、赤茶けた大地と、ゴツゴツした岩肌が目立つようになる。


「……ひどいな」


ガラハド領に入った瞬間、俺は思わず呟いた。


窓の外に広がる農地。そこにあるはずの小麦は、どれも背が低く、黄色く変色して立ち枯れている。


農民たちが必死に水をやっているが、土は水を吸わず、表面で白く乾いているように見えた。


「これが我が領の現状だ」


同乗していたボルマンさんが、悔しそうに拳を握る。


「三年ほど前から急にこうなった。魔導師に浄化を頼んでも効果がない。……このままでは、冬を越せずに領民が飢えてしまう」


「……少し、止めてもらえますか?」


俺は馬車を降り、畑へと歩み寄った。


農民たちが、領主の馬車から降りてきた俺を不安そうに見つめる。


俺は膝をつき、枯れた小麦の根元を掘り返した。


そして、ひとつまみの土を手に取り、指で擦り合わせ、匂いを嗅ぐ。


(粒子が細かい。通気性が悪いな。それに、この白い粉……)


俺は少しだけ土を舐めてみた。


「ぺっ……。しょっぱい」


「アレンさん!? 土なんか食べて大丈夫!?」


リリアが悲鳴を上げるが、これで確信が得られた。


「ボルマンさん。これは呪いじゃありません」


「本当か!?」


「ええ。これは『塩害』です」


俺は立ち上がり、白い結晶が浮いた地面を指差した。


「ですが、ただの水やりの失敗で起きる塩害とは少し違います」


俺は地面の断面を指でなぞりながら解説を加えた。


「非常に稀なケースですが、地層の奥深くに閉じ込められていた太古の塩分――『化石塩』が、地下水によって溶け出し、地表近くに運ばれてくることがあるんです。『自然塩害』と呼ばれる現象です」


「化石塩……? 地面に塩が埋まっているというのか?」


「はい。おそらく、軽微な地震か何かで地下の岩盤がズレたのでしょう。そのせいで地下水脈が『岩塩層』に触れてしまい、高濃度の塩水が毛細管現象で地表まで吸い上げられている……それが原因です」


単なる人為的なミスではなく、地質学的な変動による災害。


だからこそ、浄化魔法も効かず、農民たちの努力も徒労に終わっていたのだ。


「塩……だと? しかし、どうすればいいのだ。水をやらねば枯れるし、水をやれば塩が出る……!」


「解決策はあります。土壌改良ソイル・コンディショニングが必要です」


俺が自信を持って答えようとした、その時だった。


ズズズズズ……ッ!


突如、地面が大きく揺れた。


地震か? いや、違う。何かが地下から近づいてくる振動だ。


「な、なんだ!?」


「来るぞ! 総員、構えろ!!」


ボルマンさんが大剣を引き抜く。


農民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、俺たちの目の前の畑が爆発したように盛り上がった。


ドォォォォォン!!


土煙の中から現れたのは、巨大な影。


全身が鋼鉄のような鱗に覆われ、頭部にはねじれた角。全長10メートルはあろうかという、本物の「ドラゴン」だった。


「アース・ドラゴン!? なぜ人里に降りてきた!」


ボルマンさんが叫ぶ。


だが、俺の目はドラゴンの「ある一点」に釘付けになっていた。


ドラゴンの背中に、誰か乗っている? いや、乗っているんじゃない。


しがみついているのだ。小さな女の子が。


「待てーっ! 逃げるなぁーっ! お腹空いたぁーっ!」


「……は?」


少女はドラゴンの角をガシッと掴み、よだれを垂らしながら叫んでいた。


「そのお肉、絶対に食べるんだからぁぁぁ!!」


「ギャアアアアッ!?」


ドラゴンが悲鳴を上げている。


どうやら俺たちは、とんでもない「捕食者」に出会ってしまったらしい。


(第42話 完)

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