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第36話「偽ブランド事件」

「――被害者の数が、十人を超えました」


王立錬金術師協会の会長室。

重苦しい空気の中、ダニエルさんが震える声で報告書を読み上げた。


「いずれも症状は同じです。内臓の激痛、嘔吐、そして一時的な魔力暴走。……幸い死者は出ていませんが、意識不明の重体もいます」

「……そうですか」


俺は唇を噛み締めた。

机の上には、昨日リリアが持ち帰ってきた「黒いポーション」が置かれている。

俺たちが分析を進めている間にも、街ではこの毒物が「アレン工房の新作」として売りさばかれ、罪のない人々を苦しめているのだ。


「アレンさん、もう我慢できないよ! 今すぐこれを売ってる奴らを捕まえに行こう!」


リリアが剣の柄を握りしめて叫ぶ。

気持ちは分かる。俺だって、今すぐ犯人をぶん殴りたい気分だ。だが、相手は姿を見せない。闇雲に動いても、尻尾を掴ませずに逃げられるだけだ。


その時だった。

バンッ! と乱暴に扉が開かれ、煌びやかな軍服を着た男が入ってきた。


「アレン・クロフォードはいるか!」

「……私ですが」

「貴様に対し、貴族院より『緊急喚問』の命令が出た!」


男は羊皮紙の束を机に叩きつけた。そこには、バルバロス侯爵の署名と、王家の紋章が入った封蝋が押されている。


「容疑は『不完全な技術による健康被害の拡大』および『市場の混乱を招いた罪』だ。……直ちに中央広場の特設審問所へ出頭せよ。これは命令だ!」


「なっ……! ふざけるな!」


リリアが激昂して食ってかかる。


「被害を出してるのはアレンさんじゃない! 偽物が勝手に出回ってるだけだよ! なんでアレンさんが裁かれなきゃいけないの!?」

「黙れ! 貴様のポーションの瓶が見つかっているのだ! 言い訳は審問の場で聞く!」


軍人はそれだけ言い捨てると、踵を返して去っていった。

部屋に残されたのは、理不尽な命令書と、沈黙だけ。


「……嵌められたな」


ダニエルさんが頭を抱える。


「被害が出たタイミングを見計らっての、即座の喚問。……あまりにも手回しが良すぎる。最初からこのシナリオを用意していたんだ」


「ええ。彼らにとって真実なんてどうでもいい。大衆の前で俺を『悪者』にして、処刑ショーを行いたいだけなんでしょう」


俺は命令書を手に取り、静かに立ち上がった。

怒りは不思議と冷めていた。代わりに、腹の底から冷徹な闘志が湧き上がってくる。


「アレンさん……行っちゃダメだよ。あんなの、絶対罠だもん!」

「いや、行くよリリア」


俺は白衣を脱ぎ、いつもの冒険者コートを羽織った。


「これはチャンスだ。……彼らが用意してくれた『最高のステージ』じゃないか」

「ステージ?」

「ああ。こそこそ隠れていた連中が、自分から表に出てきてくれるんだ。……俺たちの『正しさ』を証明するには、絶好の場所だよ」


俺は懐のポケットに、昨日完成したばかりの「リトマス試験紙」を入れた。

準備は万端だ。


「行こう、リリア。ダニエルさん。……反撃の時間です」




王都の中央広場は、異様な熱気に包まれていた。

普段は市場として賑わう場所だが、今日は特設の演壇が組まれ、数千人の市民が押し寄せている。


「見ろ、あれが『人殺し錬金術師』だ!」

「田舎へ帰れ!」

「俺たちの街から出て行け!」


石礫こそ飛んでこないが、それに匹敵するほどの強烈な敵意が、俺の全身に突き刺さる。

被害者が出た恐怖。それが扇動によって憎悪へと変換され、この巨大な渦を作り出しているのだ。


「うう……みんな、あんなにアレンさんのポーションを欲しがってたのに……」


リリアが悔しそうに俯く。

俺は彼女の背中に手を置き、前を向かせた。


「大丈夫だ。彼らは騙されているだけだ。……真実が分かれば、この声は変わる」


俺は顔を上げ、演壇へと続く階段を一歩ずつ登った。

その頂上には、勝ち誇った顔で座るバルバロス侯爵と、不気味なフードの男が待ち構えていた。


「罪人、アレン・クロフォード! 前へ!」


司会進行役の声が響く。

ここからが本番だ。


「アレン・クロフォード。貴様には、王都の治安を乱し、不完全な技術で国民の健康を害した嫌疑がかけられている」


侯爵が芝居がかった手つきで、証拠品である「黒いポーション」を掲げた。

アレン工房のラベルが貼られた、あの偽物だ。


「被害に遭った冒険者は、内臓が焼け付くような痛みに苦しみ、今も意識不明だ。……医師の診断によれば、原因は『高濃度の魔力暴走』だという」


侯爵は俺を指差した。


「貴様、スタンピードの際に『濃縮還元コンセントレート』とかいう奇妙な術を使ったそうだな?」


「……はい、使いました。輸送コストを下げるために、水分を蒸発させて体積を十分の一にする技術です」


俺が事実を認めると、侯爵は「それ見たことか!」とばかりに机を叩いた。


「聞いたか、民衆よ! こやつはポーションを『煮詰める』などという暴挙に出たのだ! 繊細な魔力のバランスを無視し、ただ成分を濃くすればいいという浅はかな考えで!」


群衆のざわめきが大きくなる。


「その結果がこれだ! 過剰に濃縮された薬効は毒となり、人体を破壊する! これは医療ではない、人体実験だ!」


「違います! 濃縮技術は安全です! ちゃんと元の倍率に希釈すれば――」


俺が反論しようとすると、侯爵はさらに声を張り上げた。


「黙れ! 素人の言い訳など聞きたくはない。……我々は、この問題の専門家を証人として呼んでいる」


侯爵の合図とともに、舞台の袖から一人の男が現れた。

深緑色のローブを纏い、フードを目深に被っているため顔は見えない。だが、その歩き方を見た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。


「……証言をお願いしよう。伝統ある錬金術の守護者として」


男はゆっくりと頷き、しわがれた、しかしよく通る声で語り始めた。


「……悲しいことです。神聖なるポーション作りが、効率という名の欲望によって汚されるとは」


その声。間違いない。

俺は思わず拳を握りしめた。


「ヴィクター……!」


フードの男――かつて俺を追放した元ギルド長、ヴィクター・アルケミスだ。

追放された身でありながら、顔を隠して「謎の専門家」として舞い戻ってきたのか。


ヴィクターは俺の方を一瞥もしないまま、朗々と嘘を並べ立てた。


「古代の文献にも記されています。『薬草の魂を凝縮しすぎるなかれ』と。アレン殿が行った『濃縮』は、薬草に含まれる毒性までも十倍にしてしまう、極めて危険な禁術なのです」


「なっ……! デタラメを言うな!」


俺は思わず叫んだ。

薬草の毒性は、抽出温度を管理すれば出ない。それが俺の理論の根幹だ。

だが、ヴィクターは哀れむような演技で首を振った。


「若さゆえの過ちでしょう。彼は『数値』ばかりを見て、『本質』を見失ったのです。……その結果が、この黒く濁った毒液です」


ヴィクターが偽ポーションを指差す。


「ああ、なんという禍々しさ。これは錬金術への冒涜だ! このような危険な技術を持つ男を、王都にのさばらせておいて良いのでしょうか!」


『そうだそうだ!』

『追放しろ!』

『禁術使いめ!』


群衆の怒りは頂点に達していた。

恐怖は理屈を超える。

「濃縮」という耳慣れない言葉と、実際に倒れた被害者、そして専門家(偽)の言葉。これらが組み合わさり、俺は完全に「マッドサイエンティスト」として祭り上げられてしまった。


バルバロス侯爵が勝ち誇った顔で告げた。


「判決は明白だ。アレン工房の営業停止、およびアレン・クロフォードの身柄拘束を――」


「――待ってください」


俺は静かに、しかし会場全体に響く声で遮った。


「まだ何か言い逃れをするつもりか?」


「言い逃れじゃありません。……『証明』をさせてください」


俺は一歩前へ出た。

罵声が飛び交う中、俺は真っ直ぐにヴィクターを見据えた。フードの奥で、奴がニヤリと笑った気配がした。


「侯爵。そして証人の方。あなた方は、その黒いポーションが『僕の濃縮技術』によって作られたものだと断言しましたね?」


「いかにも! 事実、アレン工房のラベルが貼られている!」


「では、もしそれが科学的に『別物』だと証明されたら?」


「なんだと?」


俺は懐から、一枚の薄い紙片を取り出した。

リバーサイド周辺に自生する苔から作った、簡易リトマス試験紙だ。


「皆さん、錬金術は魔法じゃありません。……法則に基づいた『科学』です」


俺は群衆に向かって声を張り上げた。


「言葉でなら、いくらでも嘘はつけます。ラベルだって偽造できる。……ですが、『反応』は嘘をつきません」


「何をわけのわからんことを……」


「チャンスをください。たった一度でいい。この場で、皆さんの目の前で、『本物』と『偽物』の中身を鑑定してみせます」


長い沈黙の後、バルバロス侯爵が鼻を鳴らした。


「……よかろう。そこまで恥をかきたいなら、やらせてやる。だが、もし失敗すれば即刻牢屋行きだぞ」


「構いません」


俺はリリアの方を振り返り、力強く頷いた。

俺たちの反撃が始まる。

感情論と恐怖で塗り固められたデマを、白日の下に晒すための「公開実験」。

それは俺が前世から信じてきた、データの力を証明する戦いだった。


(第36話 完)

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