第35話「ヴィクターの影」
「……なるほど。これが『リトマス苔』の反応か」
王立錬金術師協会の実験室。 俺はピンセットで摘んだ乾燥苔を、酸性の溶液とアルカリ性の溶液に交互に浸しながら、その色の変化を観察していた。
「酸性で赤、アルカリ性で青。……よし、これならいける」
俺が今、急ピッチで進めているのは、ベルンハルト殿下と約束した「品質の可視化」プロジェクトだ。
前世の理科の実験でおなじみの「リトマス試験紙」。これと同じ原理を持つ植物や鉱物をこの世界で探し出し、誰でも簡単にポーションの成分を判定できるキットを作る。それが俺の作戦だった。
「アレン君、精が出るね」
声をかけてきたのは、協会長のダニエルさんだ。
心労でげっそりと痩せてしまっているが、その瞳には少しだけ光が戻っている。バルド課長の横領事件を解決して以来、協会内の空気は少しずつだが改善していた。
「会長。試作品の感度は良好です。これを使えば、粗悪品に含まれる不純物――特に、煮込みすぎで生じる『焦げ(炭化成分)』を検出できるはずです」
「それは頼もしい。……だが、敵も黙ってはいないだろうな」
ダニエルさんが不安げに窓の外を見る。
貴族院での風当たりは日に日に強くなっている。「アレンのポーションは危険だ」という根拠のないデマは、まるで伝染病のように王都中に広がりつつあった。
その時だった。
「アレンさん! た、大変だよ!」
実験室の扉が勢いよく開かれ、リリアが飛び込んできた。 彼女は街での情報収集のために、目立たない平民の服に変装していたはずだが、今はその服が少し汚れている。
息も絶え絶えだ。
「どうしたリリア? 何かあったのか?」
「これ……! これを見て!」
リリアが鞄から取り出し、実験台の上にドンと置いたもの。 それを見た瞬間、俺の全身から血の気が引いた。
「これは……『アレン工房』のポーション?」
そこにあったのは、見慣れた四角いガラス瓶だった。 リバーサイドでガラス職人のガストンさんに作ってもらった、輸送効率を高めるための特注規格瓶。ラベルには、間違いなく俺たちの工房の刻印が押されている。
だが――中身が違った。
俺たちが作るポーションは、不純物を極限まで取り除いた透き通るような青色だ。
しかし、目の前の瓶に入っている液体は、どす黒く濁り、底の方にはヘドロのような沈殿物が溜まっている。
「どこでこれを?」
「貧民街の裏路地だよ。フードを被った男たちが、『アレン工房の最新作だ』って言いながら、すごい安値で売りさばいてたの!『効き目は抜群だけど、色が濃いのは成分が濃縮されているからだ』って!」
「……なんだって?」
俺は震える手で瓶の蓋を開けた。鼻を近づけるまでもない。ツンとした刺激臭と、何かが焦げたような酷い悪臭が漂ってくる。
「……ひどいな」
俺は少量をビーカーに移し、成分分析用の魔導具にかざした。
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【ヒールハーブ含有率:5%】
【不純物混入率:45%】
【有害毒素反応:あり】
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「ゴミだ。いや、ゴミならまだマシだ。これは毒物だよ」
俺は怒りで声を震わせながら言った。
「ヒールハーブの搾りかすを、高温で無理やり煮詰めている。色が黒いのは『濃縮』されたからじゃない。ただ単に焦げているだけだ」
おそらく、俺がスタンピードの時に使った「濃縮還元」の技術を真似しようとしたのだろう。
だが、減圧蒸留なんて高度な技術を彼らが知るはずもない。単に鍋でグツグツと煮詰めた結果、有効成分は熱で破壊され、植物の繊維が炭化して有害物質に変わっているのだ。
「でも、瓶もラベルもそっくりだわ。これじゃあ、一般の人は見分けがつかないよ……」
リリアが悲痛な声を上げる。
そうだ。これが一番の問題だ。
彼らは俺の技術を盗んだのではない。「アレン工房」というブランドそのものを乗っ取り、信用を地に落とそうとしているのだ。
「……やり方が汚すぎる」
四角い瓶は、ガストンさんの工房以外では作れないはずだ。ということは、彼らは使用済みの空き瓶を回収し、そこにこの汚水を詰め直したのか。
あるいは、似たような瓶を作る裏ルートがあるのか。
いずれにせよ、これは単なる金儲けじゃない。明確な悪意がある。
「アレン君、見てくれ」
ダニエルさんが青ざめた顔でラベルを指差した。
「この刻印……微妙に線が歪んでいる。偽造印だ」
「ええ。ですが、素人目には本物に見えるでしょうね」
俺は拳を握りしめた。
脳裏に浮かぶのは、一人の男の顔だ。職人の勘を盲信し、数値を否定し、俺を追放した元ギルド長。
「ヴィクター……あんたなのか」
ここまでプライドを捨てて、腐った真似ができる人間は他に思いつかない。かつては「伝統」を口にしていた男が、今や自分の手を汚してまで、偽ブランド品で俺を潰しに来ている。
「会長! 大変です!」
廊下から、協会の職員が駆け込んできた。
「王都警備隊から連絡が! 中央広場で、ポーションを飲んだ冒険者が血を吐いて倒れたそうです! 所持品からは『アレン工房』の瓶が見つかったと……!」
「……っ!」
最悪のタイミングだ。
デマが現実になる。 「アレンのポーションは危険だ」という噂が流れている中で、実際に被害者が出たのだ。
しかも、証拠品は俺の名前が入った瓶。
「これで言い逃れはできなくなったぞ……」
ダニエルさんが頭を抱える。 外からは、早くも野次馬たちの騒ぐ声が聞こえ始めていた。 『人殺しポーションを作るな!』『田舎へ帰れ!』
「アレンさん……どうする?」
リリアが不安そうに俺を見上げる。彼女の手は剣の柄にかかっていた。戦いなら負けない彼女も、こういう搦め手にはどう対処していいか分からないのだろう。
俺は深呼吸をして、濁った黒いポーションを見つめた。
逃げる? 言い訳をする? いや、違う。
「……好都合だ」
「え?」
俺の呟きに、二人が驚いた顔をする。
「相手が姿を見せずにコソコソしているうちは、手が出せなかった。でも、こうして『物』を市場に流してくれたなら、話は別だ」
俺はリトマス苔が入ったシャーレを手に取った。
「科学捜査の出番だよ。……この偽物が、どれだけデタラメな代物か。そして、本物がどれだけ違うか。衆人環視の中で証明してやる」
俺はダニエルさんに向き直り、きっぱりと言った。
「会長。緊急の記者会見を開きましょう。……いや、『公開実験』です」
「公開実験?」
「ええ。被害が出た以上、黙っているわけにはいきません。俺自らが広場に出て、全ての疑惑に答えます」
俺の腹は決まった。 ヴィクター、あんたが作ったその「黒いポーション」。それが逆にあんたを追い詰める証拠になる。
「リリア。騎士団のロベルトさんに連絡を。……犯人の尻尾を掴む準備をしてくれ」
「了解! ……やっと反撃だね!」
リリアの表情から不安が消え、いつもの勝気な笑みが戻る。
王都の空には暗雲が立ち込めていた。 だが、俺には確信があった。嘘は、事実の前では無力だ。数字と化学反応は、決して俺を裏切らない。
「さあ、始めようか。……俺たちの『品質』を見せつける戦いを」
(第35話 完)
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