第33話「腐ったミカンと数字の罠」
「数字は残酷だな。……でも、これほど正直な証人もいない」
王立錬金術師協会の会長室。深夜の静寂の中、俺は積み上げられた在庫管理台帳と製造日報を見比べながら、独りごちた。
「アレン君、何か分かったかい? ……すまない、少し目眩がしてね」
向かいのソファでは、ダニエルさんが青白い顔で額を押さえている。この数日、彼は現場のサボタージュと貴族たちからの突き上げで、まともに眠っていないらしい。彼の心労を取り除くためにも、この「膿」は早急に出さなければならない。
「ええ、分かりましたよ。機材を壊したり、デマを流したりしている犯人たちの『尻尾』が」
俺は羽ペンを置き、一枚の羊皮紙をダニエルさんに差し出した。そこには、俺が計算したある「矛盾」が記されていた。
「こ、これは……?」
「『マスバランス(物質収支)』の計算結果です」
俺は静かに告げた。 感情や推測ではない。これは、数学的根拠に基づいた断罪の準備だ。
翌日の昼下がり。 俺とダニエルさんは、協会の講堂に全職員を招集した。
集まったのは約四十名。かつてヴィクターの下で働いていた古参の錬金術師たちだ。彼らの表情は一様に暗く、中にはあからさまに不満そうな顔をして、腕組みをしている者もいる。 その中心にいたのは、製造第二課の課長を務めるバルドという男だった。
「おいおい、忙しいのになんだよ。また『マニュアル講習』か?」
バルドが大げさに欠伸をすると、取り巻きたちが下卑た笑い声を上げる。 彼はヴィクター時代のやり方を崇拝し、俺の改革に最も強く抵抗しているリーダー格だ。機材破壊の実行犯ではないかと疑っていたが、証拠がなかった。――昨日までは。
「今日は講習ではありません。……『答え合わせ』をしに来ました」
俺は演壇に立ち、魔法黒板に大きく数字を書き出した。
【ヒールハーブ入荷量:100kg】【ポーション製造数:800本】
「先週の第二製造課の実績です。バルド課長、この数字に間違いはありませんか?」
バルドは鼻を鳴らした。 「ああ、合ってるぜ。俺たちは一生懸命作ったんだ。文句あるか?」「ええ、大いにあります。……計算が合わないんですよ」
俺は黒板にさらさらと計算式を書き足した。
「当協会の規定では、ヒールハーブ1kgから抽出できる有効エキスはポーション12本分。つまり、100kgあれば本来は『1200本』作れるはずなんです」
会場がざわつき始める。
「ですが、実績は800本。残り400本分の材料、つまり約33kg分のハーブが消えています。これは歩留まり(収率)にして66%。……いくらなんでも低すぎませんか?」
俺の指摘に、バルドは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「馬鹿にするな! 失敗することだってあるだろうが! 俺たちは機械じゃねえ、人間なんだよ! 煮込みすぎて蒸発したり、絞る時にこぼしたりすることだってある!」
「そうですね。人間ですからミスはあります」
俺は冷静に頷き、次の一手――「決定的な証拠」を突きつけた。
「だから調べました。『廃棄ログ』を」
「は……?」
「失敗したなら、失敗作として廃棄されたハーブの残骸があるはずです。ですが、ゴミ処理場の記録には、先週一週間で『5kg』分の残骸しか記録されていませんでした」
俺はバルドを真っ直ぐに見据えた。
「入ってきたのは100kg。製品になったのは66kg相当。ゴミになったのは5kg。……残りの29kgは、一体どこへ蒸発したんですか?」
「っ……!!」
バルドが言葉に詰まり、後ずさる。 質量保存の法則。物質は無から生まれたり、無へ消えたりはしない。消えたのなら、それは「誰かが持ち出した」以外にあり得ないのだ。
「そんな細かい数字……いちいち計ってんのかよ……! 気持ちわりいな!」
「気持ち悪いと言われようが構いません。これが『品質管理』です。……それに、証拠は数字だけじゃありませんよ」
俺が合図を送ると、講堂の扉が勢いよく開いた。入ってきたのは、リリアだ。彼女の手には、薄汚れた麻袋が握られている。
「アレンさんの言った通りだったよ! こいつのロッカーの奥から、横流し用のハーブが出てきた!」
リリアが袋を逆さまにすると、乾燥したヒールハーブがバラバラと床に散らばった。その袋には、はっきりと『協会備品』の焼印が押されている。
「なっ……!?」
「街の闇市場で聞き込みもしてきたわ。『最近、協会のお偉いさんが横流し品を持ってくるから助かる』って、仲買人がペラペラ喋ってたよ」
リリアが腕を組み、冷ややかな視線をバルドに送る。完全に逃げ場を失ったバルドは、顔面蒼白でその場に崩れ落ちた。
「ち、違う……俺はただ、ヴィクター様に言われて……活動資金が必要だと……」
「ヴィクター?」
俺の眉がピクリと動く。やはり、裏で糸を引いていたのはあの男か。ダニエルさんが悲痛な面持ちで進み出た。
「バルド君。……君を、業務上横領および器物損壊の疑いで解雇する。衛兵に引き渡すから、そのつもりでいなさい」
「ま、待ってください会長! 俺はただ、昔のやり方を守りたくて……!」
「腐ったミカンを箱に残しておけば、他のミカンまで腐ってしまう。……君は、一線を越えたんだ」
ダニエルさんの静かだが重い宣告に、バルドは項垂れ、衛兵たちに連行されていった。
講堂に残された職員たちは、恐怖と困惑が入り混じった顔で俺を見ている。「次は自分が吊るし上げられるんじゃないか」と怯えているのだろう。俺は彼らに向き直り、努めて穏やかな声で語りかけた。
「誤解しないでください。私は、皆さんを監視して罰したいわけじゃありません」
俺は黒板の数字を消し、職員たちの顔を見渡した。
「正しく仕事をしている人が、正当に評価される場所にしたいだけです。誰かがサボったり、材料を盗んだりすれば、真面目に働いている皆さんが損をする。……数字は、ズルをする人間には残酷ですが、誠実な人間にとっては最強の『守り神』になります」
「守り神……」
「ええ。記録さえつけていれば、理不尽な責任を押し付けられた時に『自分は正しい』と証明できますから。……これからは、正しいやり方で協会を立て直しましょう」
俺が頭を下げると、会場の空気が少しだけ緩んだ気がした。最前列にいた若手の職員が、小さく頷いてくれたのが見えた。
「ふぅ……。なんとか、第一段階はクリアかな」
解散後、俺は廊下で大きく息を吐いた。横領の証拠を押さえたことで、旧ヴィクター派の影響力は大きく削がれるはずだ。これでやっと、まともな製造ラインを構築できる。
「お疲れ様、アレンさん!あのバルドって奴が顔を真っ青にする所、スカッとしたね!」
リリアが俺の背中をバンと叩く。相変わらずいい力加減だ。
「ありがとうリリア。君が証拠を見つけてくれたおかげだ」
「えへへ、これくらい任せてよ! ……でも、あいつ『ヴィクター』って言ってたね」
「ああ。やはり、街に潜んでいるのは間違いない」
俺たちの戦いは、まだ終わっていない。 むしろ、手駒を潰されたヴィクターが、なりふり構わず次の一手を打ってくる可能性が高い。
その時だった。 協会の入り口が騒がしくなり、煌びやかな鎧を纏った一団が入ってきた。 その先頭に立つ人物を見て、俺は思わず居住まいを正した。
「アレン・クロフォード殿ですね?」
現れたのは、王城からの使者だった。
「ベルンハルト殿下より招集命令です。『王都にはびこる病巣について、至急相談したい』と」
王子の憂鬱。そして、政治の闇。 俺たちが踏み込もうとしている泥沼は、想像以上に深いのかもしれない。
俺はダニエルさんと視線を交わし、力強く頷いた。
「分かりました。すぐに参ります」
(第33話 完)
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