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第32話「見えない敵」

「……おはようございます、アレン君。申し訳ない。まただ」


翌朝、王立錬金術師協会に出勤した俺を迎えたのは、幽霊のようにやつれたダニエルさんの悲痛な声だった。


彼の案内で第二製造室へと足を踏み入れた俺は、思わず眉をひそめた。 そこには、無残な光景が広がっていたからだ。


「これ……酷いですね」 「ああ。君がリバーサイドから送ってくれた『新型撹拌機』だ。今朝来たら、この有様だった」


床には、ひん曲がった金属のシャフトと、粉々になったガラス容器の破片が散乱している。 俺が設計し、リバーサイドの職人たちが手作業で調整してくれた特注品だ。自然故障などでこうはならない。明らかに、ハンマーのような鈍器で叩き壊されている。


「犯人は?」 「分からない。防犯用の魔道具を確認したが、昨夜の深夜二時から四時の間だけ、魔力供給が断たれていた。……内部の人間による犯行だ」


ダニエルさんが悔しそうに拳を震わせる。 俺はしゃがみ込み、ひしゃげたシャフトの断面を指でなぞった。


(感情的な破壊衝動……いや、違うな)


断面は鋭利だ。これは単なる憂さ晴らしじゃない。「この機械を使えなくすること」自体を目的とした、極めて的確な破壊工作サボタージュだ。


「アレンさん、これ……」


背後で、リリアが息を呑む気配がした。彼女は散らばったガラス片を見つめ、悲しげに、そして怒りを滲ませて呟いた。


「マルコさんが、指に豆を作りながら削ってくれた部品なのに……。どうしてこんな酷いことができるの?」 「新しいやり方が怖いんだろうさ。自分たちの聖域が、得体の知れない機械に侵されるのがな」


俺は努めて冷静に答え、立ち上がった。 ここで怒りに任せて犯人探しを叫べば、相手の思う壺だ。企業再建の現場で何度も見てきた。改革を拒む勢力は、まず担当者の「心」を折りに来る。物理的な妨害は、その常套手段だ。


「ダニエルさん。予備のパーツはありますか?」 「あ、ああ。倉庫に一セットだけあるが……また壊されるかもしれないぞ?」 「構いません。修理しましょう。何度壊されても、何度でも直す。それがこちらの『本気度』を示す一番のメッセージになりますから」


俺の言葉に、ダニエルさんはハッとしたように顔を上げ、少しだけ目に光を取り戻した。 「……強いな、君は」



だが、敵意は機材の破壊だけではなかった。


午前十時。 俺は職員たちを集め、新しい製造プロセスの講習会を開こうとした。 しかし――。


「ふあぁ……。ねみぃな」 「なんで俺たちが、こんな若造の話を聞かなきゃなんねえんだよ」


会議室に集まったのは、全職員の三分の一程度。 しかも、来た連中の大半はふんぞり返り、あからさまに聞く耳を持っていない。中には隠す様子もなく、テーブルの下で賭けカードを弄っている者さえいた。


彼らは、ヴィクター時代からの古参職員だ。「勘と経験」こそが至高であり、俺のようなデータ重視のやり方を「職人への冒涜」だと信じ込んでいる。


「えー、資料の三ページ目をご覧ください。ここにある『温度管理』についてですが……」 「おいおい、顧問様よぉ」


最前列に座っていた男が、俺の言葉を遮って野太い声を上げた。元副ギルド長の男だ。


「温度計だか何だか知らねえが、そんなおもちゃに頼らなきゃ薬も作れねえのか? 俺たちは三十年、指先の感覚だけでやってきたんだ。ポッと出の田舎者に指図される覚えはねえよ」 「その通りだ! ヴィクター様の方がまだマシだったぜ!」


同調する嘲笑が室内に響く。 俺の隣に立っていたリリアが、カチャンと腰の剣に手をかけそうになるのを、俺は目線だけで制した。


(なるほど。組織文化の腐敗、ここに極まれりだな)


彼らにとって、俺は「改革者」ではなく「侵略者」なのだ。 変化を拒絶し、既得権益にしがみつく。典型的な『抵抗勢力レジスタンス』。 だが、ここまで組織だって反抗してくるのは不自然だ。まるで、誰かが裏で指揮を執り、彼らの不安と不満を煽っているような――。


講習会は、結局何も進まないまま解散となった。



「……報告します、アレン君」


昼過ぎ、執務室に戻った俺たちに、ダニエルさんがさらなる凶報をもたらした。 彼の手には、羊皮紙の束が握られている。


「市内の薬屋と診療所から、注文のキャンセルが相次いでいる」 「キャンセル? アレン工房の技術を導入した新製品を、待ち望んでいたはずじゃ……」 「それが……『アレン・クロフォードが関わっているポーションは危険だ』という噂が流れているんだ」


「はあ!?」 リリアが素っ頓狂な声を上げて机を叩いた。


「何よそれ! アレンさんのポーションは、王国騎士団も認めた最高品質だよ!? 誰よりも安全なのに!」 「ええ、もちろんデタラメです。ですが……噂の内容が悪質でして」


ダニエルさんは声を潜め、一枚の紙を俺に差し出した。そこには、市井で流布されているという噂の内容が記されていた。


『アレンのポーションは、即効性を高めるために違法な魔力増強剤を使っている』 『傷は治るが、代償として使用者の魔力を根こそぎ奪う』 『使い続けると、やがて魔力が枯渇して廃人になる』


「……なるほど。『副作用』か」 俺は思わず唸った。


これは巧みなネガティブ・キャンペーンだ。 俺のポーションの特徴である「劇的な回復速度」は、一般常識からかけ離れている。それを逆手に取り、「効きすぎるのは、何か代償があるからだ」という恐怖フィアーを植え付けているのだ。 専門知識のない一般市民にとって、分かりやすい恐怖は真実よりも早く伝播する。


「店主たちは言っていました。『火のない所に煙は立たない』と。……今、王都でアレン君の名前は『英雄』ではなく、『マッドサイエンティスト』のような扱いになりつつある」


「許せない……ッ!」 リリアが怒りで肩を震わせている。 「アレンさんがどれだけ苦労して、どれだけみんなのために頑張ってきたか……! それを、こんな嘘で踏みにじるなんて!」


「落ち着いて、リリア」 俺は静かに言ったが、腹の底では冷たい怒りが燃えていた。 機材の破壊。内部情報の隠蔽。そして、外部での組織的な風評被害。 これらは、単なる現場の不満レベルを超えている。あまりにも手際が良すぎる。タイミングも完璧だ。


俺たちを社会的に抹殺しようとする、明確な悪意。 この王都の闇の中で、俺の手の内を知り尽くし、一番痛いところを突いてくる人間は一人しかいない。


「……ダニエルさん。ヴィクター前ギルド長は、本当に故郷へ帰ったんですか?」


俺の問いに、ダニエルさんはハッとして顔を上げた。 「まさか……。彼は一ヶ月前に追放されたはずだ。資格も剥奪され、この街にはいられないはずだが……」 「公的には、そうでしょうね。ですが、あのプライドの塊のような男が、大人しく引き下がるとは思えません」


俺は窓の外、広がる王都の街並みを見下ろした。 華やかな大通りの向こう、光の届かない路地裏のどこかに、あの男の粘着質な視線を感じる。


「……リリア。頼みがある」 俺は振り返り、相棒の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「な、なに? 私にできることなら何でも言って!」 「俺はここで、内部の立て直しに集中する。壊された機材を直し、データを集め、内通者を特定する」


俺は一呼吸置いて、続けた。


「リリアには、外を頼みたい。冒険者のネットワークを使って、その『噂』の出どころを探ってくれ。……誰が、どこで、最初に言い出したのか」 「任せて!」


リリアはバシッと胸を叩き、凛々しい表情で愛剣を腰に差し直した。 「変な噂を流してる犯人、絶対に見つけてくる! アレンさんの邪魔をする奴は、私が許さないから!」


彼女は風のように部屋を飛び出していった。 その背中を見送りながら、俺は改めて覚悟を決める。


これは、魔物との戦いではない。 人の心に巣食う既得権益と悪意――「見えない敵」との泥沼の戦争だ。


(上等だ。理不尽な因縁ごと、まとめて『洗濯』してやる)


俺は懐から「在庫管理ログ」を取り出し、ペンを走らせ始めた。 数字は嘘をつかない。このデータの中に、必ず敵の尻尾があるはずだ。


(第32話 完)

次号予告: アレンの反撃開始! 感情論ではなく「データ」で内通者を追い詰めるアレン。一方、街へ出たリリアが見つけたのは、アレン工房のラベルが貼られた「黒いポーション」で……?

第33話「腐ったミカン」 お楽しみに!

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