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幕間「師匠のいない工房と、受け継がれる『基準』」

「……報告します。第一製造ライン、午前の割り当て分終了しました。不良品ゼロ。予定通り、午後からは『フレイムガード』の仕込みに入ります」


「了解だ。温度管理のログだけ、昼休憩の間に提出してくれ」


「はいっ!」


元気な返事とともに、班長の一人が持ち場へと戻っていく。 その背中を見送りながら、僕は――ルーカス・ブラウンは、手元のバインダーに挟まれた工程管理表に『済』のハンコを押した。


アレン師匠とリリアさんが王都へ旅立ってから、一週間が経つ。


「ふぅ……。なんとか、今のところは順調ですね」


誰もいない執務室(かつては師匠が座っていた席だ)で、僕は小さく息を吐いた。 正直に言えば、プレッシャーで胃が痛い。


今の『アレン工房』は、王国騎士団御用達という看板を背負った、リバーサイド最大の生産拠点だ。日産五〇〇本以上のポーションを製造し、数百人の冒険者と騎士たちの命を預かっている。 その全責任が今、師匠代理である僕の双肩にかかっているのだ。


(しっかりしろ、ルーカス。師匠は僕に任せてくれたんだ)


以前の僕なら、きっとパニックになっていただろう。 全てを自分でやらなきゃと抱え込み、部下を怒鳴り散らし、結局は破綻させていたに違いない。 だが、今の僕には師匠が授けてくれた『武器』がある。


『班長制度』による権限委譲。 『標準作業手順書(SOP)』による品質の統一。 そして――。


「失礼します、製造部長」


ノックとともに執務室に入ってきたのは、原材料部長のエミリアだった。 普段は穏やかな彼女だが、今日はその栗色の瞳が少しだけ険しい。


「……何かトラブルかい?」 「はい。例の『ご新規さん』が到着しました。ただ、少し……話が違うようで」


僕は眉をひそめ、椅子から立ち上がった。 「分かった。すぐに行く」



工房の裏手にある搬入口には、荷馬車が一台停まっていた。 荷台には山積みの麻袋。中身はポーションの主原料である『ヒールハーブ』だ。


「いやあ、まいったねえ嬢ちゃん! こちとら遠くから運んできたんだ。少しくらい色が悪いからって、全部突き返すなんて鬼のようなこと言わねえでくれよ!」


恰幅のいい商人風の男が、大げさな身振りで捲し立てていた。 その足元には、検品のために開けられた麻袋が転がっている。


相手は、最近契約を申し込んできた新しい卸業者だ。 師匠が王都へ行って以来、こうした「アレン工房と取引をしたい」という業者が増えている。だが、中には師匠の不在を狙って、足元を見てくる連中もいるのだ。


「……困ります。契約は契約ですから」


現場のスタッフが困り顔で対応しているところに、僕とエミリアは割って入った。


「お待たせしました。製造責任者のルーカスです」 「おお、あんたが責任者か! いやあ、話が早くて助かる。あんたのところのスタッフが、あまりに融通が利かないもんでねえ」


商人は僕を見るなり、揉み手をしてすり寄ってきた。


「見てくれよ、このヒールハーブ。確かにちょっとばかり収穫から時間は経ってるが、まだまだ現役だ。それを『規定外』だなんて言って受け取ってくれねえんだよ」 「師匠……いえ、アレン代表が不在だからといって、現場の判断は絶対です」


僕は努めて冷静に言った。 商人は「チッ」と舌打ちしそうな顔を一瞬見せたあと、猫なで声で囁いてくる。


「まあまあ。アレン殿は『平民の英雄』で、心が広いお方だと聞いているぜ? こんな些細なことで取引を中止したなんて知れたら、あんたの管理能力が疑われるんじゃないかい?」 「…………」 「今回は相場より一割……いや、二割安くしておく。だからここは一つ、穏便に……」


なるほど。 アレン師匠がいないから、若造の僕なら適当に言いくるめられると思ったわけか。 安い粗悪品を掴ませて、既成事実を作ろうという魂胆が見え見えだ。


僕はため息を噛み殺し、隣に立つエミリアに目配せをした。 彼女は無言で頷くと、抱えていたバインダーを開き、一枚の書類を取り出した。


「――お言葉ですが」


エミリアの凛とした声が響く。


「私たちが基準にしているのは、アレン師匠の『心の広さ』や『感情』ではありません。……これです」


彼女が商人の目の前に突きつけたのは、一枚の紙だった。 そこには、表やグラフと共に、細かい数値が羅列されている。


【原材料受入基準書 Ver.2.1】


「項番4。ヒールハーブの納品基準について。『葉の変色率(黄変・黒ずみ)は全体の5%以下であること』。『茎の水分含有率は12%以上を維持すること』……」


エミリアは淡々と、しかし抑揚のある声で読み上げる。


「先ほど、抜き取り検査を行いました。あなたが持ち込んだハーブの変色率は18%。水分率は8%です。これはポーションにした際、有効成分の抽出効率が著しく低下するレベルです」 「な、なにぃ……? い、いちいちそんな細かい数字を……!」 「さらに」


エミリアは畳み掛ける。


「項番8。『カビ、異物の混入が一切ないこと』。……袋の底に、泥が付着したままの葉が混ざっていましたね? 洗浄工程の負荷が増えるため、これらは『規格外』として処理されます」


商人の顔が引きつった。 錬金術師の世界では、材料の良し悪しは「職人の目利き(勘)」で決まるのが常識だ。 だからこそ、「俺が良いと言えば良いんだ」という押し問答が通用してしまう。


だが、アレン工房は違う。 師匠が作ったのは、誰が見ても同じ判断ができる『絶対的な物差し』だ。


「す、数値だなんだと偉そうに……! 薬なんてのは、釜で煮込めば多少の汚れなんか消えちまうんだよ! 融通の利かねえガキどもが!」


商人が逆ギレして声を荒らげた。 周囲のスタッフが怯える中、僕は一歩前へ出た。


「ええ。確かに煮込めば毒にはならないかもしれません。……ですが」


僕は商人の目を真っ直ぐに見据えた。


「僕たちが作っているのは、ただの薬じゃありません。『アレン・クロフォードが品質を保証したポーション』です。その信用を守るためなら、僕たちは一歩も引きませんよ」


「っ……!」


「お引き取りください。……それとも、契約書にある『違約金条項』について、法務官を呼んで話し合いますか?」


僕が懐から別の書類(契約書)を取り出す素振りを見せると、商人は顔を青くした。 彼は「く、くそっ! 覚えてろよ!」と捨て台詞を吐き、乱暴に荷馬車へと戻っていった。


ガラガラと音を立てて去っていく馬車を見送りながら、現場の空気がふっと緩む。


「す、すごいですエミリアさん、ルーカス部長……」 「あの剣幕に言い返すなんて……」


新人スタッフたちが、尊敬の眼差しを向けてくる。 僕は苦笑して、肩の力を抜いた。 膝が少し震えているのは、誰にも内緒だ。


「……ふぅ。エミリア、助かったよ。あのデータがなかったら、押し切られていたかもしれない」 「いいえ。ルーカス部長が毅然としてくださったからです」


エミリアはバインダーを胸に抱き、ふふっと柔らかく笑った。


「師匠の口癖、ちゃんと守れましたね。『数字は嘘をつかない』」 「ああ。……師匠がいないからこそ、僕たちが『アレン工房の品質』にならなきゃいけないんだ」


僕は空を見上げた。 この空のずっと向こう、王都の空の下で、師匠も戦っているはずだ。 もっと巨大で、もっと厄介な敵と。


それに比べれば、これくらいのトラブルなんてことない。


「よし、みんな! 作業再開だ! 午後の生産目標、遅れを取り戻すぞ!」 「「「はいっ!!」」」


工房に、活気ある返事が響き渡る。 撹拌機が回る音。ガラス瓶が触れ合う涼やかな音。 それは、僕たちが師匠の帰りを待つ、誇り高き戦いの音だった。


(幕間 完)

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