第28話「リバーサイドの奇跡、そして絶望」
「……というわけで、やるぞ。5,000本だ」
アレンの宣言に、工房は一瞬の静寂に包まれ——次の瞬間、爆発したような熱気に包まれた。
「うおおおおっ! やってやるぜぇぇ!」 「騎士団の依頼だ! 国を守る仕事だ!」
誰一人として、「無理だ」と言う者はいなかった。 アレンは黒板に向かい、素早く図を描き始めた。現代の生産管理技術——その真髄である『24時間稼働体制』のシフト表だ。
「これより、全スタッフを3つの班に分ける。8時間ごとの完全交代制だ。魔道炉は24時間ノンストップで動かす」
「24時間……!」
ルーカスが息を呑んだ。 さらに、リリアを通じて「氷魔法使い」を臨時雇用し、冷却工程を短縮。ガラス職人ガストンからは、倉庫に眠っていた「規格外品の瓶」6,000本をかき集めてもらった。
資材は揃った。人員配置も決まった。 あとは、回すだけだ。
「総員、配置につけ!」
アレンの号令と共に、戦いが始まった。
◇
二日目の深夜。 工房の熱気は、焦燥感へと変わりつつあった。
「温度低下! 魔力供給が追いついてません!」 「師匠! 3号炉、冷却パイプから水漏れです!」
24時間稼働の負荷に、機材も、そして人間も悲鳴を上げ始めていた。 スタッフの疲労はピークに達し、単純なミスが目立ち始める。
「止めるな! パイプ交換の間、私が手動で魔力を供給する!」
アレンは白衣を脱ぎ捨て、魔道炉の前に立った。直接、自身の魔力を炉に流し込む。 だが、その顔色は悪い。彼自身、ここ数日まともに寝ていないのだ。
「……はぁ、はぁ……」
視界が霞む。指先の感覚がなくなる。 それでも、ノルマまではあと2,000本。 計算上のペースより、明らかに遅れている。
「……師匠、もう無理です」
ルーカスが、泣きそうな顔でアレンの腕を掴んだ。
「これ以上やったら、師匠が倒れます! ……それに、今のペースじゃ、どうあがいても納期には間に合いません!」
その言葉に、工房の空気が凍りついた。 誰もが薄々気づいていた事実。 物理的な限界。 「気持ち」だけでは越えられない壁が、そこにあった。
「くそっ……!」
アレンは作業台を叩いた。 ここまでなのか。騎士団の信頼を裏切り、国を守れずに終わるのか。 前世と同じように、また無力感の中で終わるのか。
その時だった。
カランコロン、とドアベルが鳴った。 こんな深夜に、客など来るはずがない。
「……こんな夜更けに、開いてる店はここだけか?」
入ってきたのは、数人の集団だった。 先頭に立つ男を見て、アレンは目を見開いた。
「ダニエル……さん?」
技術提携を結んだ、王都の錬金術店主、ダニエル・グレイだった。 そして彼の後ろには、見慣れないローブ姿の男女が十数人、ずらりと並んでいる。
「噂を聞いてな。騎士団からの無茶振りで、死にそうな顔してる若造がいるって」
ダニエルはニヤリと笑った。
「彼らは?」
「王都ギルドの連中さ。……いや、『元』ギルド員か」
ダニエルが後ろの集団を紹介した。
「ヴィクターのやり方に愛想を尽かして逃げてきた良識派たちだ。行き場を失っていたところを、私が拾ってきた」
その中の一人が、おずおずと前に出た。
「アレン……さん、ですよね? 以前、貴方がダニエルさんに教えたという製造マニュアル……見せてもらいました」
彼は震える声で言った。
「感動しました。我々が求めていた『答え』が、そこにあった。……もし許されるなら、我々も手伝わせてくれませんか? 貴方の技術を、学びたいんです」
アレンは呆然とし、それから——堪えきれない笑みがこぼれた。 かつて蒔いた種が、こんな形で芽吹くとは。 技術を独占せず、オープンにした結果がこれだ。
「……猫の手でも借りたい状況です。即戦力なら、なおさら大歓迎ですよ」
「よし! 野郎ども、聞いたか!」
ダニエルが号令をかけた。
「アレン殿の指示に従え! 王都の意地を見せてやれ!」 「「「おうっ!!」」」
援軍が、工房になだれ込んだ。 彼らは腐っても王都の錬金術師だ。基礎技術は高い。アレンのマニュアルを読み込むと、すぐに作業に入った。
「なんだこのマニュアル!? わかりやすい!」 「温度管理ってこうやるのか! 目から鱗だ!」 「おい、そっちは任せろ! 俺が変わる!」
沈んでいた工房の空気が、一気に爆発した。 アレン工房のスタッフと、王都からの援軍。 二つの力が合わさり、生産ラインが加速する。
「温度安定! 上昇ペース、従来の1.5倍!」 「いける……これならいけるぞ!」
ルーカスの目に、光が戻った。
アレンは、活気を取り戻した工房を見渡した。 一人じゃない。 仲間がいる。そして、その仲間が繋れてきた縁がある。
「……さあ、ラストスパートだ!」
アレンの叫びに、全員が呼応した。
◇
「……5,000本目、充填完了!」 「できたぁぁぁぁっ!!」
朝日が差し込む工房に、歓喜の爆発が起きた。 積み上げられた木箱の山。それは、王都ギルドが作ったゴミの山とは違う。一本一本、徹底した温度管理のもとで作られ、リバーサイドの人々の想いが込められた、最高品質のポーションだ。
「やりましたね、アレン殿……!」
ロベルトさんが、男泣きしながら俺の手を固く握りしめた。 俺も全身の力が抜けて、その場に座り込みそうになった。だが、これで騎士たちの命は救われる。
その時だった。 工房の外で、馬のいななきと共に、悲鳴のような声が響いた。
「で、伝令ッ!! 王都より緊急伝令!!」
飛び込んできたのは、泥だらけの伝令兵だった。乗ってきた馬は、限界を超えて走らされたのか、泡を吹いて倒れ込んでいる。
「ロベルト隊長! 前線が……前線が崩壊しました!!」 「なっ!? どういうことだ! スタンピードの予測地点はまだ先のはずだろ!?」 「予想以上に魔物の進行が早まっています! 既に防衛ラインが接触! ポーションの在庫はゼロです!!」
伝令兵は血を吐くような声で叫んだ。
「もはや一刻の猶予もありません! 『今日の日没』までにポーションが届かなければ、騎士団は全滅します!!」
場が凍りついた。 歓喜の熱狂は、一瞬にして冷水のような絶望へと変わった。
「今日の日没……だと?」
ロベルトさんが呆然と呟く。現在は早朝。日没までは、あと半日(約12時間)しかない。
「馬鹿な……。ここから王都までは、馬車を全速力で飛ばしても丸三日はかかるんだぞ……!」
物理的な距離の壁。 どれだけ高品質なポーションを作ろうとも、それが患者の口に入らなければただの水だ。 5,000本のポーションは木箱にして数百箱。重量にして数トン。 転移魔法でもない限り、半日で運ぶことなど不可能だ。
「あぁ……なんてことだ……。間に合わないのか……」
ロベルトさんが膝から崩れ落ちる。 農家の人々も、従業員たちも、沈痛な面持ちで下を向いた。「奇跡」は起きた。だが、「物理的な距離」という現実はあまりにも非情だった。
「……諦めるのはまだ早いよ!」
静寂を切り裂いたのは、凛とした少女の声だった。 リリアだ。彼女は絶望する大人たちの中で一人だけ、キッと目を見開いて思考を巡らせていた。
「リリア?」 「陸路がダメなら、空を行けばいい。……そうだ!」
リリアはポンと手を叩くと、俺に向き直った。
「アレンさん! 昨日、『銀の匙亭』で飲んでた時に、すごい自慢話をしてる連中がいたの! 『俺の相棒なら、王都までひとっ飛びだ』って!」 「空を飛ぶ……まさか、テイマーか?」 「うん! 『天空の運び屋』って呼ばれてる変わり者のじいさん! まだ宿で寝てるはず!」
リリアは剣を掴むと、工房の外へ飛び出した。
「叩き起こして連れてくる! アレンさんは荷物の準備をしてて! ……絶対に、空の便を確保してみせるから!」
「頼んだ、リリア!」
彼女の背中が見えなくなると同時に、俺はエミリアとルーカスに向かって叫んだ。
「聞いたか! 空輸の可能性がある! だが、グリフォンだとしても積載量には限界があるぞ!」
俺は積み上がった5,000本の木箱を見上げた。 数トンあるこの荷物を、そのまま空へ上げるのは不可能だ。
「水を運ぶ必要はない。向こうに水があるなら、運ぶのは『有効成分』だけでいい」 「総員、作業再開! リリアが戻るまでの一時間で、5,000本のポーションを『再加工』する!」
「ええっ!?」 「完成品をもう一度釜に戻せ! 徹底的に煮詰めて水分を飛ばし、成分だけを凝縮した『濃縮エキス(シロップ)』を作るんだ!」




