第26話「緊急指令:スタンピード」
王都への初出荷から一週間。 工房は、嵐の前の静けさのような、穏やかな空気に包まれていた。
「師匠、見てください。二番畑のヒールハーブも、色艶最高です!」
昼下がり。
裏手の農園で、エミリアが泥だらけの手を拭きながら報告してきた。
契約農家との連携もうまくいき、原材料の供給は安定している。
風に乗って、乾燥ハーブの心地よい香りが漂っていた。
「順調だな。土壌改良のデータも取れてきたし、来期はさらに収穫量が上がるぞ」
「はい! 近所の農家さんも『こんなに育つなんて魔法みたいだ』って……ふふ、師匠の知識は魔法以上ですね」
エミリアの屈託のない笑顔に癒やされながら、俺は大きく伸びをした。
3
,000本を送り出した反動か、ここ数日は大きなトラブルもなく、平和な時間が流れている。
護衛任務を終えて一足先に戻ってきたリリアも、今日は「久々の休みだー!」と冒険者ギルドへ顔を出している。
平和そのものだ。
――そう、思っていた。
「……ん?」
ふと、棚に並べた空き瓶が、チリ……と微かな音を立てて震えた。 地震か? いや、違う。 震動は地面の底から、一定のリズムで響いてくる。
ドドドドド……。
遠雷のような地鳴り。それが急速に、明確な「蹄の音」へと変わっていく。
「師匠、あれ……!」
エミリアが通りを指差して目を見開いた。
砂煙を上げて工房へ一直線に向かってくるのは、王国の紋章を掲げた早馬だった。
しかも、鞍上にいるのは正規の騎士だ。 だが、その姿はあまりにも凄惨だった。
鎧は泥と煤にまみれ、兜すら失われている。
馬は口から泡を吹き、限界を超えて酷使されたことが一目でわかった。
「アレン・クロフォード殿はいるかッ!!」
店の前で馬を急停止させた騎士が、転げ落ちるように降りてきて叫んだ。
その形相は、尋常ではない。血走った目が、必死に俺を探している。
「私です。一体何が……」
「緊急事態だ! 王国騎士団長からの至急報である!」
騎士は息を切らしながら、震える手で一通の書状を突き出した。
騒ぎを聞きつけたルーカスやマリアたちも出てきて、不安そうに見守る。
俺は書状の封を切り、中身を目で追った。 そこに記されていたのは、国の存亡に関わる絶望的な文字列だった。
『王都近郊にて、大規模な魔物の大量発生の予兆あり』 『S級指定魔獣ベヒーモスの反応を確認。騎士団は総力を挙げて迎撃体制に入る』
「……スタンピード」
俺の口から、乾いた言葉が漏れた。 魔物が群れを成して暴走する、国家規模の災害だ。しかも、王都の喉元で。
「状況は?」
「最悪だ……。前線部隊はすでに接触し、防衛戦を開始している。だが、予想以上の物量に負傷者が続出しているのだ。回復ポーションが……圧倒的に足りない!」
騎士が悲痛な声を絞り出した。
「先日貴殿が納品した3,000本のおかげで、第一陣は何とか壊滅を免れた。現場の兵士たちは『飲めばすぐに動ける』と貴殿の薬を奪い合うようにして使っている。……だが、その在庫も昨日の激戦で底をついた!」
「王都ギルドはどうしたんですか? 彼らなら備蓄があるはずだ」
「頼んだ! 当然、真っ先に頼んださ! だが……」
騎士は悔しげに顔を歪めた。
「奴らは『やる』とは言った。だが、金の話ばかりで危機感がない。……それに、ロベルト隊長は仰っていた。『S級魔獣を相手にする激戦で、ギルドの作る"薄い"ポーションでは兵士の命は守れない』と!」
「……なるほど」
「貴殿が先日納品した3,000本……あれの効き目は劇的だった。現場の兵士たちは『あれじゃないと助からない』と口を揃えている。ギルドが何本作ろうとも、我々が本当に欲しいのは、貴殿の作る『本物のポーション』なのだ!」
騎士は頭を下げた。
「これは保険ではない。貴殿こそが、我々の唯一の希望なのだ! ……どうか、力を貸してほしい!」
騎士がガバリと頭を下げた。
プライド高い王国騎士が、一介の錬金術師に懇願している。
それほどまでに切迫しているのだ。
「必要な数は?」
「……5,000本だ」
「期限は?」
「敵の侵攻速度を考えると……あと三日。三日以内に前線に届かなければ、防衛線は崩壊する」
5,000本を、三日で。 工房に冷や水を浴びせられたような静寂が落ちた。
「ご、5,000本……!?」
「無理です! 今の設備じゃ、フル稼働しても一週間はかかります!」
「材料だって、そんな急には……」
スタッフたちが青ざめて騒ぎ出す。当然の反応だ。 通常の錬金術師なら、「不可能です」と即答して終わりだ。物理的に、絶対的に、時間が足りない。
俺は目を閉じた。 感情を排し、脳内のスイッチを「経営者」から「エンジニア」へと切り替える。
(思考しろ。感情で判断するな。数字で考えろ)
現在の生産能力は、日産500本。三日で1,500本。 目標5,000本に対して、3,500本の不足。 稼働時間を8時間から24時間に延長すれば、生産量は3倍になる。これで4,500本。 まだ500本足りない。
(ボトルネックはどこだ?)
抽出工程? いや、魔道炉の火力は上げられる。
充填工程? 人海戦術でカバーできる。
最大の問題は――『冷却』だ。
抽出した高温の薬液を、瓶詰め可能な温度まで冷ます時間。
これに今の工程の30%が費やされている。自然冷却や水冷では間に合わない。
(ここを短縮できれば……いけるか?)
俺はカッと目を開いた。
「……ルーカス」
「は、はい!」
「魔道炉のメンテナンス状況は?」
「昨日本体点検を済ませたばかりで、絶好調ですが……まさか、やるんですか!?」
「エミリア、契約農家の在庫状況は?」
「収穫済みの乾燥ハーブなら、倉庫に山ほどあります! すぐに荷車を手配できます!」
俺の矢継ぎ早の指示に、全員が息を呑む。 そこへ、騒ぎを聞きつけたリリアが息を切らして戻ってきた。
「アレンさん! なんか凄い騎士さんが来てるけど、どうしたの!? 街中が大騒ぎだよ!」
「リリア、いいところに来た! 事情説明は後だ、今すぐ冒険者ギルドへ走ってくれ!」 「えっ?」 「『氷魔法』が使える冒険者を雇いたい! それも、繊細な温度調整ができる熟練者だ! 冷却工程を魔法で強制短縮する!」 「冷却……! わかった、それなら心当たりがある! 『氷の魔女』って呼ばれてる凄腕がいるの! 引っ張ってくる!」
リリアが瞬時に意図を理解し、弾かれたように駆け出していく。 このスピード感。頼もしいパートナーだ。
「マリア、ガストンさんのガラス工房へ! 在庫の瓶を全て買い占めろ! 形が悪くても、ヒビさえなければ構わん!」
「は、はいっ!」
俺は騎士に向き直り、力強く告げた。
「アレン工房が引き受けます。……三日後、必ず5,000本を用意しましょう」
「ほ、本当か!? 本気で言っているのか!?」
「はい。ただし、条件があります。輸送用の馬車を騎士団で大至急手配してください。我々は作るだけで手一杯になります」
「もちろんだ! 輸送隊の手配はすぐにさせる! 早馬で本部に連絡する!」
騎士の目に、涙とも希望ともつかない光が宿った。
「感謝する……! この恩は、死んでも忘れん!」
「礼は納品が終わってからです。……さあ、みんな!」
俺はパン! と手を叩き、呆然としているスタッフたちを鼓舞した。
「聞け! これはただの残業じゃない。俺たちのポーションで、国を守る『戦争』だ!」
俺の言葉に、スタッフたちの顔つきが変わった。 怯えが消え、職人としての覚悟が宿る。
「……はいっ!」
最初に返事をしたのはエミリアだった。 続いてルーカスが、白衣の袖をまくり上げた。
「……分かりました。やりましょう、師匠。僕が最強のシフトを組みます。三日間、魔道炉の火は一秒たりとも消させませんよ?」
「望むところだ。……総員、戦闘配置につけ! 作業開始だ!」
「「「おおおーっ!!」」」
工房が一気に熱を帯びる。 穏やかな午後の空気は消し飛び、鉄と炎と、男たちの熱気が支配する戦場へと変貌した。
俺はホワイトボードに向かい、猛烈な勢いで工程表を書き換え始めた。
前世のブラック企業時代、デスマーチ(死の行進)は何度も経験した。
胃が痛くなるようなプレッシャーも、終わりの見えない徹夜も。
だが、今回のデスマーチには意味がある。 誰かの利益のためじゃない。誰かの命を救うための、誇りある戦いだ。
「見せてやるよ。現代知識の本気を」
リバーサイドの小さな工房が、王国の運命を背負って動き出した。
(第26話 完)
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