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第21話「怪しい視察者」

「カイゼン会議」から三日が経った。

 工房の風景は、劇的に変わっていた。


「マリア、洗浄ペースはどうだ?」


「順調です、ルーカス部長! 『ゼロ歩配置』のおかげで、午前中だけで600本終わりました!」


「よし。マルクス班、ラベル貼りの進捗は?」


「糊の乾燥待ち時間がなくなったので、こちらも予定より10%早いです!」


 製造部長のルーカスが、指揮者のようにフロアを歩き回り、的確な指示を出している。

 以前のようなピリピリした空気はない。全員が「どうすればもっと楽に、早くできるか」をゲームのように楽しみながら仕事をしている。


 デスクで日報を確認していた俺は、満足げに頷いた。


(いい流れだ。これなら騎士団への納品も余裕を持ってクリアできる)


 組織が自律的に動き始めた時、経営者の仕事は「現場を見守ること」に変わる。

 少し手持ち無沙汰になった俺が、新しい薬草茶でも淹れようかと立ち上がった時だった。


 カランコロン、とドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 近くにいたマリアが元気よく声をかける。

 入ってきたのは、三十代半ばほどの男だった。

 くたびれたローブを纏い、背中には大きなリュック。旅人のようだが、漂ってくる微かな薬品の匂いが、彼が同業者であることを告げていた。


「……あの、ここはアレン・クロフォード氏の工房でしょうか?」


 男は愛想笑いを浮かべながら、キョロキョロと工房内を見回している。その視線は、俺たち人間よりも、奥にある魔道炉や製造ラインの方に向けられていた。


「はい、そうですが。私がアレンです」


 俺が前に出ると、男は大袈裟に驚いた顔をした。


「おお! あなたが噂の『辺境の革命児』ですか! お若いとは聞いていましたが、これほどとは!」


 男はゲイルと名乗った。

 自称、諸国を漫遊するフリーの錬金術師。


「噂を聞いて、どうしても貴殿の革新的な技術を一目見たくて参りました。もし叶うなら、見学させていただけないでしょうか? いえ、数日働かせていただくだけでも構いません!」


 ゲイルは深々と頭を下げた。

 その言葉だけ聞けば、熱心な求道者だ。

 だが、俺の前世で培った観察眼は、彼の些細な挙動を見逃さなかった。


 下げた頭の隙間から、上目遣いで作業場を観察する鋭い目つき。

 そして、ポケットの中で何やら硬いものを弄ぶ手つき。


(……なるほど)


 俺はルーカスと視線を交わした。

 ルーカスも気づいているようだ。眉間に皺を寄せ、警戒心を露わにしている。


「師匠、今は繁忙期です。部外者を中に入れるのは……」


 ルーカスが断ろうとした、その時。

 俺はあえて明るい声で遮った。


「いいですよ。どうぞ、見ていってください」


「し、師匠!?」


「あ、ありがとうございます!」


 ルーカスは仰天し、ゲイルは満面の笑みを浮かべた。


「隠すような技術じゃありませんから。ちょうど手が空いていたんです。私が案内しましょう」


 俺はゲイルを招き入れた。


 ◇


「ほほう、これが噂の温度計ですか……!」

「なるほど、時間を砂時計で管理していると……」

「このマニュアル、書き写してもよろしいですか?」


 案内を始めると、ゲイルの態度は露骨になった。

 彼は「なぜそうするのか(理論)」には一切興味を示さず、「何度なのか」「何分なのか」「配合比率はどうなのか」といった「数値パラメータ」ばかりを熱心にメモしている。


「アレン殿、このヒールハーブの抽出温度は71度とありますが、これは秘伝の数値なのですか?」


「ええ、まあ。今の季節の薬草には、それがベストですね」


「なるほど、71度……71度……」


 ゲイルはぶつぶつと呟きながら、必死に手帳に書き込んでいる。

 その様子を、ルーカスが背後から苦々しい顔で睨んでいた。


 一通りの見学を終えると、ゲイルは「トイレをお借りしても?」と言って席を外した。

 彼がいなくなった隙に、ルーカスが俺に詰め寄った。


「師匠! 正気ですか!?」


 ルーカスの声は怒りに震えていた。


「あいつ、どう見てもスパイですよ! それも、おそらく王都ギルドの!」


「だろうな」


 俺はあっさりと認めた。


「挙動が素人じゃない。王都で流行りのポーションの成分分析表なんかも持ってたしな」


「分かっていて、なぜマニュアルを見せたんですか!? 71度という最適温度や、撹拌の回数まで……全部盗まれましたよ!」


 ルーカスが焦るのも無理はない。

 俺たちが数ヶ月かけて、失敗と実験を繰り返して導き出した「正解」を、タダで渡してしまったようなものだからだ。


 だが、俺はコーヒーを一口啜って、静かに言った。


「ルーカス。君は『料理のレシピ本』を買ったことがあるか?」


「え? ……はい、ありますが」


「そのレシピ通りに作って、プロのシェフと全く同じ味が出せたか?」


「それは……無理です。火加減とか、材料の微妙な違いとかがありますから」


「それと同じだよ」


 俺はゲイルが熱心に見ていたマニュアルを指差した。


「あそこに書いてある『71度』や『撹拌60回』は、あくまで『今の季節のリバーサイド産ヒールハーブ』を使った場合の最適解だ」


 俺たちの強みは、その数字そのものではない。

 日々の気温、湿度、薬草の状態(水分量や産地)に合わせて、その数字を微調整できる「プロセス」にある。

 毎朝エミリアが薬草の状態をチェックし、俺たちがテスト抽出を行い、その日の最適条件を導き出す。

 その「解析能力」と「修正能力」こそが、アレン工房のブラックボックスだ。


「彼は『結果』だけを盗んでいった。でも、『なぜその数字なのか』という『過程プロセス』を理解していない」


 俺は窓の外、王都の方角を見た。


「王都の水、王都の薬草を使って、リバーサイドと同じ『71度』で作ったらどうなると思う?」


「……条件が違うから、失敗します」


「その通り。あるいは、偶然うまくいっても品質は安定しない」


 形だけ真似ても、魂まではコピーできない。

 それが「技術」というものだ。


「だから放っておけばいい。むしろ、中途半端な知識を持ち帰ってくれた方が、彼らは混乱するだろうさ」


 俺の説明を聞いて、ルーカスはようやく肩の力を抜いた。


「……師匠は、性格が悪いですね」


「経営者として褒め言葉と受け取っておくよ」


 ◇


「いやぁ、素晴らしい! 感動しました!」


 トイレから戻ってきたゲイルは、ホクホク顔だった。

 ポケットが膨らんでいる。おそらく、盗み見たマニュアルの写しが入っているのだろう。


「アレン殿、本日は貴重な時間をありがとうございました。この感動を胸に、私も旅を続けます」


「ええ、頑張ってください」


 俺は笑顔で彼を送り出した。

 工房を出ていくゲイルの背中は、「ちょろいもんだ」と語っていた。

 彼はきっと、王都に戻ってこう報告するだろう。

『アレンの技術は全て盗みました。ただ温度を71度にして、決まった回数混ぜるだけです』と。


「……哀れな人ですね」


 隣で見ていたルーカスが、冷ややかな声で言った。


「数字の奥にある、僕たちの努力が見えていないなんて」


「ああ。さあ、仕事に戻ろう」


 俺は手を叩いた。


「俺たちは俺たちのやり方で、最高のものを作るだけだ」


 その日の夕方。

 納品予定の3,000本が、ついに完成した。

 琥珀色に輝くその液体は、どの瓶を見ても寸分違わぬ透明度を保っていた。

 それは、スパイには決して盗めない、俺たちチームの結晶だった。


(第21話 完)

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これからもアレンたちの逆転劇にお付き合いください!

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