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第20話「カイゼン会議」

「……はぁ」


 工房の片隅で、重たい溜息が落ちた。


 夕暮れ時の工房は、よどんだ空気に包まれていた。騎士団への納品期限まであと一週間。瓶の確保や薬草の調達といった「モノ」の問題は解決したが、今度はそれを加工する「ヒト」が限界を迎えつつあった。


「師匠、本日の進捗率は85%です」


 製造部長のルーカスが、こめかみを揉みながら報告に来た。その顔色は悪い。


「残業すれば挽回可能ですが……新人のマリアとトーマスは、疲労で動きが鈍っています。ミスが出るのも時間の問題かと」


 俺は作業場を見渡した。

 本来なら活気あるはずの工房が、今はただノルマを消化するだけの「工場」になっている。


 エミリアは黙々と薬草を選別し、新人のマリアは必死な形相で瓶を洗っている。誰も口を利かない。笑顔もない。ただ、作業音だけが響いている。


(これはマズいな……)


 前世の記憶が警鐘を鳴らす。

「気合いで乗り切れ」という精神論は、短期的には通用しても、長期的には組織を壊す。疲労は集中力を奪い、品質事故を招く。そして何より、仕事がつまらなくなる。


「ルーカス、全員の手を止めさせてくれ」


「えっ? ですが、まだ今日の分が……」


「いいから。今から一時間、作業を中断する」


「い、一時間もですか!? それじゃ納期に間に合いません!」


「『急がば回れ』だ。今のまま続けても、どうせ不良品が出るだけだ」


 俺はルーカスの肩を叩いた。


「今から、働き方を変える」


 ◇


 工房の休憩スペースに、全従業員二十名が集められた。

 みんな、不安そうな顔をしている。「ノルマ未達で怒られるんじゃないか」と身構えているのが分かった。


 俺はホワイトボードの前に立ち、全員を見回した。


「みんな、集まってくれてありがとう。毎日遅くまで、本当にすまない」


 まず、俺は深々と頭を下げた。

 ざわめきが起きる。工房長である師匠が、弟子たちに頭を下げるなど、この世界の常識ではあり得ないからだ。


「単刀直入に言う。今のやり方には無理がある。みんなの頑張りに頼りきりで、仕組みが追いついていない」


 俺は顔を上げた。


「そこで、今日はみんなから意見を聞きたい。仕事をしていて『大変だ』『やりにくい』『無駄だ』と思うことを、何でも言ってほしいんだ」


 シーンと静まり返る。

 弟子たちは顔を見合わせ、誰も口を開こうとしない。

 無理もない。王都のギルドでは「上の指示は絶対」だ。平の錬金術師が文句を言うなんて、許されることではなかった。


「……誰もいないか?」


 俺は苦笑した。染み付いた習慣は、そう簡単には抜けないか。

 なら、きっかけはこちらで作るしかない。


「例えば俺は、腰が痛い」


 俺は自分の腰を叩いてみせた。


「作業台の高さが合ってないんだよな。俺の身長だと、少し屈まないといけない。これ、地味に辛いんだ」


 ぽかん、と全員が俺を見た。


「えっと、師匠……そんなことでいいんですか?」


 ルーカスが呆れたように聞く。


「ああ。そんなことでいい。小さなストレスが積み重なって、大きな疲れになるんだ。……他に、腰が痛い奴はいないか?」


 おずおずと、数人の手が挙がった。


「あ、あの……実は私も、作業台が高すぎて、踏み台が欲しいなって……」


 小柄なエミリアが呟いた。


「そうか。エミリアには踏み台が必要だな。他には?」


 少しずつ、空気が緩み始めた。

「不満」を言っても怒られない。「弱音」を吐いてもいい。その安心感が広がっていく。


 すると、新人のマリアが小さく手を挙げた。


「あ、あの……」


「マリア、どうした?」


「私、瓶洗い担当なんですけど……その、私の手が遅いせいで、みんなに迷惑をかけてて……」


「迷惑なんて思ってないよ。で、何が大変なんだ?」


「えっと……洗い場のシンクで瓶を洗って、それを乾燥棚に置くんですけど……その時に、床が濡れてて滑りそうになるんです。だから、慎重に歩かなきゃいけなくて……」


 それを聞いたルーカスが、反射的に眉をひそめた。


「マリア、それは君が水をこぼすからだろう? もっと丁寧に……」


「ストップ」


 俺はルーカスの言葉を手で遮った。


「ルーカス、それは違う。『こぼすな』『気をつけろ』というのは簡単だ。でも、そもそも『こぼれても問題ない』あるいは『歩かなくて済む』仕組みにするのがカイゼンだ」


 俺はマリアに向き直った。


「マリア、シンクと乾燥棚の距離はどれくらいだ?」


「えっと……歩いて5歩くらいです」


「5歩か。一日何本洗う?」


「昨日は一人で500本洗いました」


「5歩×往復×500回……つまり、君は一日で5,000歩も、重い瓶を持って濡れた床を歩いているわけだ」


「ご、5,000歩……!?」


 全員が息を呑んだ。

 ただ瓶を洗うだけの作業に見えて、実はマラソンのような移動を強いられていたのだ。これでは疲れるし、時間もかかる。


「これはマリアの能力不足じゃない。レイアウトの欠陥だ」


 俺は断言した。


「ルーカス、乾燥棚をシンクの真横……いや、シンクの上に設置できないか?」


「上、ですか?」


「ああ。洗った瓶をそのまま上に置けば、移動はゼロ歩だ。水滴が落ちても、そのままシンクに戻るから床も濡れない」


 ルーカスは目を丸くし、ハッとした顔になった。


「……盲点でした。確かに、そうすれば移動時間が消滅します。さらに、床拭きの時間もなくなります!」


「やってみよう。今すぐだ」


 俺たちは会議を中断し、洗い場のレイアウト変更に取り掛かった。

 ガストンさんが納品に使った木箱を再利用し、簡易的な棚をシンクの上に設置する。所要時間はわずか十分。


「よし、マリア。試してみてくれ」


「は、はい!」


 マリアは新しい配置で瓶洗いを始めた。

 ジャブジャブと洗って、そのまま手を伸ばして上の棚に置く。

 洗う、置く。洗う、置く。

 足は一歩も動いていない。


「……すごいです!」


 マリアが輝くような笑顔で振り返った。


「全然疲れません! それに、すごく早く終わります!」


 時間を計っていたマルクスが叫んだ。


「ペースが倍になってます! これなら今日の遅れ、一時間で取り戻せますよ!」


「おおおーっ!」


 工房に歓声が上がった。

 魔法を使ったわけじゃない。ただ、棚の位置を変えただけだ。それだけで、劇的な効果が出た。


「これが『カイゼン』だ」


 俺は全員に向かって言った。


「仕事がキツいのは、君たちの能力が低いからじゃない。やり方が悪いだけだ。だから、我慢しないで言ってほしい。『ここがやりにくい』という声こそが、工房を良くするヒントなんだ」


 その言葉を皮切りに、せきを切ったように意見が出始めた。


「ラベルを貼る糊がすぐに乾いてしまって、塗り直すのが手間です!」

「薬草の保管庫が暗くて、種類を間違えそうになります!」

「休憩室の椅子が硬くて、お尻が痛いです!」


 次々と出る「不満」という名の「宝の山」。

 俺とルーカス、そしてエミリアも加わって、それを全て書き留め、その場で解決策を話し合った。


 糊は密閉容器に入れよう。

 保管庫には魔石ランプを増設しよう。

 椅子にはクッションを置こう。


 一時間の会議が終わる頃には、ホワイトボードは文字で埋め尽くされていた。

 そして何より、従業員たちの顔が違っていた。

 疲れた表情は消え、「自分たちで職場を良くするんだ」という主体的な光が宿っていた。


「師匠……僕は恥ずかしいです」


 片付けをしながら、ルーカスがぽつりと呟いた。


「管理職の仕事は、部下をサボらないように監視することだと思っていました。でも本当は、彼らが働きやすいように障害物を取り除くことだったんですね」


「気づけたなら、今日から変えればいい。君は優秀な製造部長だよ」


 ◇


 その日の夜。

 レイアウト変更と工程の見直しを行った結果、予定より早くノルマを達成できた。

 残業なし。久しぶりの定時あがりだ。


「お疲れ様でしたー!」

「明日も頑張りましょう!」


 従業員たちが笑顔で帰路につくのを見送った後、俺はエミリアとルーカスと共に戸締まりをしていた。


 そこへ、工房の扉がノックされた。


「こんばんはー! あれ? もう店じまい?」


 ひょっこりと顔を出したのは、リリアだった。


「リリアか。ああ、今日はもう終わりだ」


「えっ、珍しい! 最近はずっと夜遅くまで明かりがついてたのに」


 リリアは驚いたように目を丸くし、それからクンクンと鼻を鳴らした。


「……なんか、空気が良くなった?」


「空気?」


「うん。昨日までは工房全体がピリピリしてて、入りにくい雰囲気だったけど……今はなんか、スッキリしてる感じがする!」


 さすがは冒険者、勘が鋭い。

 俺は顔を見合わせて笑った。


「ああ。ちょっと『カイゼン』をしたんだ」


「カイゼン? よく分かんないけど、アレンさんが笑ってるなら上手くいったんだね!」


 リリアはニカっと笑って、手に持っていた包みを差し出した。


「これ、差し入れ! 『銀の匙亭』のミートパイ。みんな疲れてるかなって思って持ってきたんだけど……元気そうなら、一緒に食べよ!」


「タイミングが良いな。ちょうど腹が減ってたんだ」


「やった! じゃあ、お茶淹れるね!」


 勝手知ったる他人の家のように準備を始めるリリアを見て、俺たちの肩から力が抜けていく。

 従業員ではないけれど、こうして外から気にかけてくれる存在はありがたい。


 俺たちは作業台を囲み、温かいミートパイを頬張った。

 生産システムは確立された。

 組織としての風通しも良くなった。

 アレン工房は、今まさに順風満帆だ。


 ──だが。


 光が強くなれば、影もまた濃くなる。

 俺たちが笑い合っている頃。

 王都のとある一室で、俺たちの運命を揺るがす計画が動き出していたことを、この時の俺はまだ知らなかった。


「……ほう。辺境の工房が、騎士団のシェアを奪っただと?」


 暗闇の中で、歪んだ笑みが浮かぶ。

 忍び寄る影は、もうすぐそこまで来ていた。


(第20話 完)

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