第18話「中間管理職ルーカス」
「違う! マニュアルをよく読めと言っただろう!」
工房に、ルーカスの怒声が響いた。 ビクッと肩を震わせたのは、新人のマリアだ。彼女の手元には、計量中の薬草がある。
「す、すみません……」
「0.1グラム多い! 『±0.5グラム』は許容範囲だが、君はさっきから上限ギリギリばかりだ。もっと中央値を狙え!」
「は、はい……!」
マリアは泣きそうな顔で薬草を戻し、震える手で再計量している。 その様子を見ていた他の新人たちも、ルーカスの視線を恐れて作業がぎこちなくなっていた。
工房の空気が、重い。 以前のような活気ある「師弟の時間」ではなく、ピリピリとした「監視の場」になってしまっている。
「……少し、マズいな」
デスクで書類整理をしていた俺は、ペンを置いた。 マニュアルの改訂で品質トラブルは減った。だが、今度は「組織」の問題が浮上していた。
原因は、製造リーダーに任命したルーカスだ。 彼は真面目だ。真面目すぎるがゆえに、自分にも他人にも厳しい。 王都ギルドで適当な指導を受けてきた反動か、俺の「データ重視」のやり方に心酔し、それを完璧に遂行しようと必死なのだ。
だが、それが裏目に出ている。
昼休み。 新人たちが逃げるように休憩に出た後、俺はルーカスを呼んだ。
「ルーカス、少し話せるか」
「はい、師匠。……すみません、午前の製造ペースが予定より5%遅れています。午後で取り戻しますので」
ルーカスは顔色が悪い。目の下に隈ができている。 おそらく、新人のミスをカバーするために、夜遅くまで一人で作業しているのだろう。
「いや、ペースの話じゃない。君自身のことだ」
「僕……ですか?」
「最近、イライラしているようだが」
図星だったのか、ルーカスは視線を逸らした。
「……申し訳ありません。新人たちの覚えが悪くて、つい」
「彼らは真面目にやっているよ。マリアも、最初は不器用だったが確実に上達している」
「でも、師匠の基準には程遠いです! このままじゃ、騎士団への納品に間に合いません!」
ルーカスが声を荒げた。そしてハッとして、すぐに俯いた。
「……すみません。僕が、もっとしっかりしないといけないのに」
「ルーカス」
「僕は、師匠のようになりたいんです。冷静で、完璧で、どんな問題もデータで解決する。……でも、なれない。僕は師匠のコピーにはなれません」
彼が握りしめた拳が震えている。 そうか。彼は俺の背中を追いかけるあまり、自分を見失っていたのか。 プレイヤー(職人)としては優秀でも、マネージャー(管理者)としては一年生。誰もが通る道だ。
「当たり前だ。君は俺じゃない」
俺はルーカスの肩に手を置いた。
「俺が君をリーダーにしたのは、俺のコピーが欲しいからじゃないぞ」
「え……?」
「俺は時々、夢中になると周りが見えなくなる。研究室に籠もりがちだ。だから、現場の空気を作れる人間が必要なんだ」
俺は工房を見渡した。
「ルーカス、君の仕事は『完璧なポーションを作ること』じゃない。『チーム全員が80点のポーションを作れる環境を作ること』だ」
「環境……ですか」
「ああ。100点を目指して0点(失敗)を出させるより、安定して80点を出させる。それがリーダーの仕事だ。厳しくするだけが管理じゃない」
ルーカスは呆気にとられた顔をしていたが、やがて深く考え込み、小さく頷いた。
「……僕はずっと、彼らのミスを数えていました。どうすればミスをしないか、ではなく」
「気づけたなら大丈夫だ。そこで提案なんだが」
俺は一枚の紙を取り出した。 組織図の改訂案だ。
「『班長制度(チーム制)』を導入しようと思う」
「チーム制?」
「ああ。今は君が全員を見ているが、それじゃ目が届かない。だから、3人1組のチームを作る。マリアとマルクスを班長にして、新人の面倒を見させるんだ」
「彼らに……務まるでしょうか」
「任せてみるんだ。君が全部背負う必要はない。君は、班長たちを支えてやればいい」
権限委譲。 中間管理職の負担を減らし、次世代のリーダーを育てる手法だ。
「君は『製造部長』として、全体を見渡してくれ。困っているチームがあったら助け舟を出す。それだけでいい」
「……製造部長」
ルーカスはその言葉を噛み締め、顔を上げた。憑き物が落ちたような、スッキリとした表情だった。
「分かりました。……やってみます。いえ、やらせてください」
午後。 ルーカスは新人たちを集め、頭を下げた。
「みんな、すまなかった。少し焦りすぎていたようだ」
新人たちが驚いてざわつく。 あの鬼リーダーが謝った?
「これからはチーム制にする。マリア、マルクス、力を貸してくれ。僕一人じゃ、この工房は回せない」
「は、はい! 任せてください!」
マリアが嬉しそうに返事をした。 その瞬間、工房の空気が変わった。張り詰めていた緊張感が消え、やる気に満ちた熱気に変わった。
「ルーカスさん、ここの手順なんですが、チームで相談して少し変えてもいいですか?」 「ああ、効率が上がるなら構わない。やってみてくれ」
夕方には、製造ラインは見違えるほどスムーズに動いていた。 ルーカスは声を張り上げるのではなく、各チームを回りながら的確なアドバイスをしている。 その姿は、もう俺のコピーではない。立派な「製造部長」の姿だった。
「ふう、一件落着か」
俺はデスクでコーヒーを啜った。 組織が回れば、人は育つ。人が育てば、会社は強くなる。 製造部門の憂いはなくなった。
だが、問題はまだある。 急増するポーションの需要に対して、今度は「原材料」が悲鳴を上げ始めていたのだ。
裏手の畑から戻ってきたエミリアが、泥だらけの顔で駆け込んでくる。
「師匠! 大変です! 薬草の成長が、消費に追いつきません!」
次なる壁は、農業だ。
【第18話 完】
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