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第16話「嬉しい悲鳴と物流の壁」

第1章では「品質管理」で個人の信頼を勝ち取りましたが、第2章のテーマは「組織化と物流」です。 良いモノを作るだけではビジネスは回らない。 そんな製造業のリアルな壁に、アレンが挑みます。


まずは手始めに、一番地味だけど一番重要な「容器」の問題から。 引き続き、ブクマ・評価等で応援いただけると執筆の励みになります!

「……3,000本、か」


工房の奥にある執務デスクで、俺は騎士団から届いた正式な発注書を前に、溜息交じりの独り言を漏らした。 いや、溜息と言っても、決して憂鬱なわけじゃない。これは安堵と、これから始まる戦いへの武者震いが混ざったものだ。


初回納品数、3,000本。 納期は二週間後。


これまで俺たちが一ヶ月かけて作ってきた総数に近い量を、わずか半月で納めなければならない。普通の錬金術師なら「不可能だ」と叫んで逃げ出す数字だろう。 だが、今の俺には頼もしい仲間がいる。


「師匠、何をニヤニヤしてるんですか?」


製造ラインの点検をしていたルーカスが、不思議そうに声をかけてきた。


「いや、やるべきことが明確になったなと思ってね。ルーカス、製造ラインの稼働率計算はどうだ?」


「はい。シミュレーション通りです。現在のスタッフ数と魔道炉の数をフル活用すれば、ポーション液自体の製造は間に合います。エミリアさんの畑と契約農家からの供給も順調ですし」


ルーカスは手元のクリップボードを見ながら、淀みなく答えた。 彼の言う通り、中身リキッドの製造能力にはまだ余裕がある。マニュアル化と分業制のおかげで、新人のマリアやマルクスたちも即戦力として動けるようになってきたからだ。 特にルーカスは、以前の「勘」に頼るスタイルを完全に捨て去り、今では俺以上にデータにうるさい製造リーダーへと成長している。


「よし。じゃあ、予定通り増産体制に入ろう。無理な残業はなしで、シフトを組んで対応する。品質チェックの工程だけは絶対に省略しないように」


「了解です! マニュアル第4章『繁忙期の特別シフト』ですね。すぐに組みます」


ルーカスが敬礼の真似事をして作業に戻ろうとした、その時だった。


「た、大変ですアレンさん!!」


工房の扉が勢いよく開き、マリアが飛び込んできた。 彼女は先日の面接で採用した新人だ。元々薬学に興味があっただけあって知識は豊富だが、少し慌てん坊なところがある。 今は顔色が真っ青になっていた。


「どうしたマリア? 薬草が届かないのか? それとも魔道炉の故障か?」


「い、いえ、薬草は山ほどあるんです! 魔道炉も順調です! ないのは……『瓶』です!」


「……え?」


俺とルーカスは顔を見合わせた。


「び、瓶?」


「はい! リバーサイド中の雑貨屋とガラス工房を回ったんですけど、どこも在庫切れで……! 次の入荷は未定だって言われました!」


マリアの報告を聞いて、俺は血の気が引くのを感じた。


しまった。 完全に盲点だった。


ポーションを作るには、薬草と水、そして魔力が必要だ。だが、それを製品として出荷するには、当然ながら『容器』が必要になる。 これまでは生産量が少なかったから、街の雑貨屋で売っている小瓶を買い集めるだけで事足りていた。だが、3,000本となると話は別だ。


リバーサイドは小さな街だ。ガラス瓶の流通量なんてたかが知れている。 俺たちが急激に生産を拡大したせいで、街中の瓶を使い尽くしてしまったのだ。


「……在庫管理のミスだ」


俺は額に手を当てた。 前世の記憶が蘇る。製薬会社時代、物流担当の先輩が口を酸っぱくして言っていた言葉だ。


『サプライチェーン・マネジメント(供給連鎖管理)を舐めるなよ。原料があって工場が動いてても、箱がなけりゃ出荷できないんだぞ』


まさにその通りだ。 中身があっても、入れる容器がなければ、ポーションはただの液体だ。騎士団にバケツで納品するわけにもいかない。


「ど、どうしましょう師匠……。このままじゃ、中身だけできて、出荷できません!」


ルーカスが焦った声を出す。 納期は二週間後。今から王都の商会に発注しても、輸送だけで数日かかる。それに、王都ギルドの妨害が入る可能性もゼロじゃない。彼らが瓶の買い占めでもしていたら、そこで詰みだ。


俺は深呼吸をして、頭を切り替えた。 焦るな。こういう時こそ、経営者の判断が問われる。


「マリア、現在の瓶の在庫はあと何本ある?」


「えっと、倉庫に残っているのが約500本です……」


「分かった。とりあえず今日の製造分はそれで凌ごう。ルーカス、製造は止めないでくれ。瓶に入り切らない分は、一時的に保存用の大型タンクに貯蔵しておくんだ」


「はい! でも、タンクにも限界がありますよ? それに、早く瓶詰めしないと品質劣化のリスクが……」


「分かってる。明日中に解決策を見つける」


俺は上着を掴んで立ち上がった。 この街で、不可能を可能にしてくれる頼れるパートナーの顔が思い浮かんでいた。


「俺が何とかする。……心当たりがあるんだ」



「なるほど……瓶不足、か」


ギルバート商会の応接室で、ギルバートさんは顎髭を撫でながら頷いた。 急な訪問にも関わらず、彼は嫌な顔ひとつせず俺を迎えてくれた。


「はい。こちらの見通しが甘かったです。街の在庫を枯渇させてしまうとは……」


「いやいや、急成長する事業にはつきもののトラブルだよ。むしろ、リバーサイドのガラス需要を一社で食い尽くすなんて、痛快じゃないか」


ギルバートさんは豪快に笑ったが、目は笑っていなかった。鋭い商人の顔になっている。


「アレン君。君の工房は、もう『街の薬屋さん』の規模を超えているんだ。これからは資材の調達も、戦略的に行わなければならない」


「戦略的……ですか」


「ああ。いつまでも市場の在庫に頼っていては、今回のように供給が止まるリスクがある。だから……」


ギルバートさんは身を乗り出した。


「ガラス職人を、囲い込んでしまおう」


「囲い込む?」


「私の知人に、腕は良いが偏屈で売れないガラス職人がいてね。ガストンというんだが。彼の工房と専属契約を結ぶんだ。アレン君の工房専用の瓶を作らせる。そうすれば、安定供給が可能になるだろう?」


なるほど。いわゆる『垂直統合』の一環か。 エミリアに薬草栽培を任せて「原材料」を自社化したのと同じで、資材の製造元も自社のコントロール下に置く。そうすれば、必要な時に必要なだけ手に入るし、品質も管理できる。


「素晴らしい提案です。ぜひお願いします」


「話が早くて助かるよ。ただ、彼は職人気質でね。『同じもんを何千個も作るのは退屈だ』とか言い出しそうでな……」


ギルバートさんが苦笑する。 職人のこだわりか。気持ちは分かるが、量産体制には邪魔になることもある。


そこで、俺は一つの提案をした。


「ギルバートさん。その職人さんに、こう伝えてもらえませんか? 『ただの瓶じゃなく、最高の機能美を持つ瓶を作ってほしい』と」


「機能美?」


「はい。実は、今の市販の瓶には不満があったんです」


俺は懐から、昨夜描いたスケッチを取り出した。


「今の瓶は丸い形をしていますよね。これだと、箱に詰めた時に隙間ができて無駄が多いし、輸送中に転がって割れやすいんです。ガラスの厚みも不均一ですし」


「ふむ……」


「だから、ポーション瓶の『規格統一』をしたいんです」


俺が指差したのは、四角い底を持つシンプルな瓶のデザイン図だ。


「四角い柱のような形にすれば、箱に詰めた時に隙間なくピタリと収まります。計算上、一度に運べる量が20%は増えるはずです」


「20%もか!」


「はい。それに、ガラスの厚みを均一にする金型を使えば、強度も上がって割れにくくなる。積み重ねても崩れにくい。これは単なる容器じゃなくて、物流システムの一部なんです」


前世のペットボトルや規格瓶のアイデアだ。 ロジスティクス(物流)まで考慮した製品設計。これこそが、大量生産の鍵になる。


ギルバートさんはスケッチをじっと見つめ、やがて大きく目を見開いた。


「……恐れ入ったな。君は錬金術だけでなく、商売の何たるかも分かっているようだ」


「いえ、ただの効率化オタクですよ」


「ははは! 効率化オタク、結構! そのガストンという男はね、こういう『理屈のある道具』には目がないんだ。この図面を見せれば、『面白い挑戦だ』と言って喜んで協力してくれるだろう」


ギルバートさんは力強く請け負ってくれた。


「すぐに契約の手配をする。明後日には最初のロットを納品させよう」


「ありがとうございます、助かります!」


これで最大のボトルネックは解消できそうだ。 俺はホッと息をついた。


「アレン君、覚悟しておきたまえよ」


帰り際、ギルバートさんが真剣な顔で言った。


「君の工房が大きくなればなるほど、こういう『見えない壁』は増えていく。薬草、瓶、人手、配送……。これらを繋ぎ合わせるのが、これからの君の仕事だ」


「……はい。肝に銘じます」



工房に戻る道を歩きながら、俺は空を見上げた。 夕焼けが、リバーサイドの街を赤く染めている。


ポーションを作るだけが錬金術師の仕事じゃない。 良い製品を、必要な人に、必要なだけ届ける仕組みを作る。それもまた、俺のやるべき『錬金術』なのだ。


「よし、帰ったらマリアに伝えないとな」


新しい四角い瓶が来たら、梱包作業の手順も書き直さないといけない。専用の木箱も必要になるだろう。マニュアルの改訂作業だ。


忙しくなるな。 でも、不思議と足取りは軽かった。 壁が現れるたびに、それを乗り越える方法を考えるのが楽しい。そして乗り越えるたびに、俺たちの工房は強くなれる。


「待ってろよ、3,000本」


俺は拳を握りしめ、工房への道を急いだ。


【第16話 完】

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