第94話「下水道とローマの秘薬」
「うぇぇ……。アレンさん、本当にここに入るの?」
リリアが鼻をつまみ、涙目でマンホールを覗き込んでいる。
そこから立ち上ってくるのは、腐ったドブと湿気が混じり合った、強烈な異臭だ。
「仕方ないだろう。ここが『患部』なんだから」
俺は防護マスクのフィルターを確認し、ゴム長靴の紐を締め直した。
広場での給水活動は、協会から派遣された応援スタッフに引き継いである。
塩素消毒された水の供給は安定し始めたが、それはあくまで対症療法だ。
汚染源である下水路の漏水を止めない限り、いつまで経っても地下水は綺麗なままにならない。
「おーい! アレンくん!」
そこへ、馬車に乗ったダニエルさんが戻ってきた。
荷台には、灰色の粉末が詰まった麻袋が山積みになっている。
「待たせたね! 倉庫をひっくり返して見つけてきたよ。北の鉱山都市ヴァルカン産の『火山灰』だ!」
「ありがとうございます、ダニエルさん。助かりました」
俺は袋の中身を確認する。
サラサラとした灰色の粉。
これこそが今回の作戦の要、「ポッツォラーナ(火山灰)」だ。
「しかし、ただの灰で本当に壁が直るのかい? 粘土の方がいいんじゃないか?」
ダニエルさんが不思議そうに尋ねる。
俺はニヤリと笑った。
「ただの灰じゃありません。これと石灰、そして砕いたレンガを混ぜ合わせ、海水で練り上げることで、石よりも硬くなる『魔法の泥』に変わるんです」
俺の脳内にあるのは、前世の記憶。
二千年前の古代ローマ帝国が築き上げ、今なお海の中でその形を留めている港湾遺跡。
現代のコンクリートですら五十年で劣化すると言われる中、二千年耐え抜く奇跡の建材。
「ローマ・コンクリート」。
その最大の特徴は、海水と反応して「トバモライト」という結晶を生成し、年月が経つほどに緻密で強固になる性質だ。
常に水に晒され、湿気の多い下水道の修復には、これ以上の素材はない。
「リリア、こいつを錬成するぞ。手伝ってくれ」
「はーい! まぜまぜすればいいんだよね!」
俺たちは広場の片隅で、火山灰と石灰、そして骨材となる砂利を混ぜ合わせた。
そこに、タンクから汲み出した「塩水」を注ぎ込む。
「融合!」
俺が錬金術で反応を促進させると、泥状の混合物はほんのりと熱を帯びた。
水和反応が始まっている証拠だ。
「よし、これをアイテムボックスに詰め込んで持っていく。……行くぞ、リリア」
「ううっ……覚悟を決めるよ。乙女の肌に下水の匂いが染み付いたら、アレンさん責任取ってよね!」
リリアが文句を言いながらも、腰の剣を確かめ、俺の後に続いて梯子を降り始めた。
地下下水道。
そこは、地上の喧騒が嘘のように静まり返った闇の世界だった。
ボタッ、ボタッ、という水滴の音だけが響く。
足元を流れる汚水は黒く濁り、壁には見たこともない色の苔がびっしりと張り付いている。
「照明」
俺はカンテラに魔力を灯し、周囲を照らした。
石積みの壁はボロボロで、所々が崩れ落ちている。
王都の地下インフラが、ここまで老朽化していたとは。
「ひどい有様だな……。これじゃあ、汚水が地下水脈に漏れ出すのも当然だ」
「ねえアレンさん、なんか気配がしない?」
リリアが剣の柄に手をかけ、鋭い視線を闇の奥へと向けた。
俺も足を止める。
確かに、チャプ……チャプ……と、水面を何かが移動する音が聞こえる。
「ネズミか?」
「ううん、もっと大きい。……来るよ!」
リリアが叫んだ瞬間、水路の奥から巨大な影が飛び出してきた。
「ギシャアァァッ!!」
体長一メートルはある巨大なドブネズミだ。
だが、ただのネズミじゃない。
目は赤く発光し、全身の毛が抜け落ちて、皮膚がただれている。
汚染された水を飲み続け、マナの毒に侵された変異種だ。
「うわっ、汚っ! 近寄らないで!」
リリアが瞬時に踏み込み、剣を一閃させる。
銀色の軌跡が闇を切り裂き、飛びかかってきたネズミを真っ二つにした。
ドサッ!
ネズミの死骸が汚水に落ちる。
「ふぅ。……やっぱり魔物化してるね。アレンさん、下がってて!」
「ああ、頼りにしてる」
俺はリリアの背中に守られながら、地図と壁面を照らし合わせた。
疫学調査のデータから推測すると、汚染源となっている破損箇所はこの先、地下水脈と交差するエリアのはずだ。
俺たちは次々と襲いかかる変異ネズミや、巨大化したナメクジをリリアが蹴散らしながら進んだ。
彼女の剣技は狭い坑道でも冴え渡っている。
壁や天井に剣を当てず、的確に敵だけを斬る技術はさすがだ。
「ここだ……!」
さらに奥へ進むと、水路の壁が大きく崩落している場所に出た。
崩れた石の隙間から、黒い汚水がドボドボと外側の土壌へと流れ出している。
その先には、王都の井戸水を養う清浄な地下水脈があるはずだ。
「大規模な漏水だな。ここを塞げば、汚染は止まる」
俺は崩落箇所に近づき、ライトを当てた。
――その時、俺の目に奇妙なものが映った。
「……ん?」
俺は崩れた石の断面を指でなぞった。
石が古くなって崩れたにしては、断面が鋭すぎる。
まるで、鋭利な道具で「内側から」叩き割られたような……。
「リリア、これを見てくれ」
「何? ……あ、ツルハシの跡?」
リリアも気づいたようだ。
壁には明らかに、人為的に削られた痕跡が残っていた。
「自然崩落じゃない。誰かが意図的に壁を壊したんだ」
「えっ!? じゃあ、この病気は……」
「ああ。『人災』だ」
俺の中で怒りがふつふつと湧き上がる。
老朽化なら仕方ない。だが、これはテロだ。
教団が「聖水」を売るためにやったのか、それとも別の勢力が王都を混乱させるためにやったのか。
いずれにせよ、数千人の命を危険に晒した罪は重い。
「許せない……! 私たちを騙して、子供たちまで苦しめて!」
リリアが悔しそうに拳を震わせる。
「犯人探しは後だ。まずはこの穴を塞ぐ」
俺はアイテムボックスから、先ほど錬成した「ローマ・コンクリート」の塊を取り出した。
ドサリと重い粘土のような塊が地面に落ちる。
「いくぞ。成型!」
俺は両手をコンクリートに突き刺し、魔力を流し込む。
泥の塊が生き物のようにうごめき、崩落した壁の隙間へと吸い込まれていく。
隙間を埋め、石と石を繋ぎ、さらに壁全体を厚くコーティングする。
普通のセメントなら水に流されてしまうところだが、このローマ・コンクリートは水分を含むことで即座に硬化反応(ゲル化)を始める。
「固まれ……! 千年保つ岩になれ!」
俺のイメージに応えるように、コンクリートは熱を発しながら急速に硬化していく。
漏水していた黒い水流が、ピタリと止まった。
「よし、成功だ。……次は反対側の亀裂を……」
その時だった。
「――そこで何をしている」
背後の闇から、低い男の声が響いた。
俺とリリアはハッとして振り返る。
ライトの光の先に、三人の人影が立っていた。
黒いローブを目深にかぶり、顔は見えない。だが、その手には短剣と、怪しげな紫色の液体が入った瓶が握られている。
「教団の連中か?」
俺が問うと、真ん中の男が不気味に笑った。
「教団? ククク、あんなカルトと一緒にされては困るな。我々はただの『掃除屋』だ」
男が一歩踏み出す。
その足元の汚水が、ジュワッと音を立てて蒸発した。
魔法使いか。
それも、かなり手練れの。
「貴様らがアレン・クロフォードか。折角いい具合に王都が腐りかけていたのに、余計なことをしてくれたものだ」
「壁を壊したのはお前たちか!」
リリアが剣を構えて叫ぶ。
「いかにも。混乱は金になるからな。薬を売るもよし、政敵を失脚させるもよし。……だが、貴様のおかげで計画は台無しだ。責任を取ってもらおうか」
男が合図をすると、左右の二人が瓶を投げつけてきた。
瓶が空中で割れ、紫色の液体が飛び散る。
「リリア、避けろ! 酸だ!」
俺はリリアの腕を引き、コンクリートで補修したばかりの壁の陰に飛び込んだ。
液体がかかった地面が、激しい煙を上げて溶ける。
強力な溶解液だ。
「隠れても無駄だ! ここでお前たちが死ねば、全ては『不幸な事故』で片付く!」
男たちが魔法の火球を放ってくる。
狭い下水道での戦闘は圧倒的に不利だ。
爆発が起きれば、生き埋めになりかねない。
「アレンさん、どうする!? ここじゃ思いっきり暴れられないよ!」
リリアが焦ったように言う。
彼女の剣技は広い場所でこそ真価を発揮する。崩落寸前のここでは、下手に壁を斬れば天井が落ちてくる。
俺はとっさに周囲を見回した。
あるのは汚水と、固まりかけのコンクリート。
そして、狭い通路。
「……リリア、俺が合図したら伏せろ」
「え?」
「奴らを『固める』」
俺は残りのコンクリートの山に手を置いた。
まだ半分以上残っている。
これを壁の修復に使うつもりだったが、武器にするしかない。
「おいおい、出てこいよ英雄殿! ネズミの餌になりたいか?」
男たちがジリジリと近づいてくる。
俺はタイミングを計った。
距離、五メートル。通路の幅、二メートル。
今だ。
「リリア、伏せろッ!!」
「わっぷ!」
リリアが泥水の中に伏せるのと同時に、俺はコンクリートの山を一気に錬成した。
「流動化・大波!」
ドロリとした大量のコンクリートが、津波のように通路を逆流した。
男たちは完全に不意を突かれた。
火球や溶解液は「固体」や「生物」には効くが、押し寄せる「泥の波」を止める術はない。
「な、なんだこれは!?」
「泥!? うわぁぁぁッ!!」
男たちは逃げる間もなく、粘度の高いローマ・コンクリートの波に飲み込まれた。
俺は即座に術式を切り替える。
「急速硬化!」
海水との化学反応を強制的に加速させる。
男たちの腰までを飲み込んだコンクリートが、一瞬にしてカチカチの岩石へと変貌した。
「ぐ、動けん!?」
「足が! 足が抜けない!」
男たちは下半身を完全に床と一体化され、身動きが取れなくなった。
ローマ・コンクリートの拘束力は半端じゃない。
一度固まれば、ハンマーで叩いても簡単には割れないのだ。
「……ふぅ。一丁上がりだな」
俺は肩で息をしながら立ち上がった。
「ぷはっ! ……もう、アレンさん! 泥だらけだよ!」
リリアが顔を上げて抗議する。その頬には泥がついていたが、怪我はないようだ。
「悪い悪い。でも、これ以外に生け捕りにする方法がなくてな」
俺は動けなくなった男たちの元へ歩み寄った。
彼らは必死にもがいているが、下半身は完全に石の中に埋まっている。
「さて、掃除屋のお兄さんたち。誰に雇われたのか、じっくり聞かせてもらおうか」
俺がマスクを外して冷たく見下ろすと、男たちは恐怖に歪んだ顔で震え上がった。
「ひぃっ……! 化け物か、お前は……!」
「泥を石に変えるなんて、聞いてないぞ……!」
「化け物じゃない。錬金術師だ。……お前たちが壊した壁と同じ素材で固めた気分はどうだ?」
俺は彼らの杖と道具を取り上げた。
これで脅威は去った。
「アレンさん、こいつらどうする?」
リリアが泥を払いながら剣を納める。
「このまま放置して、地上に戻ったら衛兵に通報しよう。『下水道に動く石像がある』ってな」
「あはは! それいいね! ざまぁみろ!」
リリアが男たちにアカンベーをする。
俺たちは残りの修復作業を手早く済ませた。
漏水箇所はすべて塞ぎ、さらに補強も完了。
これで汚染ルートは完全に断たれた。
数十分後。
俺たちはマンホールから地上へと這い出した。
外はすっかり日が暮れ、夜空には星が輝いている。
「ぷはぁーっ! 空気がおいしい!」
リリアがマスクをかなぐり捨て、大きく深呼吸をした。
俺も防護服を脱ぎ、夜風を浴びる。
下水の臭気から解放されたその空気は、何よりも甘美だった。
「お帰り、二人とも! 無事だったかい?」
ダニエルさんが駆け寄ってくる。
俺は親指を立てて笑ってみせた。
「任務完了です。漏水は全て塞ぎました。……あと、お土産もありますよ」
「お土産?」
「下水道に、壁を壊した実行犯を三人ほど『梱包』しておきました。騎士団に引き上げてもらってください」
「じ、実行犯!? まさか、この騒動は人為的なものだったのか!?」
ダニエルさんが驚愕の声を上げる。
俺は頷き、広場のタンクを見た。
そこにはまだ塩素の匂いが漂っているが、これからはその必要もなくなるだろう。
地下水脈が自然浄化されれば、また元の美味しい水が飲めるようになる。
「アレン殿! こちらにいたか!」
王城の方角から、馬車が猛スピードで戻ってきた。
窓から顔を出しているのは、シェリーだ。
「シェリー! どうだった、お城の方は?」
リリアが手を振る。
馬車が止まると、シェリーは扇で口元を隠しながら優雅に降り立った。
その表情は、どこかスッキリとしている。
「ふふん、圧勝じゃ。国王陛下に『ドラゴニアの衛生基準』を説いてやったわ。貴族どもは私の剣幕に震え上がっておったぞ」
「さすが皇女様、頼りになります」
「うむ。それと、教団と癒着していた貴族の名も吐かせた。明日の朝には、衛兵が踏み込む手はずになっておる」
仕事が早すぎる。
これで、下水での実行犯と、それを裏で操っていた黒幕が繋がるはずだ。
「アレン、お主の方も終わったようだな? ……む、なんだその酷い匂いは」
シェリーが俺たちに近づき、顔をしかめて扇ぐ。
「下水道帰りだからな。……風呂に入りたいよ、切実に」
「うう……私、三回くらい洗わないと匂いが取れないかも……」
リリアが自分の匂いを嗅いで涙目になっている。
俺たちは顔を見合わせ、苦笑した。
王都を救った英雄の姿にしては、あまりにも泥臭い。
だが、それが「最弱職」と呼ばれた俺たちの戦い方だ。
「帰ろう、みんな。……温かい風呂と、ご飯が待ってる」
「賛成! 今日はお肉がいい!」
「私は魚が食べたいのじゃが」
「はいはい、両方用意しますよ」
俺たちは泥だらけのまま、工房のあるリバーサイドへ帰る馬車に乗り込んだ。
王都の夜景が、心なしか昨日よりも輝いて見えた。
(第94話 完)
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