第92話「巨大な砂箱と『濾過』の魔法」
「貴様、何をしたか分かっているのか!」
「俺たちの水を返せ!」
「悪魔だ! こいつは悪魔の使いだ!」
破壊された井戸のポンプを前に、広場は暴動寸前だった。
怒り狂った住民たちが、石やゴミを投げつけようと詰め寄ってくる。
無理もない。
彼らにとってこの井戸は、喉の渇きを癒やす唯一の救いだったのだから。
「鎮まれ! 鎮まらぬか、愚か者ども!」
シェリーが前に進み出て、手にした扇をバチリと鳴らした。
その全身から、隠しきれない王者の覇気が放たれる。
「我々はドラゴニア帝国の使節団、そして王立錬金術師協会の代表である! 暴力を振るえば、国に対する反逆とみなすぞ!」
「う、うるせえ! 帝国がなんだ! 俺たちは今、喉が渇いてるんだよ!」
「そうだ! 教団様を侮辱して、井戸まで壊して……殺してやる!」
住民たちの目は血走っている。
極限状態の群衆心理だ。
言葉だけではもう止まらない。
扇動しているのは、もちろんあの司祭だ。
「皆さん、見なさい! これが『科学』を騙る異端者の本性です! 神の恵みを破壊し、あなた方を干上がらせようとしているのです!」
司祭が勝ち誇ったように叫ぶ。
このままでは、物理的な衝突になる。
リリアやシェリーに民衆を傷つけさせるわけにはいかない。
俺は壊れたポンプの上に仁王立ちになり、腹の底から声を張り上げた。
「一時間だ!」
俺の声に、少しだけ喧騒が弱まる。
「一時間だけ待て! そうすれば、この井戸水より遥かにうまく、そして安全な水を腹いっぱい飲ませてやる!」
「はあ? 何を言って……」
「嘘に決まってる!」
「嘘じゃない!」
俺は住民の一人を指差した。
「お前、さっき『泥水を飲ませる気か』と言ったな? ……そうだ。俺は今から、そこらへんの泥水を『宝石のような水』に変えてみせる」
俺は広場の隅にある、雨水と汚水が溜まったドブ川を指差した。
ヘドロが沈殿し、悪臭を放つその水を見て、住民たちが顔をしかめる。
「馬鹿にするな! あんな汚い水、飲めるわけねえだろ!」
「だから『変える』と言っている。――リリア、資材の準備だ! 時間がないぞ!」
「了解! 倉庫から持ってきた『あれ』だね!」
リリアがアイテムボックス(俺が貸与しているマジックバッグ)から、大量の資材を取り出し始めた。
木材、砂利、砂、そして木炭。
俺は広場の中央にスペースを確保し、錬金術を発動する。
「構築!」
マナの光と共に、木材が組み上がり、高さ三メートルほどの巨大な木枠の塔が出現した。
さらに、その横に階段と、上部へ水を注ぐための足場を作る。
「な、なんだあれは……?」
「箱……か?」
住民たちが呆気にとられて見守る中、俺は塔の内部に層を作っていく。
これは「緩速濾過」の応用だ。
本来、緩速濾過は微生物の膜ができるまで時間がかかるが、今回は物理的な濾過能力を極限まで高めた「急速濾過器」として錬成する。
「一番下に、拳大の石(グリ石)を敷き詰める!」
ドサドサドサ! と石が投入される。
「次に、砂利!」
ザラザラと粗い石の層ができる。
「その上に、細かく砕いた木炭!」
黒い炭の層。これが臭いや毒素を吸着する重要な役割を果たす。
「最後に、洗ったばかりの綺麗な砂だ!」
俺はトップスピードで層を重ねていく。
教科書通りの濾過装置だが、錬金術を使えば、砂の粒子の大きさ(粒度)をミクロン単位で均一に揃えることができる。
これにより、目詰まりを防ぎつつ、不純物を完璧にキャッチする最強の物理フィルターが完成するのだ。
「完成だ……!」
作業開始から四十五分。
広場には、異様な威圧感を放つ「木の塔」がそびえ立っていた。
塔の下部には、真鍮製の蛇口が一つ取り付けられている。
「ふん、ただの砂遊びか? 砂の上に水を流せば、余計に汚れるだけだろうが」
司祭が鼻で笑う。
住民たちも半信半疑だ。
「おい、本当にあんなので水が綺麗になるのか?」
「砂と炭だぞ? 真っ黒になるんじゃ……」
俺は何も言わず、バケツを手に取った。
そして、わざとらしく広場のドブ川へ向かい、ヘドロの混じった茶色い汚水をなみなみと汲み上げた。
腐った卵のような強烈な異臭が漂う。
「うわっ、くせえ!」
「やめろ! 近づけるな!」
俺はそのバケツを持って、塔の上の足場へと登った。
全員の視線が俺に集中する。
「よく見ていろ。これが『科学』の魔法だ」
俺はバケツを逆さにし、茶色い汚水を砂の層へと一気に流し込んだ。
ドボボボボ……。
汚水は砂に吸い込まれ、姿を消す。
広場に沈黙が落ちた。
固唾を飲んで見守る数千の視線。
(頼むぞ……計算通りなら、そろそろだ)
俺は塔を駆け下り、蛇口の前で待機した。
濾過された水が、石と砂と炭の迷宮を通り抜け、重力に従って落ちてくるまでの数分間。
それが永遠のように長く感じられた。
やがて。
蛇口の先から、ポタリ、と雫が落ちた。
「……あ」
誰かが声を上げた。
ポタリ、ポタリ、チョロチョロ……。
水流は徐々に勢いを増し、透明な筋となって流れ出した。
俺はガラスのコップを差し出す。
水がコップの底を打ち、満たしていく。
そこに溜まった液体は――。
「……透明だ」
濁りは一切ない。
浮遊物も、泥の色も、完全に消え失せている。
まるで水晶を溶かしたかのような、完全な無色透明。
「馬鹿な……! 色が消えただと!?」
司祭が目を剥いて叫んだ。
住民たちもざわめき始める。
「すげえ……本当に透き通ってるぞ」
「でも、もとはあのドブ水だぞ? 飲めるわけが……」
そうだ。見た目が綺麗でも、「元がドブ」という心理的な壁は高い。
誰かが証明しなければならない。
安全で、美味いということを。
俺がコップに口をつけようとした、その時だった。
「アレンさん、貸して!」
横から伸びてきた手が、俺からコップを奪い取った。
リリアだ。
「リリア、待て。まずは俺が毒見を……」
「いいの! アレンさんは説明役でしょ? それに……」
彼女はニカッと笑い、住民たちの方を向いた。
「アレンさんが作ったものが、失敗するわけないもん!」
彼女は何の躊躇もなく、コップを煽った。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。
喉が鳴る音が、静まり返った広場に響く。
リリアは一気に飲み干すと、口元を手の甲で拭い、満面の笑みで叫んだ。
「――ぷはぁっ! 冷たくておいしーーいっ!!」
その笑顔に、嘘偽りはなかった。
彼女は空になったコップを逆さにして見せる。
「臭みなんて全然ないよ! エルフの森の湧き水みたいにスッキリしてる! ねえアレンさん、おかわり!」
「ああ、いくらでもあるぞ」
俺は二杯目を注ぎ、リリアに渡す。
その様子を見ていた子供が、母親の服を引っ張った。
「ママ……僕も飲みたい」
「だ、ダメよ。まだ危ないかも……」
「でも、あのお姉ちゃん、すごく美味しそうだよ……」
子供の正直な言葉が、大人の躊躇を溶かしていく。
一人の男が、おずおずと前に出た。
「……俺にも、一杯くれねえか」
俺は黙って新しいコップに水を注ぎ、渡した。
男は震える手でコップを受け取り、恐る恐る匂いを嗅ぐ。
ドブの臭いはしない。
意を決して、一口。
「…………!」
男の目がカッと見開かれた。
「う、うめえ……! なんだこれ、すげえ冷えてて、泥臭さが欠片もねえ!」
男は夢中で飲み干し、涙目で叫んだ。
「水だ! 本物の綺麗な水だぞぉぉ!!」
その叫びが合図だった。
「俺にもくれ!」
「私にも!」
「子供が脱水症状なんだ、頼む!」
堰を切ったように、住民たちが塔の周りに殺到した。
「押すな! 列を作れ! シェリー、誘導を頼む!」
「まったく、世話の焼ける民草じゃ。……ほら、小さい子を優先せぬか!」
シェリーが的確な指示で列を作らせ、リリアが次々と水を配っていく。
水を飲んだ人々は、口々に感謝の言葉を口にし、中には地面にひれ伏して泣き出す者もいた。
「ああ、生き返った……」
「錬金術師様、ありがとう……!」
その光景を前に、司祭は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
彼らの売り物だった「聖水(ただの不衛生な水)」よりも、目の前の「濾過水」の方が圧倒的に高品質なのは、誰の目にも明らかだったからだ。
「ば、馬鹿な……砂と炭を通しただけで……こんなことが……」
司祭がブツブツと呟きながら後ずさる。
俺は彼に近づき、冷ややかに告げた。
「これは奇跡じゃない。『濾過』という物理現象だ。大地が雨水を濾過して湧き水にするプロセスを、箱の中に再現しただけだ」
俺は住民たちに向き直り、声を張り上げた。
「聞いたか、みんな! この水を作っているのは、神の奇跡じゃない! 砂と炭、そして知恵だ! つまり――誰にでも作れる技術だ!」
「誰にでも……作れる?」
「そうだ。作り方は公開する。各家庭でミニサイズの濾過器を作れば、もう高い金を払って怪しげな水を飲む必要はない!」
俺の宣言に、広場が割れんばかりの歓声に包まれた。
それは、彼らが「恐怖」と「搾取」から解放された瞬間だった。
「おのれ……! 商売上がったりだ! 覚えてろよ!」
司祭は捨て台詞を吐くと、信者たちを引き連れて逃げるように去っていった。
住民たちが彼らに石を投げつけるのを、俺はあえて止めなかった。
数時間後。
広場の騒ぎは落ち着き、給水待ちの長い列だけが残っていた。
俺たちは急造したテントの中で、ひと息ついていた。
「ふぅ……。なんとか乗り切ったな」
俺は椅子に座り込み、泥だらけの手を拭いた。
「アレン、見事だったぞ。あの泥水を本当に飲めるようにするとはな」
シェリーが感心したように、濾過水の入ったコップを揺らしている。
リリアも嬉しそうだ。
「へへっ、アレンさんの凄さがみんなに伝わってよかったよ。私の演技も完璧だったでしょ?」
「演技じゃないだろ、あの飲みっぷりは。……ありがとう、助かったよ」
俺が礼を言うと、リリアは照れくさそうに鼻をこすった。
だが、俺の表情はまだ晴れなかった。
目の前のコップを見つめ、重い口を開く。
「……だが、これだけじゃダメなんだ」
「え? どういうこと?」
リリアがキョトンとする。
俺は顕微鏡が入った鞄を撫でた。
「濾過で『濁り』や『大きなゴミ』は取り除けた。炭のおかげで毒素や臭いも消えた。……だが、細菌やウイルスは、砂の隙間を通り抜ける」
「えっ!?」
二人の顔が強張る。
「もちろん、泥水よりはマシだ。菌の温床になるゴミは除去できているし、菌の絶対数は激減している。でも、完全な『無菌』じゃない。もし感染者の排泄物が混じった水を濾過しても、コレラ菌は素通りする可能性がある」
緩速濾過は本来、砂の表面に繁殖する微生物膜(生物濾過)によって菌を食べる仕組みだ。
今作ったばかりの「出来たて」の濾過器は、ただの物理フィルターに過ぎない。
見た目が綺麗な分、余計にタチが悪いとも言える。
「じゃあ、どうするの? また煮沸する?」
「数万人分の水をすべて煮沸するのは燃料が足りない。もっと効率的で、確実に菌を殺す方法が必要だ」
俺はテントの隙間から、水を美味しそうに飲む子供たちを見た。
彼らを再び危険に晒すわけにはいかない。
「……毒には毒を、だ」
「毒?」
「ああ。菌だけを殺し、人間には害のない『魔法の水』を作る」
俺の頭の中には、次なる設計図が浮かんでいた。
食塩と電気。
それを使って生み出す、近代公衆衛生の切り札。
「次亜塩素酸ナトリウム(塩素)」
プールのような刺激臭。
それが、安全の証となる。
「リリア、シェリー。明日は海へ行くぞ。大量の『塩』が必要だ」
「海? ……まさか、海水浴じゃないよね?」
「半分遊びで、半分仕事だ。……王都の水を、完全に消毒する」
俺は決意を新たに、立ち上がった。
戦いはまだ、始まったばかりだ。
(第92話 完)
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