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第90話「王都の異変と隔離壁」

「止まれ! この先は封鎖されている! 何人たりとも入国は許可できん!」


王都エルデンシアの巨大な城門の前で、衛兵の怒鳴り声が響いた。


本来ならば、多くの商人や冒険者で行き交うはずの街道には、人っ子一人いない。

あるのは、物々しいバリケードと、目に見えない「恐怖」の気配だけだった。


「ええっ? 封鎖ってどういうことですか? 私たちはエルフの森から帰ってきたばかりで……」


隣でリリアが目を丸くして抗議する。

俺、アレン・クロフォードも眉をひそめた。


エルフの里での「世界樹治療ミッション」を終え、数週間ぶりに戻ってきた王都。

だが、そこは俺たちの知る活気ある都市ではなくなっていた。


「おい、そこの兵士。無礼であろう! 私を誰だと心得る!」


後ろから馬車の窓を開けて叫んだのは、同行しているシェリーだ。

「社会勉強」という名目でついてきたドラゴニア帝国の皇女様だが、今はただの食いしん坊な家出少女にしか見えない。


それでも、生まれついての威厳は隠しきれていなかった。


衛兵がたじろぐのと同時に、門の向こうから一台の馬車が猛スピードで駆けてくるのが見えた。

馬車には、見覚えのある紋章――『王立錬金術師協会』のマークが描かれている。


「待て! 待ってくれ! その一行を通せ!!」


馬車から転げ落ちるようにして降りてきたのは、酷くやつれた男だった。

目の下に濃いクマを作り、頬はこけ、以前よりも十年は老け込んで見える。


「……ダニエルさん?」


「ア、アレンくん……! ああ、神よ……! 本当に帰ってきてくれたのか……!」


新協会の会長、ダニエル・グレイだ。


彼は俺の姿を見るなり、涙目で駆け寄ってくると、俺の手を両手で強く握りしめた。

その手は小刻みに震えている。


「待っていた。ずっと待っていたんだ。君がいなければ、この王都は終わる」


俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


あの温厚で理知的なダニエルさんが、ここまで取り乱すとは。

ただ事ではない。


「ダニエルさん、落ち着いてください。一体、王都で何が起きているんですか?」


俺が尋ねると、彼は深く息を吐き、絶望的な声で呟いた。


やまいだ。『黒い熱病』が、下町を飲み込み始めている」




俺たちはダニエルさんの先導で、検問を特別に通過し、協会本部へと向かった。

馬車の窓から見える王都の景色は異様だった。


貴族や富裕層が住む「上層区」は静まり返り、人々は口元を布で覆って足早に歩いている。

そして、職人や労働者が住む「下層区ダウンタウン」へと続く道は、高い木の柵で物理的に遮断されていた。


「……隔離壁、だな」


俺はポツリと呟いた。


「はい。二週間前から下町で原因不明の高熱と下痢、嘔吐を伴う奇病が流行しまして……。教会はこれを『神罰』だと言っていますが、事態は悪化する一方です」


協会の執務室に入ると、ダニエルさんは山積みの書類の山にドサリと腰を下ろした。

机の上には、死亡者のリストや、効果のなかった薬品のデータが散乱している。


「症状を詳しく教えてください」


俺は即座に「仕事モード」に切り替える。

ダニエルさんは震える手で水を飲み、説明を始めた。


「初期症状は激しい腹痛。その直後に、米のとぎ汁のような水様性の下痢と嘔吐が始まります。患者は急速に脱水症状に陥り、皮膚がどす黒く変色して……数日で死に至ります」


俺の脳内で、前世の知識が検索ヒットする。

米のとぎ汁のような下痢。急速な脱水。皮膚の変色。

――コレラだ。

あるいはそれに極めて近い、水系感染症。


「ポーションは? 上級ポーションなら治せるはずじゃ……」


リリアが不安そうに尋ねる。

ダニエルさんは力なく首を振った。


「効くんです。ポーションを飲ませれば、症状は劇的に改善します。体力も回復する。……ですが、三日もすればまた発症するのです」


「再発、ですか?」


「ええ。治しても治しても、すぐにまた倒れる。まるで呪いです。教会連中は『信仰心が足りないから再発するのだ』と言って、高額な祈祷を売りつけていますが……」


ダニエルさんが悔しそうに拳を机に叩きつける。

俺は腕を組み、思考を巡らせた。


ポーションが効くということは、体内の病原体やダメージそのものは修復できているということだ。

錬金術による回復薬は万能に近い。細菌だろうがウイルスだろうが、一時的には駆逐できる。


それなのに、なぜ再発するのか。


答えはシンプルだ。


「ダニエルさん。それは『再発』じゃありません」


俺は顔を上げ、断言した。


「『再感染』です」


「……え?」


「患者たちは、治った後にまた『何か』を取り込んでいるんです。ポーションで体をリセットしても、生活環境の中に病気の原因ソースが残っている限り、何度でも感染します」


俺は机の上の王都地図を指差した。


「原因は体内じゃない。『体外』にあります」


「た、体外……?」


ダニエルさんが呆気にとられた顔をする。

この世界では、病気とは「体内のマナの乱れ」や「悪い空気ミアズマ」、あるいは「呪い」によって引き起こされるものだという認識が一般的だ。


「目に見えない微細な病原体が、外部から侵入する」という細菌説ジャーム・セオリーは、まだ存在しない。


「アレン殿。つまり、その『原因』を取り除かねば、いくらポーションを配っても無駄だということか?」


黙って聞いていたシェリーが、鋭い視線を向けてくる。

さすが一国の皇女、飲み込みが早い。


「その通りです。穴の空いたバケツに水を注ぎ続けるようなものです。まずは穴を塞がなければなりません」


「で、ではどうすれば……? 私たちはもう、手詰まりなんです。下町を封鎖して、貴族街に広がらないようにするのが精一杯で……」


ダニエルさんが悲痛な声を上げる。

俺は立ち上がり、窓の外――隔離壁の向こう側に広がる下町を見据えた。


そこには数万人の人々が、見えない恐怖と共に閉じ込められている。


「現場に行きましょう」


「えっ!?」


「下町に入って調査します。患者が『いつ』『どこで』『何を』食べたのか。あるいは飲んだのか。データを集めないことには、敵の正体は見えません」


「む、無理です! 危険すぎます! 下町は今、スラム化して暴動寸前なんですよ!? しかも、あそこに入ったら、貴方まで感染するかもしれない!」


ダニエルさんが慌てて止めに入る。

だが、俺は首を横に振った。


「感染症には必ず『経路』があります。空気感染か、接触感染か、あるいは……経口感染か。正しく恐れれば、防ぐことは可能です」


俺はアイテムボックスから、エルフの森で作った予備の防護装備を取り出した。

マスク、手袋、そして簡易的なゴーグル。

現代知識で作った「対バイオハザード装備」だ。


「それに、俺は錬金術師です。人が苦しんでいるのを『わからないから』で見捨てることはできません」


俺の言葉に、リリアがニカッと笑って剣の柄に手をかけた。


「だね! 私も行くよ、アレンさん。護衛が必要でしょ? 暴動寸前なら、私の出番だし!」


「ふん。私も同行しよう。ドラゴニアの未来の皇帝たるもの、民の苦難から目を背けるわけにはいかぬからな」


シェリーも腕を組んで立ち上がる。

……いや、シェリーは置いていきたいところだが、この皇女様は一度言い出したら聞かないからな。


「ダニエルさん。通行許可証と、王都の詳細な地図をください。あと、下町の井戸や水場の位置がわかる資料があればベストです」


俺の要求に、ダニエルさんはしばらく呆然としていたが、やがて覚悟を決めたように大きく頷いた。


「……わかりました。君がそう言うなら、勝算があるのでしょう。私は協会側から、教会や貴族院の圧力を抑えます」


「ありがとうございます。――よし、行きましょう」


俺たちは装備を整え、隔離壁へと向かった。




下町への入り口となる検問所は、殺伐とした空気に包まれていた。

壁の向こうからは、怒号や泣き叫ぶ声、そして何かを叩くような音が聞こえてくる。


「おい、ここを開けろ! 俺たちは病気じゃない!」


「水だ! 綺麗な水をくれ!」


「神父様を通してくれ! 祈りが必要なんだ!」


壁一枚隔てた向こう側は、地獄の様相を呈しているようだった。

俺たちが近づくと、警備していた騎士たちが緊張した面持ちで槍を構える。


「何者だ! この先は汚染区域だぞ!」


「王立錬金術師協会、特別顧問のアレン・クロフォードだ。調査に入る」


俺が身分証を見せると、騎士たちは驚いたように顔を見合わせた。


「アレン……あの『ポーションの英雄』か?」


「わざわざ死地に行く気か……?」


彼らの目には、俺が正気ではないように映っているのだろう。

重いかんぬきが外され、ギギギ……と不快な音を立てて扉が開く。


瞬間、鼻を突く強烈な腐敗臭。

下水と吐瀉物、そして死の匂い。


「うっ……これは、ひどいな」


リリアが鼻を押さえる。

通りにはゴミが散乱し、道端にうずくまる人々が力なくこちらを見ていた。


彼らの肌は土気色で、目は落ち窪んでいる。


「アレン、あれを」


シェリーが指差した先には、粗末な祭壇が組まれていた。

黒いローブを纏った集団が、怪しげな香炉を振り回しながら叫んでいる。


「悔い改めよ! この病は穢れた魂への罰である! 我らが教団の『聖水』のみが、汝らを救うであろう!」


その周りには、縋り付くようにしてなけなしの金貨を差し出す人々の姿。

配られている「聖水」とやらは、濁った瓶に入った怪しげな液体だ。


(……マッチポンプか、それともただの便乗商法か)


どちらにせよ、放置はできない。

だが、今はまずやるべきことがある。


俺はポケットから手帳を取り出し、ペンを走らせた。

疫学調査エピデミオロジー」の開始だ。


「リリア、シェリー。手分けして聞き込みだ。ただし、患者には絶対に触れるな。飲み食いも禁止。俺が指示した手順で消毒を徹底してくれ」


「了解!」


「心得た」


俺は地図を広げ、現在地を確認する。

ここから先は、剣や魔法ではなく、「データ」と「統計」が武器になる戦いだ。


見えない死神の正体を、必ず暴いてみせる。


俺はマスクの紐をきつく締め直し、澱んだ空気の中へと足を踏み入れた。


(第90話 完)

お待たせいたしました。 第8章「王都の地下水道と『見えざる脅威』編」、いよいよ開幕です!

感想、ブクマ、評価などいただけると、執筆の励みになります! (特にダニエルさんへの応援メッセージもお待ちしております……笑)

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