第五章3
「馬鹿な……っ! これはどういうことだ!?」
ジューコフは無線機から流れる報告に、思わず絶叫していた。
血管を流れる液体が沸騰し、破裂しそうな感覚。
未だかつてこれほど感情を露わにしたことはなかっただろう。
数時間前まで、状況は完璧だったはずだ。
夜明けとともに開始された縦深攻撃は、日本軍の防衛線を易々と突破し、彼らの主力はたちまち混乱に陥ったと報告されていた。
戦車部隊は淀みなく前進し、航空隊は制空権を完全に掌握。
全てが計算通り、あるいはそれ以上のペースで進んでいたのだ。
突破目標としていた丘陵地帯の「敵拠点」も、容易く制圧できたと連絡が入ったばかりだった。
報告には「抵抗は散発的で、敵の士気は低い」とまであった。
ジューコフはこのまま一気に敵を殲滅し、スターリンの期待に応えることができると確信していた。
その敵拠点が偽装で、遥か後方に真の拠点らしき場所があるらしいと判明するまでは。
「我が戦車部隊先頭が構築された障害により機動不能、側面からの猛烈な砲兵による攻撃を受けています! 偽装拠点だったようです!」
「後方に温存されていたと思われる敵主力に反転攻勢を受けています! 完全に虚を突かれました! 包囲網が逆に構築されつつあります!」
「制空権はほぼ奪取されつつあります! さらには敵軽戦車が側面より機動戦を仕掛けている模様!」
通信兵の悲鳴のような報告が次々と飛び込んでくる。
偽装拠点だと? 遅延的防御の後に反転機動戦? そんなはずはない。
これまで綿密な偵察と情報収集を重ねてきたのだ。
敵の配置、兵力、装備、そして戦術思想に至るまで、全てを把握していると自負していた。
それが、丘の上の拠点が陽動だったなどと、誰が信じられようか。
まるで、こちらの手の内がすべて読まれていたかのような鮮やかさだった。
敵は最初からこの縦深攻撃を誘い込み、あえて浅い防衛線を突破させた上で、本命の部隊を後方に隠していたというのか?
そして、我が軍が突破し想定到達点に達した瞬間、その隠蔽された主戦力が堰を切ったように襲いかかってきたと。
「ありえん……っ! そんなことができるはずがない……!」
ジューコフは無線機を掴む手に力を込めた。
手のひらに汗がにじみ、震える。
世界の誰も知らない、自分の頭の中だけにあったはずの機動突貫による包囲殲滅戦術。
それを防ぐための方法すら己しか知らないはずだった。
未だ理論だけの縦深防御。
敵は完璧にやってのけたとでも?
縦深攻撃の内容を完璧に把握した上、『時間をかけた前提準備』が絶対的に必要なはずである。
遥か以前からこちらの出方を読み切って、拠点に防衛網に反転のための必要経路すら工兵に準備させたというのか。
土木工事を始め、大規模な要塞化をどれだけの時間をかけてやったというのか。
ありえない。
人間にはまず不可能である。
「私は……一体何を相手にしているのだ?」
その時、司令部の幕屋の外で兵が騒ぐ声が聞こえてきた。
あまりもの騒々しさに、もしやと最悪なイメージに襲われ、跳ねるように外へと飛び出す。
そして目に入ってきたのは、まさにありえぬ光景であった。
「ばかな……。あんなものが……」
およそ数百メートル先の低空に浮かぶ小型輸送機らしき影。
そこから飛び出す無数の落下傘。
世界に先駆けて我が国が設立したばかりのはずの空襲降下兵だと理解した瞬間、ジューコフは己の運命を悟り、祖国の行く末に想いを馳せた。




