二十三話 別れの時
宏次と小夜は、焦りながら森を走る。長月の兵か、追手が迫っている足音は徐々に大きくなる。
「墓川の将は、こっちに向かったぞ」
「我等は不死身だ! 臆する事は無い!」
「殺せ! 斬り伏せろ!」
追っ手の声が聞こえる。距離は遠くは無い。二人は既に疲労困憊の息を隠す事は出来ない。限界だったのだ。
「こっちだ小夜」
宏次が小夜の手を掴む。目の前には人が入れる程の小さな洞窟があった。
追っ手は直傍まで迫っている。二人は洞窟に身を隠す事にした。
「あっちだ!」
「追え!」
足音は次第に遠のく。
「どうやら敵は去ったか? ……宏次?」
小夜の声に返答は無く、代わりに苦しそうな息使いが聞こえた。宏次の額に手を当てると熱が伝わる。
「大丈夫か? 早く服を脱げ」
小夜の言葉は空を過ぎる。宏次は苦しそうな唸り声で答える。
「宏次、死なないでくれ」
小夜は宏次の凍りかけた小袖を脱がせて、水を切る様に絞る。そして、自分の装束も脱ぎ、宏次の身体を温める様に抱き締めた。
――暫くして、宏次は安らぐ様な寝息を立てた。だが、同時にこの洞窟に近付く足音が、すぐ傍にまで近づいていた。
小夜は濡れた装束を着て、二本の妖刀を持つ。
「……別れだ宏次。情けないだろう? こんなにも震えが止まらんのだ」
眠る宏次の頬に触れる小夜の手。涙の雫がこぼれ落ちる。
「怖い。自分の死では無く、お前との別れに……もっと側に居たかった。安心しろ、私はお前の用心棒だ。例え私が果てようとも、お前だけは守って見せる」
宏次の唇と小夜の唇が触れて重なる。近付く足音は、二人を待つ事無く近づいて来る。
「桜花。私に力を貸してくれ――」
桜花の愛刀。桜桃を握り締め、小夜は愛しい人を守る為に洞窟を出た。
◇◇
――墓川城
城内で一番目立つ場所、城を背中に中庭の中心。そこに雪定は居た。しかし、既に三人の長月兵が、甲冑を着た雪定を囲んでいる。
「墓川の将! お覚悟!」
槍と刀が、雪定の身体を貫いた。
「……よもや、これまでか……無念」
その時、長月の兵達の身体が真っ二つに切られて行く。刹那、斬られた長月の兵は、煙を上げて消えていった。
「すまん、遅くなった。――お主、雪定か?」
目の前には、袈裟を下げた老人の姿。白い光を帯びた刀を持つ 墓林 雲州だった。
「おひさしゅうございます……雲州殿」
「喋るな、今すぐ手当を」
「私は……もう助かりません……それよりも若を、……若をよろしくお願いします」
「雅、早く手当を。儂は宏次を探す」
雲州は、足早に宏次を探しにこの場を後にする。雅が雪定の手当てをしようと声を掛ける。
「雪定はん、しっかりしておくれやす!」
「雅殿、最後に……夢を……見せて下さいませんか?」
「……夢?」
「皆が幸せな、暮らしを……この墓川城で過ごす日々を。この目に焼き付けたいのでございます」
「……わかりました。目を閉じておくれやす」
雅は二つの妖鏡を手に取り合わせる。
「……――ここは」
雪定の瞳に映る景色は見慣れた昼の墓川城だった。城の中、宏次の部屋だ。
「おい、雪定」
振り返ると、自軍の将 宏次が居た。
「若! ご無事だったのですね!」
「おうよ! しかし、何しけた面をしているんだ?」
「え?」
気が付けば、雪定の頬に涙が伝っていた。
「いえ、これはうれし涙にございます」
「そうか、俺達の結納に祝してくれるのか?」
「結納?」
宏次の背中から、小夜が顔を覗かせる。
「私達は結婚するんだ」
「それは……おめでとうございます」
雪定は二人を心から祝福した。嬉しかった。我が主君の幸せそうな顔が雪定の中で本懐を遂げていた。
「雪定、お前も暇をもらったらどうだ?」
「私がですか?」
「知ってるぞ。お前、墓山の娘が好きなのだろう?」
「な、何故それを!」
「あんな、じゃじゃ馬娘に惚れるとはな」
「わ、若だって、小夜殿にホの字でしょうに!」
「違うぞ、こいつが俺に惚れているのだ」
「な、なにを言うか! 宏次が私に惚れているのだ」
雪定は笑った。すると二人も笑う。
「そういうわけだ。戦も終わったのだ。ゆっくり休んで、墓山の娘を迎えにでも行って来い」
「わかりました。この東条 雪定 男になって参ります」
「ああ、ゆっくりと休んでくれ」
不意に雪定は瞼を重たくなった。閉じた瞼が開かれる事は無く、静かに息を引き取った。その瞼の裏には雪定が望んだ、もう一つの未来が永遠に続いていくだろう。
雅は安らかな雪定の顔を見つめる。
「おやすみやす。雪定はん」
◇◇
それから、どれぐらいの時が経ったのか。
「——……ここは」
意識を取り戻した宏次。水滴の音だけが聞こえる。
辺りを見るが小夜の姿は無く岩肌が見えた。
「小夜?」
洞窟を出ると、すぐ傍に長月の兵の死骸が転がっていた。四肢が捥がれ、長月の兵を動かす元凶ともいえる白い蛇が踏み潰されている。
やったのは小夜だ。宏次は確信していた。
宏次は走り小夜を探した。
「小夜何処だ? 返事をしろ! 小夜!」
夜が明けても、日が沈んでも駆け回り、宏次は探し続けた。だが、小夜の姿を見つける事はできなかった。
辺りを探していると、やがて自分の城に辿り着く。門を潜り、そこに映ったのは無数の死骸の群れ。その殆どが墓川の兵、見知った者達の無残な姿だった。
「……なんだこれは?」
誰一人として、この戦を生き延びた者はいなかった。
ふと見に覚えのある鎧が見える、それは自分の鎧だった。それを着ていたのは雪定であった。
「……雪定」
幼少からの側近はすでに息をしていなかったが、笑っていた。苦しまず逝けたのだろう。
何故、自分の鎧を着ているのか? 宏次はすぐに悟った。雪定の性格を考えての事であろう。
「馬鹿だな雪定。俺なんかの為に」
宏次の瞳に涙が溢れて頬に流れる。
「今までご苦労であった。どうか安らかな眠りを」
雪定の亡骸に静かに黙祷を捧げる。
腕で涙を拭い、宏次は次の場所へと向かう。城の中、父、宏政の所へ。
「父上! ちちうえッ!! 生きておられたら返事を! 父上!」
不安が募る。城の中を駆け、襖を開く。
「……ち、ちちうえ?」
暗闇の中、宏政は正座をしていた。よく目を凝らすと、正座する宏政は首が無かった。
「————ッ!」
腰が抜けて、思わず畳の上に尻を着いてしまう。思わず着いた右手に何かがある。恐る恐る、|そ≪・≫|れ≪・≫を見ると宏政の首だった。
それを見て、胃から込み上げて来る、今の今まで堪えて来たもの全てが畳を汚した。
少し落ち着きを取り戻し、自らの刀を首に当て、一気に引いた。――しかし、斬りつけた相手の血を喰らう妖刀は、やがて自分に返る。自分を傷つけることなどできはしなかった。
「ちくしょうッ! 自分の首を落す事もできぬナマクラめ! 何が不老の刀だ!? 何が墓守の使命だ! この様なザマになってもまだ生きろと言うのか!?」
宏次は嘆き喚いた。瞼も赤く腫れ、涙を抑える事ができない。
やがて腕の力が抜け妖刀が畳に落ちる。よろめきながら、襖を開ければ、月が見えた。手摺りより地を覗きこめば、遠い地面が見える。身を投げれば、皆の所へ行けると思い身を乗り出す。
「死ぬ事は、許さぬぞ! 宏次!」
聞き覚えのある声、横を振り向けば怨敵の姿である虎白が立っていた。
「……虎白!?」
夢でも見ているのか?
「お前がこれから見る地獄はこんなものではないぞ? 俺の顔を思い出せ! 気が狂うほどに、身体を奮い立たせろ!」
どうして?
「若!」
また横を振り向けば、側近の姿と父の姿が見えた。
「雪定? それに父上まで!?」
「若、私達は死に、すでにこの世の者ではありません。しかし、若はまだ生きておられます。どうか、生き延びて下さい。私達の分まで」
「どうして? 俺だけが?」
「宏次、お前には使命がある。必ずや、その太刀を以て、龍を討て」
「なぜ? 俺が――」
「なんだ? 宏次、その顔は? 実に滑稽だな」
毒舌が後ろから聞こえてきた。心のどこかで、一番に聞きたかった声であった。
おそるおそる後ろを振り向けば、群青色の装束姿の少女が手摺りに乗って座っていた。
「……小夜?」
「全く、男前が台無しだな。なあ、宏次。私もお前と会いたい。が、お前はまだ死んではならんのだろう? こっちに来るのであれば、女でも作って子を残せ。それが嫌なら一生生き続けろ」
「小夜」
「宏次。私の事は忘れろ。それがお前にとって一番良い生き方だ」
「お前は、こんな時にも冷たいのだな」
「性分だ許せ」
「小夜。お前が好きだ。だからこれからもずっと側に居てくれ。——何処にも逝かないでくれ。……俺を一人にしないでくれ!」
小夜は宏次の姿を見据える。
「私は風になって、お前の側にずっと居る。だから、そんな顔をするな」
「駄目だ! 逝くな!」
「お別れだ。私も好きだぞ宏次」
そう言って、小夜は風の様に消えて行く。まるで夢を見ていたかの様に。
◇◇
墓川の城の外で、二つの鏡を袖の中にしまう雅の姿があった。
「宏次はん。せいぜい生き残っておくれやす。うちに出来ることはこのぐらいやけども」
墓川の城を背に、雅は姿を消して行く。
◇◇
かくして、墓川家と長月家の長きに渡る戦は幕を閉じた。
その後、戦国の時代は戦を駆ける鬼と呼ばれる者が現れる。
彼の者は、名は無く。味方はいない。戦があれば、向かってくる敵という敵を、妖刀で斬り伏せる……気が付けば、死骸の山の頂点に立っていた。
やがて、戦の時代は終わり、刀を納める時代が来る。妖刀の力を持って、何度も季節を巡り続けた。そして――




