二十二話 狂い桜
豪雨の中、宏次は虎白を追いかける。突き止めなくてはならなかった。この長月の兵による襲撃の主は誰かを。
「どこだ! 虎白!? 姿を見せよ!」
息を切らしながら走り続ける。やがて森を抜けて、雨は止む。雲の隙間から大きな満月が顔を覗かせた。その満月の背に白髪の男は立っていた。
「――宏次か?」
「……何故、生きている?」
「さあな。だが、今はそんな事を気にしている場合ではなかろう」
「では、やはりお前が!」
「宏次よ。お前は逃げるべきだった。よりにもよって俺の前へ姿を現すとはな」
細見の刀を抜き、切っ先を宏次に向ける。
「お前に残された道は二つ。俺に勝つか。俺に負けるか」
「とらじろおぉっ!!!」
虎白は間合いを詰め、細見の刀で突きを放つ。宏次は神戌を抜き、それを受ける。
「――皐月」
宏次の太刀を弾いて、一瞬にして宏次の胸元を五回突く。甲冑を着ていない宏次にとって、大きな痛手だった。
宏次は荒い息を洩らしながら、後ろへ後退。——だが追い打ちが迫っていた。
「月蝕」
突きは宏次の顔目掛けて放たれた。神戌を振り上げ、細見の刀の鍔にぶつけ防ぐ。
「うおぉぉ!!」
宏次は唸り声を上げ、虎白の細見の刀を力任せに押し弾く。虎白の体勢を崩した所を神戌の太刀で袈裟切りを浴びせる。
太刀が虎白の肩に食い込む……だが、神戌は虎白の血を吸わなかった。
「……虎白。お前、やはり死んでおるな?」
「それは、お前が一番知っているはずだぞ? よもや俺は人に在らず」
細見の刀が宏次の足の関節に突き刺さる。
「ぐ――!!」
突き刺さる痛みを堪え、奥歯を噛みしめる。宏次は虎白の身体を蹴り飛ばす。追い打ちを掛け、勢いよく虎白の首目掛け太刀を振るった。
鮮血が宏次の顔にかかる。胴体と首が切り離され、首が地に転がり、虎白であった身体は膝を着いて動かなくなった。
「……立て虎白。お前も蛇に憑りつかれているのだろう?」
宏次の声に応え、虎白の身体は蠢く。首を無くしても尚、立つ事ができた。異形の姿に、宏次の顔には冷汗を隠しきれない。
けたたましい笑い声が聞こえてくる。声の主は、転がった虎白の首からであった。見開いた眼が宏次を凝視する。
「すばらしいなぁ!」
虎白の身体は、地面に転がっている自分の頭の髪の毛を掴んで持ち上げる。
「如何なる策も剣術も、不死身の身体の前では無意味だぞ!?」
声を高らかに宣言をした。
「宏次!」
小夜の声が聞こえる。ふと声の方向を見ると、そこにはボロボロで傷だらけの小夜の姿だった。目元は赤く腫れている。
「小夜、無事だったか?」
「ああ、それよりも……あれは虎白か?」
目の前で自分の首を掴んで立っている化物を見て、小夜は身体を震えさせた。
「くそ……身体が」
宏次の膝が地に着く。足の関節に突き刺さった痛みが増し、悲鳴を上げていた。
「宏次、逃げられるか?」
「無理だな。立つのもやっとだ。走る事はかなわぬ……お前だけでも」
「なら、ここで仕留めよう」
宏次の言葉を遮り、小夜が前に出る。宏次を背に虎白の前へ歩きだす。
「よせ小夜、お前だけでも逃げろ!」
動けない身体を強引に手を伸ばすが、小夜には届かない。鞘の無い村雨を持つ少女の背中を、ただ見つめる事しかできなかった。
「……哀れだな。そのような姿になっても死ぬ事ができぬとは」
「痛みの無い身体は良いモノであるぞ」
虎白の顔からは歪んだ笑みが零れる。露を帯びた刀身、その切っ先を虎白に向けた。
「潔く、散れ――」言葉と同時に、小夜は間合いに飛び込んだ。
刀を振るい、虎白の身体を斬りつけていく。対する虎白は受けを放棄し、渾身の一撃を浴びせてくる。首を無くしたからか、動きは鈍重だ。素早く避けては、虎白の身体を斬りつける。
しかし、いかなる斬撃も、虎白の動きがそれ以上に緩める事は無かった。激しい剣戟の最中、小夜の顔には疲労の汗が浮かんでくる。
「――新月」
不意に突きが迫る。切っ先は小夜の喉を目掛けた。小夜は肘を曲げて、柄頭で突きを受ける。長持ちはしない。虎白は、細見の刀を捻り、小夜の受けた刀の先にある喉を狙う。
その時、地が揺れ、轟音と共に亀裂が入った。互いに一歩後退し、仕切り直そうとした、その刹那、虎白の左手に掴んでいる頭の眉間に村雨の切っ先が突き立つ。
途端、虎白の顔からは苦悶の表情が浮かび上がった。しゃがれた絶叫が辺りを響かせる。
「ぎゃあああぁぁぁ! ――なんてな?」
歪めた笑みを浮かべ、虎白の刀が小夜の太股に突き立てられた。
突然の奇襲に、小夜は悲鳴を噛み殺ろすかのように歯を喰いしばる。
「おのれ! 不死身の身体とは卑怯な!」
怨嗟と、耐えがたい痛みを混ぜた言葉が零れた。
「卑怯とな? くはは! 小夜よ、お前は戦というものを解ってはいない! 大義や義理では、この時代を生き抜く事等できぬぞ?」
突き刺された細見の刀を抉る様に捻る。その激痛に、思わず膝が地に着いた。鋭利な眼光が、小夜の目に映る。
「そんなものは捨ててしまえ! お前は今、思考を巡らせ、どんな手を使ってでも俺を倒す事であろう?」
一振り。風を切る音が聞こえた。その音に、小夜の背中に地が着いた。
「む?」
異変を感じて虎白は、思わず自分の手元を見る。手首から先が無くなっていた。
「大丈夫か小夜?」
小さな身体を持ち上げる。その者は、宏次。小夜の太腿に突き刺さった細見の刀を抜いて地に投げ捨てる。
「すまない、私では勝てない」
珍しく弱気を零した。小夜に疲労の限界が来たのだろう。強く握り締めていた村雨が手から離れる。
「小夜。よくやってくれた。虎白は俺が討つ」
「……無理だ。奴は不死身だぞ?」
「策ならある」
小夜を地に下ろして優しく寝かせる。そして、村雨を拾った。
「宏次?」
その体躯には、少し小さな刀でありながら底知れぬ威圧を放った。
月を隠す様に雲が覆った。満月の光が遮られると、辺りは一層暗くなる。ポツリと、水の雫が辺りに降り始める。
「……雨?」
稲光が光る。轟く音と共に大粒の雨が降りしきる。
「くくく……果たしてそれは俺の動きを止められるのか?」
虎白は、切り離された頭部の口を持って、投げ捨てられた、細見の刀を咥える。
宏次はゆっくりでありながら近づき、虎白の胴体目掛けて、村雨を振り下ろした。それに応えるかのように、無くなった手首の腕を持って骨で村雨を受け止める。
その時、虎白の手首から、腕ぐらいの大きさの白い蛇が顔を出し、宏次の喉元に噛みついた。
「ぐ! ――うおおおおおぉぉぉぉ!」
怯まずに、力尽くで虎白の胴体を押し倒す。弾き飛ばされると同時に、虎白は刀を口から零す様に落とす。
「ぬはは! 何度でも立ち上がれるぞ宏次!」
手首から現れた蛇が、細見を刀を咥える。
一閃。虎白の目の前に走る。
「ぬ?」
虎白の目に血が噴き出す。
「視界を封じた所で俺は死なん!」
闇雲に刀を振り回す虎白の胴体に、首から心臓目掛けて村雨が突き立てられた。
「そこかぁ!」
先端が、宏次の心臓目掛けて襲い掛かる。
直後であった。辺り一面に光ると同時に耳が割れる様な雷鳴が轟いた。
村雨の柄に、雷が落ちたのだ。
「――ッ!!」
再び宏次が見開いた眼の先には、虎白であったものに疑問が浮かぶ。
村雨は役目を終えたか、亀裂が入ると折れて地に転がった。
「勝った……のか?」
雨の匂いに、人の焼けた異臭が混じる。
「宏次! 大丈夫か?」
小夜が、疲労ながらに宏次に近付く。そして、焼かれた肉塊を見て言葉を零す。
「……首が無い」
あるのは、焼かれた胴体のみであった。
ふと、崖の端で視線を移すと虎白の首が横に向いて転がっていた。
「虎白」
二人は虎白の元へと訪れる。
「見事なものだ。この不死身の身体を火も無い所で焼こうなどと誰が思いつくものか」
「虎白」
「戦とは、主の首を取って勝利ではない。生き残ってこそ勝利だ」
黙々と生首は語る。
「宏次、この戦の世をせいぜい足掻いて見せろ。俺もお前も死ねば地獄だ。俺は一足先に行く。」
「待て」
「まだ何か用か?」
小夜は虎白の髪を掴み、生首を持って疲労ながらに歩き出す。
「小夜?」
宏次はゆっくりと小夜の跡を追う。
「一体、何処に連れて行くつもりだ? ……桜の香り?」
小夜が訪れたのは、まだ咲かない枯れた桜の木の下だった。眠る桜花の膝に並べて置いていた二つの妖刀を手に取り、代わりに虎白の首が置かれる。
「桜花は最後までお前を想って死んだのだ。死ぬなら側に居てやってくれ。桜花もきっと喜ぶ」
「……そうか、桜花。お主はもう」
次第に雨は雪と変わり、雪は大きくなって牡丹雪となった。目の裂かれた虎白の視界には、涙と血が混じって桜色の世界を彩っていた。
「……見事なものだ。きっと今年の桜は、この様に美しく咲いたであろうな。……礼を言うぞ、俺も桜花の傍で死ねる」
その言葉を最後に、虎白は瞼を閉じた。虎白の首から、胴体が焼かれた一匹の蛇が弱々しく這いずり、桜花の胸元で眠る様に息絶えた。




