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蒼の巫女 黄昏の地  作者: 木之本 晶
第一章 喪失
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六 伸ばす手

 働き盛りの男達が揃って亡くなったのは、悲しみももちろんだが、主に食糧確保という面で死活問題になりつつあった。

 せめてもの幸いは、若い青年達が生き残っていたことだろうか。襲い来る妖魔の大群から逃れるのに必死だった彼らだが、もしかしたらその活路は父達の覚悟によって切り開くことができたものかもしれなかった。亡くなった年齢が総じてその世代が多い、ということに対して穿った見方をすればの話だが。

 口火を切ったのは、当然ながらフォルティスだった。

「本格的な冬が来る前に、一度大きな狩りをやっておく必要がある」

 今あるものだけでは冬を越せない。それは誰の目にも明らかだったから、これから狩りに出ること自体に異論を唱える者はいなかった。カルヴァスが鋭く問う。

「狩場は」

「『竜の背骨山脈』だ」

 間髪入れず返ってきた答えに、おお、と場が軽くどよめいた。ユーシェンも眉を寄せた。

「この季節にか? 兄上」

 冬が近くなっている今、あえて山中に分け入るなら降雪や積雪は覚悟しなければならない。ただでさえ峻厳かつ厳しい環境で知られた山々、そうなれば無事に帰ってこられるかどうか。

 フォルティスとてそのくらいは十分に承知している。

「他に場所がない。何も山に本格的に分け入ることはしない。麓の辺りでまだ残っている獣を狩るんだ」

「危険が大きすぎるぞ、フォルティス。ただでさえ父上達が亡くなって間もない。たとえここで決めても、女達が何と言うか」

「説き伏せろ」

「無茶を言うな」

 夫を亡くした女達の嘆きは深い。同じ遠征で深手を負って帰ってきた息子達が冬間近の山中へ赴くのを、指を銜えてただ見送ってくれるはずがなかった。

「リュエリはどう思う?」

 困った時の巫女頼みではないが、事態の収拾をつけるにはこれが一番早いと判断したユーシェンは、末席から声を上げた。

「私は兄上達が狩りに出ること自体は構わない、むしろ必要なことだと思う。でも、山脈までとなると少し遠い。山脈自体、妖魔も妖獣もいるし、足場が悪い所だってある。帰り道は積もった雪で難儀することになると思う。それほどの危険を冒しても行くべきなのか?」

 まっすぐな問いに、巫女は表情を曇らせた。

「……収獲自体はあるでしょう。ですが、それが労力に見合ったものかと言われると……」

「近場で済ませても変わらない?」

「行かないよりは、行く方が得るものはあります」

 沈黙が落ちた。むむ、と唸るのは長老の一人であるゲルト翁だ。

「難しいところじゃな……」

 里周辺も山の中というほどではないが、起伏が激しい。妖魔の出没が増えている今、里の中でさえ安全とは言い難いのに、わざわざ生き残った若者達を危険な場所にやることに意味があるのか。

 ディクスが手を挙げた。

「長い目で考えた場合、この季節の『竜の背』に入ることと、近場でちまちま狩っていくのでは、あまり結果としては変わらないと思うな。少なくとも成果自体を考えるなら」

「ではお前は反対なのか」

 フォルティスの非難が篭もった目に、ディクスはそうじゃない、と首を振った。

「一度で済ませるか、何回かに分けるか。それに伴う危険度の大きさを天秤にかけないと判断できないことだろ。『竜の背』に入るとなれば、装備も食料も馬鹿にならない。移動距離を考えると、出不精の俺としては二の足を踏むってことだ」

「冗談言ってる余裕があるなら大丈夫だろうよ」

 呆れて呟いたのはイヴェール=ファライアスという名の青年だ。彼はセレナイディアールの一族ではないが、珍しくこの集落で確固たる地位を築いている者だった。一定以上の武芸の腕で成果を挙げていることに加えて、祖父・父と三世代揃って受け継いだ甘い微笑が、女性の心に警戒心を抱かせなかったことも大きいと思われる。とにかく男女問わず人の輪を繋げるのがうまいのだ。

「神力を土地に注ぎ続けたことで少しだが収穫も得られ始めてる。備蓄はぎりぎりだが、この冬は持ち堪えられるんじゃないか」

「春先は狩りの収獲が少ない。それまで食い繋げるかと言われたら微妙だぞ」

「だからといってこの季節の『竜の背』は……そもそも、どのくらいの間、山中にいる?」

「二日三日では短い。帰りを考えれば、大婆様のところへ邪魔しても十日が限界だ」

「長く居座ることと獲物がかかるかは別問題だぞ」

 侃侃諤諤たる議論は、皆気が進まないという点で一致しているようだった。

「細々とだが、近場に頻繁に出た方がいいと思う。備蓄もあることだし、どうだろう、フォルティス。そこまで焦ることはないんじゃないか」

 フォルティスは少しの間、目を閉じた。ユーシェンの目には、それは兄が苛立ちを隠すためにしたように見えた。

「……いいだろうか」

 控えめな声量に、皆がその人に注目する。

「アスライ殿」

 この里の中で最も新参の一派を率いる青年は、それでもその出自からか、注目されることには慣れているらしかった。

「長殿の考えにも一理ある。俺は知っての通り新参者で、この近辺の地理や気候には詳しくないが、山に近いこともあって冬場は雪でかなり難儀するのではないか、ぐらいの予測はつく。そんな中で里の者全員が満足する量の成果を、一度の狩りで上げられるかと言われれば、無理ではないかと思う」

 彼はそこで一旦言葉を切って、一同を見回した。その通り、と古老の一人が頷く。

「神魔大戦以前であれば、季節を問わず獲物は豊富じゃった。しかし、今はご覧の通りの有様じゃ」

「だからこそ、こうして狩りに出るか出ないかだけでも評議を開かなくてはならなくなった」

「そもそも、こんな時期に狩りに出なければならぬほど切羽詰まった状況にはならなんだ……」

 嘆き始めた古老達を、ユーシェンとリュエリが宥めにかかる。

「爺様がた、婆様がた、今はアスライ殿の話の続きを聞こう」

 俯いてもそもそと何事かを口の中で呟き続ける老婆の背を撫でながら、ユーシェンはアスライに向かって頷いて見せた。どこか戸惑っていた彼は、再び口を開く。

「そして真に申し訳ないが、逃れてきた時期が時期だったために、我々には貴方がたのように食料の備蓄がない。無論、苦しい中から分けて頂いていることは承知している。だが俺が率いてきた者達は若く、よく食べる者が多い。貴方がたは春までぎりぎり保つと言っていたが、それは我々が消費するであろう分を勘定に入れてのことだろうか。入っていないのならば入っていないで構わない。正直なところが知りたい」

「入れていたつもりです」

 間髪入れず答えたのはディクスだった。

「本当は妖魔討伐がてら、狩りもする予定だった。父上達が生きておられれば確実に足りないのが目に見えていたからな。不幸なことに父上達は……あのようなことになってしまったが、その分生じた余剰を貴方がたの分として計算していた。だがそのように懸念されているのなら、もう一度計算をし直した方が良いかもしれない。確か、貴方が率いてきたのは、貴方の騎士でしたか」

「国元で仕えてくれた近衛騎士達だ。皆、俺と同じように力を得たことで民を始め家族からも恐れられるようになってしまった」

「……父上達が亡くなった分だけでは足りないかもしれませんね。三十人はいましたか」

 先の犠牲者は二十人ほどである。単純に計算すれば十人分足りないことになる。余剰の備蓄はあることはあるが、それも使うことが前提の余剰である以上、あまり楽観視はできなかった。

「それを考えれば確かに狩りには出たほうがいいな。少なくとももう少し余裕を持てるように。せっかく加わってくれた、里の戦士となりうる者達です」

 意見を翻したディクスに、しかしアスライは首を横に振った。

「いや、訊きたかっただけだ。足りない分は我々で獲ってくる」

「貴方がたは既に里の仲間です。自分で自分に責任を取ろうとする姿勢は結構ですが、この場合は勝手な行動は慎んで頂きたいと申し上げます」

 にべもなく言って、ディクスは若き長を見た。フォルティスは軽く頷く。

「決を取る。狩りに出ることに賛成の者は挙手を、反対の者は沈黙を」



 以前と同じ作業のはずなのに手が進まないのは、帰って来なかった人が脳裏に浮かぶからだろうか。

「手、止まってるよ」

 指摘されてはっと手元を見下ろせば、全く荷造りが進んでいない。

「仕方ないんじゃない? 皆が飢えないようにするのが長の務めなんだし」

「掘り返すな……」

 最後にその会話を交わしたときのことまで思い出されて、ユーシェンもエクリスも押し黙った。黙々と荷に紐をかけていく。

「……エクリス」

 躊躇いがちな声に、何、とエクリスは顔を上げた。そしてそこに、年上の兄弟の歳に見合わぬ奇妙な表情を見ることとなった。苦しんでいるような――悩んでいるような。

「兄上は……少し変わったと思わないか」

「そりゃ……長になったんだから、多少は変わるでしょ。むしろ変わらなかったらそっちの方がおかしいよ」

「それもあるだろうけど」

 以前にも増して雰囲気が研ぎ澄まされた、と言えばいいのだろうか。抜き身の刃というよりは、砕けた器の欠片のような――触っても良いものか、迷うもの。

「……全部、一人で背負い込もうとしてるようには見える。私達がまだこんなに小さくて、頼りないせいかもしれないけど」

 長の系譜に連なるが、幼すぎる自分達。共に荷を背負う覚悟はできているけれど、兄はそれを厭うているように思えた。

 ユーシェンは大きく息を吐いて天井を仰いだ。

 仕方がないことなのだろう。ただでさえ見た目には発育の悪い精霊の子(リアネージェ)、質素な食事とはいえ健やかに育っている――そうと知っていても視覚のもたらす効果は大きい。

「ユーシェンってば、怠けないでよ」

 見咎めたエクリスがすかさず注意を飛ばすが、ユーシェンはぎゅっと目を瞑った後、瞼を開くと同時に立ち上がった。

「ユーシェン?」

 不審そうに目を眇めたエクリスに、ユーシェンはにっと笑ってみせた。

「急いで纏めるものでもないだろ。エクリス、少し散歩して、治療所の方を手伝いに行こう」

「散歩? って年寄りじゃないんだから……ちょ、僕、行くなんて言ってないよ!」

「そっちこそ気難しい爺みたいなことを言うな。そして年寄りに謝れ」

 旅に必要と思われるあれこれを放り出して、ユーシェンは家の外へ走り出た。柔らかくなり始めた秋の日差しが心地よい。大きく伸びをしてから、一族の医師の住まいの近くにある急ごしらえの療養所へ向かった。

「イアロス、キグルス、フェルメラ、何か手伝うことはないか?」

 中であれこれと作業している医師達に声をかけると、笑顔で迎えられる。

「やあ、ユーシェン。ちょうどいいところに」

「腕を不自由してる奴の体を、拭いてやってくれる?」

「わかった」

 盥に湯を入れて手拭いを浸し、固く絞る。骨が折れた者、あるいは腕を失くした者、はたまた重症でまだ起き上がれない者と様々な負傷者がいた。軽傷の者から声をかけていく。

「アリスト、手は要るか?」

「いいや、大丈夫だ。俺よりベリウスを手伝ってやってくれ」

 負傷者の家族も看護のために詰めているのだが、数日も経つと疲労が見え始めたために、手の空いている者は自然とこの療養所に集まって手伝うようになっていた。

「いいのか、ユーシェン。若長……長達、近いうちに遠出するんだろう? 準備しなくて」

「……進まないんだ。針仕事は、私よりエクリスの方が得意だし」

「そりゃそうかもしれんが……」

 それきり、唇を引き結んで清拭を手伝うユーシェンに、医師は何も言わなかった。

 半分ほど患者の清拭を終えたとき、にわかに外が騒がしくなった。

「喧嘩か?」

 この忙しい時に、と医師が舌打ちする。一人の患者に包帯を巻き終えたユーシェンは立ち上がった。

「私が見てくる」

「おう、無理するなよ」

 診療所を出ると、小さな子供達が駆け寄ってきた。

「ユーシェンいた!」

「ユーシェン、カルヴァスと新しい人が!」

「なんか悪口言い合ってる!」

 なんか悪口。しかし子供らの表情を見る限り、相当不穏なことになっているのだろう。

「兄上やディクスには?」

「長様、おうちにいなくって……」

「ディクスもいないの。シオンは朝からリュエリ様のとこに行ってて、どこ行ったか知らないって」

「でもとりあえずユーシェン呼んで来いって、おじいちゃんが!」

 肝心な時に役に立たない長とその腹心である。

「新しい人って、誰だ?」

 案内されるままに歩きながら、聞こえてきた声にユーシェンは眉を寄せた。またか、という意味で。

「だから、そういう意図で言ったのではない!」

「でもそう思ってるってことだろ?」

「それは……」

 言い澱むのは後ろ暗いところがあるからだ。わかっていないわけではないだろうが、すぐには反論の言葉を紡げない。図星を突かれた人というのはそういうものだ。

精霊の子(リアネージェ)が性別を持っていないのは本人達のせいじゃない。俺達が神力を持ったのも、誰が悪いわけでもない! そんなにここが気に入らないなら、さっさと出て行けよ!」

「……っ! うるさい、できるものならそうしている!」

「やるか? 相手になってやるぜ」

 アスライの目が暗く光った。

「……いいだろう。私に勝負を挑んだこと、後悔させてやる」

「こっちの台詞だ!」

 言うや否や、カルヴァスの髪が揺らぎ、足元から砂塵が舞った。対してアスライは固めた拳を輝かせている――神気を集めて威力を増そうとしているのだ。

「…………何だ、これ」

 頭痛がしてきた。

「あ、ユーシェン様!」

「おお、ユーシェン! 早う、早う止めておくれ」

「里の中で力を使われてはかなわん」

 ……爺婆がなぜ自分を呼んで来いと子供達に言ったのか、よくわかったユーシェンだった。だが、と腕を組む。

「これは一度、心置きなく殴り合わせた方が良くないか」

「何を言っておるのじゃ、広場が穴だらけになるわ」

 老婆が地団太を踏んだ時、雷が間近に落ちたような音と衝撃が響いた。すかさずユーシェンは自身の神気で壁を作り、衝突し合う二人だけを囲む。

「……確かに、悠長なことは言っていられないみたいだ」

 カルヴァスが真空刃を繰り出せば、アスライは障壁で受け止める。蔦がカルヴァスの足元に絡みつき動きを封じたところへ、アスライが渾身の一撃を振りかざす。

 寸前でカルヴァスはかわして、ついでに蔦を断ち切らせた。地面にもろに叩きつけられた衝撃は里全体を揺らす。

「アスライ様、おやめ下さい!」

「カルヴァスの兄貴、いいぞ、やっちゃえー!」

 周囲の声は十人十色。しかし肝心の本人達には聞こえていないようだ。頭に血が上って、周りの状況が見えていないらしかった。

 仕方がない。ユーシェンは両の掌を二人へ向けて、目を閉じた。

 伊達に里一番の神力の持ち主と呼ばれているわけではない。翳された掌に、眩い光が集い始める。

 収束する光が人の頭ほどの塊になったとき、ユーシェンは一気に神力を解き放ち、振り下ろした(・・・・・・)。光は剣か刀のような形に姿を変え、地面を――そして、再び衝突しようとしていた青年二人の間を引き裂いた。

 寸前で光をかわし切れなかったカルヴァスとアスライは、文字通り弾かれ(・・・)、もんどりうって地面に転がった。

「――お前ら、喧嘩なら里の外でやれ! 爺様や婆様はうるさいし、小さいのが怯えるだろうが!」

 裂帛の怒号。

 およそ十二の子供とは思えぬ気迫に、たじろいだのは年寄りや幼子だけではない。しん、と落ちた沈黙は、いっそ滑稽だった。

 動いたのはカルヴァスが先である。

「……へへっ、はははっ」

 なぜか腹を抱えて笑い出した。目尻に浮かんだ涙を拭いながら、彼は文句を言う。

「痛かったぜ、ユーシェン。本気でやりやがったな」

「当たり前だ。いい歳して、広場のど真ん中で何やってる。――貴方もだ、アスライ殿」

 じろ、とユーシェンに睨まれ、さしものアスライも決まりが悪いようだった。

「これで二度目だな。いい加減わかっただろう。うちの連中はエクリスといいカルヴァスといい、余所者を挑発したがる奴が多いんだ。いちいち相手にするな。流せ。無視しろ」

「おい」

 片膝を立てて頬杖をつくカルヴァスを無視し、ユーシェンはアスライに歩み寄った。手を差し出す。

「無性体が気に入らないなら、それはそれでいい。私達はまだ互いを知らなさ過ぎる。……でも、もう仲間なんだ。こういう諍いは、これからは、なしにしてくれ」

 アスライは奇妙なものを見るように、差し出された手とユーシェンの顔とを見比べていた。短い沈黙の後、彼は頷いた。

「……わかった」

 伸ばされ、握り返された手は、温かかった。

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