流れ行くもの
グランフェルノ家に訪れた来客を、当主は王宮へと連れて行った。
彼らに施しを与えたのは国王で、後払いにした代金を受け取るのも国である。或いは……
「ほう」
並べられた『特産品』に国王は感嘆する。
大小さまざまな銀細工に、ミスリル銀で作られた短剣・細剣、魔法の折り込まれた布地…彼らだけが作れる特殊な品ばかりだ。
精霊独特の力を感じる腕輪を取り、手の内でくるくると弄ぶ。国王は口角を上げた。
「少々無理をしたのでは?」
「我ら一族全ての里からの感謝です。どうぞお納めください」
フィーアラナは恭しく首を垂れた。
年を開けて間もない頃、出会ったエルフの男女。一族に謎の奇病が蔓延し、僅かな軌跡を願い万病の薬『生命の水』を探しにリスヴィア王国を訪れた二人組。
幸運にも目的を果たし、国に帰っていった。
代金の代わりにフィーアラナのサークレットを貰ったし、薬が効いたら代金として特産品を持ってこいとも言ったが。
国王は品々を前に、顔には出さないが少々困惑する。払い過ぎである、と。きっと背後に控える侍従長も同じ心境だろう。
けれど目の前にいる二人組は涼しい顔だ。女はにこにこと笑っているし、男の方も以前会った時よりずいぶん柔らかい表情だ。
渡した薬は無事効力を発揮したという。
原因は、蛾の幼虫。毛虫の体に無数に生えた毛。
森の木々に大量発生した毛虫は毒性を持つ。それは極小さな体毛も例外ではなく、僅かな刺激で抜け落ちたそれが風に乗り、呼吸から、或いは食べ物などにも付着し、人体に入り込む。
僅かな期間、少量であれば問題なかっただろうが、毛虫は恐ろしいほど異常発生していた。
少しずつであるが毒は体内に蓄積され、今回の騒動へと発達した。
原因は分かったが、残念ながら治療法は見つかっていない。初期であれば解毒薬も効くが、腐敗した肉体を回復する術が無かった。あの薬以外には。
対処は里の放棄。そして森の破棄。
森の半分以上は精霊の炎に包まれた。
新しく苗木が植えられ、精霊の加護を受けていつかは森に戻るだろうとはいうが……
フィーアラナは寂しげに微笑む。
「仕方ないのです。駆除するには、虫は増え過ぎました」
「いや…人ならば、そのような乱暴な手段に出ることも、厭わないだろうが……」
自然を愛する彼らが、自らそれを破壊する行為に及んだことに、国王は理解が追いつかなかった。
「長は言いました。今回受けた恩は幸運である、と。何度も縋ってはならないものだと」
「……」
「真の恩返しとは、二度と同じことを繰り返さない事。その為に一時森と分かたれる事を、苦痛と思ってはならない、と……」
森を焼くという決定に、当然反発はあった。だがそれ以上に、薬の効果があった。
木を一本切り倒すたびに、嘆く声が上がったのは仕方ないことだ。それでも。
国王は英断をした長という人物に、深く頷いた。
「そうか」
一言呟き、改めて届いた品々を見る。
扉が叩かれるた。侍従が来客を告げる。
現れたのは、一人の青年だった。赤い髪が印象的で、緑の瞳は僅かに伏せられている。彼は礼を取る。
「陛下におかれましては益々……」
「堅苦しいのはよい。面を上げよ」
挨拶を遮って、国王は彼に声を掛けた。
精悍な顔つきの青年だった。年はまだ若そうだ。彼の目が探るように二人に向けられた。
「レイモンド・オーゴット」
「は」
「彼らが前に言っていた二人だ」
レイモンドが僅かに目を眇める。そして首を左右に振った。
二人は意味が解らない。けれどイシュルタールの方は不機嫌そうに眉を寄せた。
「そうか…」
国王は苦笑する。
そして二人に向き直る。
「この国の伯爵家の子息だ。そなたらに会いたいというものでな」
「理由をお伺いしても…?」
国王がレイモンドの顔を窺う。
彼には一切の表情はなく、小さな吐息を漏らしただけだ。
何も言わない彼に、国王はそれを是とした。
「そなたらも知りたがっていただろう?『生命の水』の原料を独占するものを」
二人が息を飲んだ。
青年の表情は変わらない。ただ冷やかに二人を見つめるだけだ。
イシュルタールが大きな音を立ててテーブルに手を突き、勢いよく立ち上がる。
「違う!知らなかったんだ!!」
必死の形相に、青年は無言のまま視線を逸らせる。
二人の表情がより悲壮なものへと変わる。
国王はただただ苦笑いをするだけだ。
「怒っているわけではない。ただ…喋れず、表情に出すことも出来なくなるだけだ」
「は?」
「そういう制約をかけられている」
国王はイシュルタールに座るよう促す。
レイモンドも空いた席に腰かけた。その際、喉の辺りを擦る。
国王が眉を跳ね上げる。
「痛むか?」
レイモンドは声を出さず、首を横に振る。
「違和感か?」
今度は頷く。口元が動いたが、音は出なかった。代わりに吐息が漏れる。
イシュルタールとフィーアラナが顔を見合わせる。
「声が出ない、のですか?ですが……」
「声は出る。話も出来る。割と感情も豊かだ。『賢者の石』や『命の水』に関わらなければ」
すかさずフィーアラナが立ち上がった。レイモンドの前に来ると、驚く彼に構いもせずに胸の上に手を置く。僅かに放たれた光は、すぐさま大きな音と共に弾けて消える。
彼女は大きく目を瞠った。そして眉根を寄せる。
「…ひどい…なぜ、こんな……」
ポロリと瞳から零れた雫が、レイモンドの服を濡らした。後から後から涙が落ちてくる。
レイモンドの口角が少しだけ上がった。ポケットからハンカチを取り出し、彼女に差し出す。
フィーアラナはためらった後にハンカチを受け取り、目元に押し当てた。
「ごめんなさい」
「謝罪されるより、感謝される方が好きだ」
最初に聞いたものより、ずっと朗らかな声だった。
フィーアラナが彼を見ると、悪戯っ子のような可愛い目が彼女を見上げていた。彼女も表情を緩める。
「……ありがとうございます」
レイモンドが誘拐されたのは、七つの時だ。救出されたのは二年後である。
期間はレグルスより短いが、状況はより苛酷だった。苦痛を伴う実験や投薬が繰り返され、最初は数十人いたという実験体も、リスヴィアの騎士団と魔術協会が到着した時には二人だけだ。一人は完全に狂ってしまっていた。
その時、既にレイモンドも呪いをかけられていた。あの実験施設に関わる全ての事を証言する事を禁止されていたのである。他にも幾つもの魔術がかけられていた為、下手に解くことも出来ない。
だから誘拐されていた間の事は、その時に辛うじて捕らえられた魔術師たちの供述である。
レイモンドは喋ることも書くことも出来なかったが、意思表示する術まで奪われていなかった。頷いたり、横に振ったり、文字を指さすことは出来た。
彼らの話を統合すると、彼らは永遠の命と強大な魔力を手に入れるために『賢者の石』を研究していて、適性がある者を探していたらしい。研究は既に一人成功しており、エルフ族の青年を完全な『賢者の石』にすることに成功したという。騎士団の到着があと一日遅れていたら、レイモンドも最後の魔術をかけられ、人ではなくなっていた。
それでも、禁呪を行う組織と実験場はほぼ壊滅することが出来た。けれど、唯一の成功例と中心人物の行方は、未だに掴めていない。
助け出されたレイモンドは、永遠の命も将来の夢も、伯爵家の後継の立場もすべて放棄した。その代わり願ったことがある。意思疎通の困難な状況で伝えた、たった一つの願いだ。
最後の実験に、一番先に連れて行かれるのは自分のはずだった。それを代わってくれて、ずっと自分を守ってくれたエルフのお兄さんに、もう一度会いたい、と。
名前すら思い出せないけれど。
「せめて名前…もう少し印象的な特徴があればいいのですが……」
フィーアラナが悔しそうに爪を噛む。
生まれた里を出て、数十年帰らないエルフはそう珍しくない。そのまま帰らない者も多い。
薄緑の髪に金色の瞳というレイモンドが何とか伝えた特徴も、彼らの間ではよくある色あいだ。
レイモンドは首を横に振る。
レイモンドの命は、それほど多くない。禁呪を拒否した代わりに魔術協会の秘術を施されたが、二十年が限度なうえ、色々掛けられた魔法や実験と称した投薬が邪魔をして、完全な形ではかからなかった。
最大であと四年。それがレイモンドの寿命だ。再会は諦めている。
泣きそうな二人の前に、レイモンドが一冊の本を開く。北方公用語とスフィア語の翻訳辞典だ。単語を指さしては、ページを捲る。
──顔 思い出す できる ない 願う もしも 会う できる 伝える──
辞典の最後のページに挟んだ紙を取り出す。そこに書いてあった文字に、止まった筈の涙が再び落ちる。
──助けてくれてありがとうございます。貴方が助けた少年は、最期まで精一杯生きました────
フィーアラナは勿論、イシュルタールでさえ声もなく、ただ何度も頷いた。そして最後に声を絞り出した。
「伝えます。必ず探し出して、伝えます…何十年、何百年かかっても」
「俺たちが見つけられずとも、子供や孫たちが伝えます」
レイモンドはじっと二人を見つめた後、深く頭を下げた。
◆◇◆◇◆◇
「お姉さん、お兄さん!」
レグルスの顔に満面の笑みが浮かぶ。
数カ月ぶりに会ったエルフの二人は、最初どこか浮かない表情だったが、レグルスにつられてかほんのりと微笑む。
「久しぶりね。元気だった?」
「はい!お姉さんたちも……」
訊ねる言葉は、尻すぼみになって消えた。へにゃりと眉が下がる。
フィーアラナは笑った。レグルスの頬に触れる。
「ありがとう。沢山の仲間が救われたわ。だから御礼に来たの」
パッとレグルスの顔にも笑みが戻る。
「どうせなら、もう一日早く来てくださればよかったのに。昨日は僕の誕生日だったのです」
「昨日来たんだがな……」
「え?」
「誕生日パーティの真っ最中だったから、遠慮させていただいたの」
「ええっ?」
「公爵には挨拶させてもらったがな」
「父様ー!!」
さっさと執務室に行ってしまった父に、レグルスの怒りの声は届かない。
頬を膨らませていると、フィーアラナが楽しそうに軽く突く。
「貴族の多い所は苦手なの。ごめんなさいね」
「…仕方ありません。ゆるします」
見目の良いエルフが、過去に人の奴隷をして狩られた歴史がある。今も人に友好的でないのはレグルスも知っている。
こうして彼らがレグルスたちに好意的に接してくれるのは、二人がちゃんとレグルスたちを見てくれているからだ。
それでもまだ拗ねた様子のレグルスに、二人は顔を見合わせ笑った。すっと身を屈める。
「お誕生日おめでとう」
「北の公子に森の祝福を」
両頬に柔らかなものが触れる。
レグルスはきょとんとして、近付き、また離れていった二人を見ていた。ややあって、両手で頬を挟む。ぶわっと顔が赤く染まる。
「ありがとうございますっ」
真っ赤になりながらも嬉しそうなレグルスを、二人は両側から抱きしめた。
どうかこの子は、人の命を全うできますようにと、祈りを込めて。
一つ前に人物紹介を投稿しています。




