閑話 側用人たちの思うこと
「解毒魔法ってね、使う側より使われた側の方がごっそり体力持ってかれるんだよ」
そんな解毒魔法を何よりも得意とする公爵令息は、満面の笑みでそう言った。
あんな笑顔、久しぶりに見たわ。
自室に戻ったマリスは、嘆息と共にベッドに倒れ込んだ。そのまま目を閉じる。
実際疲労感が半端ないので、休めという遠回しの圧力も有り難い。
お仕着せのままウトウトしていると、誰かが扉をノックした。返事するのも億劫で無視していると、扉が勝手に開かれる。
しまった、鍵をかけ忘れた。
そう思ったがもう遅い。
幸いに知っている気配で、反応せずとも問題ない相手だ。そのまま動かずに浅い眠りを続ける。
「せめて上着は脱ごうよ。あと靴」
入ってきたクレオは、てきぱきと兄の服を脱がせていく。半裸にされれば、当然寒くて流石に目を開ける。
「兄ちゃん、着替える?」
「…かえる」
「起きられる?体拭こうか?」
「おきる…ふかない」
マリスは重い体を起こす。ベッドの淵に座って、ぼんやりと弟見上げる。
「兄ちゃん、ばんざーい」
子供か。
反論するのも面倒くさくて、素直に両手を上げれば、上から服が被せられる。
そんな感じでゆったりとした上下に着替えさせられたマリスは、再びベッドに沈む。
「兄ちゃん、風邪ひくから。ちゃんと布団に入って」
コロコロと兄を転がして、上手く中に収める。
マリスはウトウトしながら、お仕着せをハンガーに掛けるクレオを見た。
「クレオ」
「なぁに?」
「ありがとう」
ぱっとクレオが振り返る。満面の笑みだ。幻の尻尾が激しく振られているのが見える。
けれどそれ以上目を開けていられず、意識も夢の中へと引きずり込まれた。
あっという間に寝息を立て始めた兄に、クレオは片手を口元に当てた。
「わ~…兄ちゃんがこんなになるとか、解毒の魔法って本当に体力根こそぎ持ってくんだ~……」
庭の後片付けを手伝っていたクレオは、同じく毒を受けた騎士たちが倒れるように眠ったと聞いて、慌てて兄のもとにやって来た。
来て正解だったと思う。
兄の技術はすごいが、騎士に比べて体力があるわけではない。純粋な力勝負や持久力はクレオにも幾らか劣るだろう。
お仕着せをクローゼットにしまい、クレオは兄の寝顔を覗き込んだ。
優秀な兄の劣化版。
クレオはずっとそう言われてきた。気にしたことはない。兄が優秀なのは、誰よりも知っている。その陰でやってきた努力も。
けれど兄もまた知っている。自分に出来ることは、この弟にも出来ることを。誰よりも近くで、優秀な兄の動作を繰り返し見てきていたから。
お調子者の性格が災いして、クレオに表の使用人は務まらなかっただけだ。クレオ自身、マリスと並ぶことを良く思っていない。クレオがお仕着せを着るのは、マリスが裏方に下がった時だけだ。
クレオはこてんと首を傾ける。
「ん~…明日もお手伝いいるかなぁ?オレが側付に入った方がいい?」
「……いらない。俺がいく」
抑揚のない声に、クレオは振り返った。目元から笑みが消える。
「フェティエが?冗談でしょ?」
「長の命令だ」
「え~!オレはんたーい」
フェティエが僅かに眉を寄せる。
「命令だ。文句は長に言え」
「言えるわけないじゃん!アルナスはどこ?」
クレオは兄から離れると、バタバタと足音を立てながら部屋を出て行った。
フェティエは溜息を吐く。そして眠るマリスへ目を向ける。
「そういう事だから」
「ふざけんな」
声が返ってきて、フェティエは肩を震わせた。
マリスは目を閉じたままだ。けれど呼吸が変わっていて、覚醒していることを知らせている。
「マリス…」
「…って言いたいが、フォンの命令じゃ仕方ない。任せる」
フェティエはその場から動けない。
言いたいことを言って、マリスはまた寝入ってしまったようだ。早くも寝息に代わっている。
そろそろと、フェティエは息を吐く。
フェティエはマリスより五つ年上だ。小さい頃はそれなりに付き合ってきたが、優秀なマリスの劣等感を覚えて距離を取ってきた。
レグルスに言われたことは、決して偽りではない。むしろ図星だ。あんな幼子にも言われてしまうほど、あからさまだった。
そして今、苦手な事を再確認した。にもかかわらず、明日からは幼い主のもとで共に仕事をしろという。
あの幼い主は明日、どういう反応を示すのだろう。
フェティエは後ずさりをするように、そっと部屋から出た。そこに先ほど出て行ったクレオが戻ってくる。
「クル爺も承知のことだった~!不安しかなーい!!」
そんなふうに喚かれる。
クレオは涙目でフェティエを睨み付けた。
「坊ちゃんに何かしたら、全力で潰すから」
「…煩い」
今更何ができるというのか。フェティエは罰を与えられない代わりに、一つの命令を受けた。
フェティエは父親似の顔を感情的に歪める。
「俺はあの方の命令を守る。ただそれだけだ」
「オレは何があっても邪魔する!」
クレオがびしっと指を突き刺してきた。
フェティエは目を眇める。
「本物だろーが偽物だろーが、オレはどうでもいい。だってあそこにいるのがレグルス坊ちゃんだ。他に何もない、誰もいない!!」
ふんっとクレオは鼻息を吐く。
フェティエが何か言い返そうとしたが、その前に部屋の中から声が聞こえた。
「クレオ…水……」
「はぁいっ」
幻の尻尾を振りながら、クレオは水を汲みに廊下を駆けていく。
フェティエは気を削がれ、息を吐いた。扉を閉めようと手をかける。
「…お前に殺せるのか?」
辛うじて耳に届いた呟きに、フェティエは一瞬身を竦ませた。取っ手を握る手にじんわりと汗が浮かぶ。
「命令に従う。それだけだ」
平静を装って、扉を閉める。
扉から手を離して廊下を進めば、どっと汗が噴き出すのを感じた。早鐘を打つ心臓に苛立ちさえ覚えるのに、治める術を知らない。
途中で水差しを持ったクレオとすれ違ったが、互いにもう気にも留めていなかった。
完全に扉が閉まった後、マリスは体を起こした。すぐに遠くなりそうな意識を引き戻す。
アレがレグルスの傍に一日いる。
気が滅入りそうだ……レグルスの。
ふっとマリスの口元が緩む。
こんなに心配をかけたのだ。少しくらい意趣返しをしてもいいだろう。
甘やかすのはその後だ。
「兄ちゃーん、お水持ってきた」
騒がしい弟が戻ってきた。
水差しから注いだ水を貰って、マリスはクレオを見る。
「クレオ」
「なぁに?」
「明日はフェティエのやることに、口も手も出すなよ」
「何で!?」
クレオが目を尖らせた。口をへの字に曲げる。
マリスは閉じ掛けそうな目を開けながら、弟を牽制する。
「クル爺が許可したって事は、そういう事だからだ」
「む~…」
納得していなさそうだが、クレオは了解したようだ。
コップを渡し、マリスは再び横になる。起きているのは本当に辛い。
「レグルス様が、ご自分で判断されるよ…きっともう、裏方はお前以外、本当には信用されない」
「…兄ちゃん」
「お前だけなんだよ、クレオ。レグルス様が信用するのは」
「兄ちゃんも?」
「俺は、お前たちと立ち位置が少し違うから」
不安そうな弟に少しだけ笑って。
マリスはずっとレグルスの傍にいるわけではない。いずれは再びシェリオンの下に戻る。レグルスは永遠の主ではないし、そうする事も出来ない。
クレオがポスンと、マリスが眠るベッドに頭を乗せてきた。仕方なく頭を撫でてやる。
「レグルス坊ちゃんが、お婿に行かなければいいのに」
「それは言ってはいけない事だよ」
望まれてグランフェルノ家を出るというなら、それは三男であるレグルスにとって喜ばしい事なのだ。
この家にこのままいても、レグルスには明るい未来は望めない。それはグランフェルノ家に古くから伝わる因習。
レグルスが目立たぬ末っ子ならば、そのままで良かった。けれど彼は目立ち過ぎた。このまま裏に隠れる事は出来ない。その存在を人々の記憶から消すには、まずレグルス自身の生きた歴史を終わらせなければならない。たとえ表面的なものだけだとしても。
クレオにもわかっているだろう。
「お前も、考えておけ」
「何を?」
「レグルス様の婿入り道具の一つになるかどうか」
ばっとクレオが顔を上げた。
マリスは既に目を閉じている。頭を撫でていた手も、力なく落ちていた。
「兄ちゃん…オレ行かないよ」
そう呟いた言葉も届いたかどうかわからなかった。
誤字脱字の指摘、お願いします。
クレオがどんどん幼くなっていく……