公爵令息の受難
レグルスは寝覚めがあまり良くない。機嫌が悪くなるわけではなく、しばらくぼんやりとするのだ。
「おはようございます、レグルス様」
「…おはよーござい、ま…すぅ!?」
返事をして、いつもならそのままぼんやりする。夜更かししていなければここでまた眠るという事はないが、いつもぼーっとした様子で、使用人たちが支度するのを眺めている。
が、この日は違った。
挨拶の最後の声がひっくり返った。大きく目を見開き、目の前の人物を凝視している。
「…フェティエ?」
「はい」
淡白な返事が返ってきて、レグルスは目を瞬かせる。
「フェティエ」
「はい。お目覚めでしょうか、レグルス様」
「マリスはどうしたのですか?」
辺りを見回しても、やっぱりいつもの側付はいない。
「マリスは昨日受けた解毒の魔法の影響で、まだ休みが必要と診断されました。本日は私がお世話をするよう、執事殿に仰せつかっております」
「爺や!?」
ここにはいない執事に呼びかけるも、当然返事は無く。
レグルスは困惑したままフェティエを見つめていた。
一方、フェティエは無表情のままだ。
「お目覚めでしたら、まずベッドから降りられましょうか?」
「あっはい」
レグルスはいそいそとベッドから降りる。
促されて洗面台に向かえば、いつもの顔が待っていた。見習いのフェリトだ。
レグルスはほっと息を吐く。
顔を洗って身支度を整えても、フェティエの様子は変わらない。声も淡々としていて、感情の起伏がない。
マリスであれば、レグルスの様子を窺い気遣う人間らしさがあるのに。
レグルスは朝食の為に食堂へ向かいながら、そっと溜息を吐いた。
何がどうしてこうなりましたか?
レグルスは、目の前で正座をした上両手と額を地面に擦り付ける裏方たちから、そっと視線を逸らせた。長椅子に座る母を見る。
母は息子の視線に気付くと、パラリと扇を広げた。顔の半分も覆うと、目元だけで微笑む。
レグルスはふにゃりと笑い、そして目線を戻し、溜息を吐く。
朝食後、フェティエに訊ねられた。
「裏方たちより、今回の件を改めて謝罪したいとの申し入れがございますが、如何いたしましょう」
如何も何も、この件は終わっている。レグルスが一生懸命考えて出した答えを、更に蒸し返すというのか。
不機嫌に顔を歪めれば、無表情のフェティエと目が合う。
「…畏まりました」
「まだ何も言ってません」
レグルスは眉根を寄せる。溜息と共に、眉間をもみほぐす。
「これからエミール先生とお勉強です。お昼の後なら、少し時間が取れます」
「よろしいのですか?」
「お前は僕にどうしてほしいのですか!?」
フェティエの態度にイラッとしてしまっても、誰にも文句は言われないはずだ。
「僕を煩わせたくないというのなら、最初からお前の判断で断ってください」
「畏まりました」
結局会うことを了承して、その場を収めた。
そして現在この状況である。
母と騎士と、お抱え魔術師も同席している。というか、エミールにこの事を話したところ、こうでなければ会わせることは出来ないと言われてしまったのだ。
それ自体は仕方ない事だ。けれど部屋に入った途端にこれは正直引く。
ドン引きでも、この状況がレグルスにあるとしたら、レグルスがまず行動を起こさねばならない。
「謝罪は受け取りました。終わりでいいですか?」
裏方たちが一斉に顔を上げる。そこには悲壮な表情が浮かんでいて、レグルスがたじろぐ。
どんなに厳しい態度を取っても、レグルスにそこまで覚悟が出来ているわけではない。
うろうろと視線を彷徨わせ、最後はやっぱり母に辿り着いた。
母は肩を震わせていた。扇を閉じると、手を差し伸べる。
「母様ぁ~……」
「あらあら」
レグルスは椅子を飛び降りて、母に縋りつく。くすくすと笑いながら、母はレグルスの頭を撫でる。
「坊やは甘えん坊さんになったわね」
「うぐ…違うのです。皆が厳しいのです……」
母の腕の中でレグルスが反論すれば、「まあ」と母が声をたてて笑う。
それから居住まいを正すと、今も正座したままの裏方たちに向き直った。
「満足したかしら?」
「奥方……」
「謝罪なんて、所詮自己満足でしかないの。それとも貴方たちは、こんな小さい子に自分の感情を飲み込ませて『許す』と言わせたいのかしら?」
公爵夫人の口調はおっとりとしたものだが、決して優しい言葉ではない。涙目の息子を抱き、にっこりと微笑む。
「許されたいなら、行動で示しなさい。旦那様の剣となり、子供たちの盾となりなさい。方法はそれだけよ」
ひらひらと手を振る。
裏方たちは何も言い返せず、深く頭を下げ、立ち上がる。
レグルスはじっとその姿を見つめていた。下がろうとする彼らの背に、口を開く。
「クレイス?」
「…!!」
裏方の一人が勢いよく振り返る。
当たっていたと、レグルスはほっと息を吐く。そして僅かに笑った。
「隣はルマン?青い髪はウルで、赤い髪はミーファ。レイダとエランと…あとは……そのうち思い出しますね」
何人か指さしながら名を呼ぶが、顔を覚えていないレグルスは特徴的なものが見つけられず、呼ぶことが出来なかった。呼ぶべき名前はまだいくつも残っている。
ルマンと呼ばれた青年が呆然としたまま呟くような声で言った。
「覚えてたっスか…?」
呆けた顔をが面白くて、レグルスは口元に両手を当てて笑った。
「ふふっ…はい。お顔は忘れてしまいましたけど、一緒にしたことは覚えてます。きっとお話すれば思い出します。でも、今日はもうお終いです」
午後も授業がある。何しろ、遅れに遅れた分を、誕生日のお披露目までに取り戻さなければいけない。
レグルスは手を振る。
「また時間があるときに」
裏方たちが一礼して、それぞれ去っていく。
扉が閉まると、レグルスは安心したように母から離れる。照れ笑いで誤魔化す。
軽くなった膝を少し寂しく思いつつも、母もレグルスから手を離した。
「あの子たちもお馬鹿さんねぇ。忘れるわけないのに。ねえ?」
「はい」
「きっと忘れられちゃったって思いこんで、拗ねちゃったのね。あんなに大きい子たちが拗ねても、可愛くないわ」
母が頬に手を当てる。
そういう問題だろうかと思いつつも、レグルスも笑って誤魔化した。椅子に座り直す。
それまで空気のように控えていたフェティエがお茶の入ったカップを置く。
「レグルス様は私や騎士たちの名も覚えていらしたのに、より関りの深かった裏方たちを、どうして忘れていると思ったのでしょうね」
エミールが苦笑いを零す。
レグルスはお茶を飲んで、ほっと息を吐く。
「幼かったからでしょう。普通は五歳の記憶なんて、ほとんどありません」
レグルスは冷静に答える。
解っている。幾ら閉じ込められて誰ともかかわりを持たなかったとしても、五年前の記憶を鮮明に持ち続けることなど不可能だ。彼がいたから、彼が眠るレグルスに夢という形で記憶を見せ続けてくれたから、レグルスは忘れずにいられた。
エミールの心配そうな視線に気付き、レグルスは微笑む。
「辛い現実から逃げたくて、僕は繰り返し思い出していました。だから忘れずに済んだのです。皆が大事にしてくれていたから、僕は正気でいられました」
表向きの言い訳を答える。少しばかり、困った表情になってしまう。
「記憶まで嘘にしてしまいたくありません。僕が僕のままでいられた、大切な思い出です。今はまだ許せませんけれど、恨んでしまうには…楽しかった思い出が多すぎました」
「…裏切られたとは思われないのですか?」
思わぬ問いかけに、レグルスは驚いて顔を上げる。
フェティエはハッとした。それから頭を下げる。
「申し訳ございません」
レグルスは暫くフェティエの顔を見つめ、首を傾けた。
「裏切った…のとは、違うでしょう?」
レグルスは顎に指先を当てる。虚空を見つめ、暫し考え込む。
実際、レグルスは裏方に「裏切られた」とは思っていない。裏切りを感じる程彼らと何かをしたかと言えば、そうでもない。ただ遊んでもらえなかっただけだ。
そもそも、過去においても遊んでもらいはしたが、約束をしてもほとんど守ってもらえなかった。彼らにも役目があったし、予定された休みも状況によって急に消えることが多かった。だから守られずとも仕方ないと、最初から諦めていた。約束通りにいけばいいなと思うことはあっても、果たされると決して信じていなかった。
かなりの間をおいて、レグルスは頷いた。
「裏切られたと思うほど、僕、もともと彼らを信用してませんでした!」
場の空気が固まった。
母が耐え切れずに笑いだす。
「…可哀そうに…ふ、ふふふっ……あんなに深刻そうだったのに」
「奥様…」
レグルスは何故母が笑うのか理解できず、キョトンとしていた。
フェティエの眉間には深い皺が刻まれていた。
「それならば、何故家出なさったのですか……」
「え?だって、偽者にされたんですよ?僕の思い出も記憶も、全部否定したんですよ?信用とか裏切りとか、そんな話じゃないですよね?」
「……申し訳ございません」
フェティエは深々と頭を下げた。
「さて、レグルス様。そろそろ休憩は終わりにいたしましょう」
「うっ…おさらい、大変なのです……」
レグルスはへにょりと眉を下げて、肩を落としつつも椅子から降りた。
何しろ二ヶ月もの不在は、授業を遅れに遅れさせている。誕生日までに何とか形にすべく、礼儀作法をメインに、最低限の知識をぎゅうぎゅうに詰め込まれる予定だ。その前に、今までの授業をどれだけ覚えているかの確認だ。
エミールは若干黒い空気を漂わせながら、にっこりと微笑む。
「レグルス様は優秀でいらっしゃる。今までの授業分はちゃんと覚えていらっしゃるので、問題ありません」
「ホントですか!?」
「ええ。ですが…レグルス様?私は最初に申し上げましたね?書き取りの授業は、レグルス様次第で再開させますと」
「はうっ!」
家出中は字を書く機会がなかったせいか、午前中の授業で書いたメモ書きは酷い有様だった。
今までも、気を抜くと文字が歪んでいた。書かなければ更に下手になる。
レグルスは母と護衛たちの生暖かい視線を背に受けつつ、トボトボと部屋に戻るのだった。
◆◇◆◇◆◇
青年は暗い通路を歩いていた。
灯りは手元の燭台だけ。前を行く文官のローブを羽織った男は、慣れているのか、後ろからの僅かな明かりだけでスタスタと歩く。
どれだけ歩いたのだろう。暗闇の中では、方向は勿論、時間感覚さえ狂う。
前の男が立ち止まった。その先は壁が塞いでいる。男が道を間違えたわけではないだろう。ここが出口なのだ。
思った通り、男が壁を探る。すると壁は微かな音を立て、横にずれた。光が差し込む。
無言のまま男が光の中に消えていく。
青年も後に続いた。外に出た瞬間僅かに目が眩んだが、ほんの一瞬のことだ。冬のリスヴィアでは、それ程強い光は射さない。
それでも足の止まった青年を、男が振り返って待っていた。
彼の後ろには建物がある。石造りの堅牢な建物だ。
「これが離宮?」
「はい。既にお待ちです」
男が歩きだすので、青年もついて行く。
外側は武骨な建物だったが、中は離宮に相応しい華やかさがあった。行き過ぎた輝きはないが、木調に合わせた揃いの家具たちは、どれも細かな細工が施されている。
離宮と言っても、ごく小規模な建物だ。王宮内の片隅にひっそり立つ、王族の隠れ家的場所である。扉を一つ開けただけで、その人物はいた。
男が恭しく一礼をする。
「国王陛下。騎士エイルをお連れいたしました」
「うむ」
青年の全身が強張る。それでも気圧されまいと、己の立場を脳内で言い聞かせる。片膝をつき、騎士の礼の最上級を取る。
国王は膝をついた青年に声をかける。
「よい、面を上げよ。非公式の場である。儀礼は抜きだ」
青年が顔を上げると、国王は口角を吊り上げた。
にやりと笑う王に、戸惑いの隠せない騎士。表情は全く違うのに、顔の造りはよく似ていた。金色の髪と、澄み切った空のような青い瞳も。
「よく来たな、息子よ」
初の父子の対面は、酷い緊張感をもって始まった。




