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7.狂信の吸血鬼

 王都の大通りを、一陣の暴風が駆け抜けていく。


「くそっ……!速すぎるッ!」


 スラムの屋根を蹴り飛びながら、俺は舌打ちをした。


 呪印に支配され、三千の軍勢を単騎で追うレオンの速度は、すでに人間の限界を遥かに超えていた。


 石畳が爆発するように砕け、白銀の残像だけが飛ぶように前進していく。


 あのままバルドの軍勢の最後尾に突っ込めば、いくら最強の騎士といえど、怒涛の槍衾と魔法の集中砲火を浴びて確実にすり潰される。


(どうする……!どうやってあいつを止める!)


 俺の脳内で、思考が猛烈な速度で回転する。


 俺の異能『天秤の制約』には、致命的なルールが存在する。

 ――【一度下した絶対命令は、その完遂まで重複(上書き)できない】。


 現在、俺の能力はバルドに対して『六枢機を蹂躙しろ』という命令で完全にロックされている。つまり、バルドが他の枢機卿を皆殺しにするまで、俺は彼に「レオンを攻撃するな」という新たな命令を追加することができないのだ。


 ならば、レオン本人を操って止めるか?


 ……不可能だ。俺の能力は、対象に『嘘』を吐かせなければ発動しない。騎士の誓いを何よりも重んじ、嘘を吐く機能そのものが欠落している不器用な親友は、俺の能力の対象外なのだから。


 盤面を操るための「知略の糸」が、完全に絡まり合っている。


 能力が使えない。言葉も通じない。


 ならば――残された手段は、たった一つ。


「……シトリー」


 俺は足を止め、隣を並走していた黒い影に向かって冷酷に命じた。


「お前の首輪を外してやる。……制限解除だ」


 ピタリ、と。


 純白のメイド服を翻し、シトリーが俺の眼前に着地した。その血のように赤い瞳が、歓喜で三日月のように細められる。


「レオンの足止めだ。殺すな。だが……両脚をへし折ってでも、あの馬鹿をここに繋ぎ止めろ」


「ふふっ……」


 シトリーが、恍惚とした吐息を漏らした。


「あの白銀の駄犬を助けるために私の力を解放するなんて、ひどく癪ですけれど……。愛するノア様が、私に『全力で壊してこい』と仰るのなら」


 バキバキバキッ!!


 シトリーの細い体が、異様な音を立てた。


 彼女の背中から、漆黒の蝙蝠のような巨大な魔力の翼が弾けるように展開し、周囲の空気が圧倒的な血の匂いと濃密な殺気に染まり上がる。


「御意のままに、私のただ一人の神様♡」


 ドゴォォォォンッ!!


 次の瞬間、シトリーが立っていた地面が粉々に吹き飛び、彼女の姿が音置き去りにして消失した。



 一方、王都の大通り。


 呪印による焼け焦げるような苦痛に脳髄を焼かれながら、レオンはただひたすらに聖剣を握りしめて疾走していた。


標的バルドヲ排除セヨ。六枢機ノ脅威ヲ絶テ』


 呪印による命令が、レオンの意志を完全に押し潰している。


 彼の目から血の涙が溢れ、全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、止まれない。目の前に見える三千の軍勢の最後尾に、このまま単騎で突撃し、命が尽きるまで剣を振るうしかない。


(ノエル……ノア……すまない……!)


 レオンが絶望の中で、無意識に聖剣を振りかぶった、その時だった。


「――どこへ行くおつもりで?この駄犬」


 上空から、真紅の流星が降ってきた。


 ズドォォォォォォンッ!!!


 レオンの数メートル先の石畳に、凄まじい質量を持った「何か」が直撃し、大通りそのものを爆発させたかのように粉砕した。


「な……っ!?」


 巻き上がる粉塵と、砕け散った瓦礫の雨。


 その土煙を巨大な漆黒の翼で払い除け、クレーターの中心から一人の少女がゆっくりと立ち上がった。


「ちぃっ……!」


 レオンは咄嗟に聖剣を交差させ、飛んできた巨大な石の礫を弾き落とす。


「ごきげんよう、王国最強の騎士様。私の神様が、貴方のその無様な両脚を『へし折ってこい』と仰いましてよ」


 純白のメイド服に、返り血のような深紅のリボン。


 シトリーが、唇の端から鋭い牙を覗かせて、肉食獣の笑みを浮かべていた。


「ノアの……メイド……ッ!」


『迎撃セヨ。前進ヲ阻ム者ハ全テ排除セヨ』


 呪印の命令が切り替わる。


 レオンの体が弾かれたように躍り出た。白銀の軌跡を描き、分厚い鉄板すら両断する聖剣のフルスイングが、シトリーの細い首筋へと放たれる。


「遅いですわ」


 ガキィィィンッ!!


 耳を劈く金属音。


 レオンの全力の一撃を、シトリーは『素手』で――血の魔力で硬質化した真紅の爪で、軽々と受け止めていた。


「ば、かな……!?」


「王国最強の剣撃も、吸血鬼の真祖たる私の前では、爪研ぎにもなりませんわね」


 シトリーが妖艶に嗤い、空いている左手を無造作に振るう。


 それだけで、大気が圧縮されたような不可視の斬撃が放たれた。


 ガガガガガンッ!!


「ぐあぁぁっ!?」


 レオンの白銀の鎧がひしゃげ、彼の巨体がボールのように後方へと吹き飛ばされる。周囲の商店の壁を数枚ぶち抜き、瓦礫の中に埋もれてようやくその勢いが止まった。


(……なんて、恐ろしい力だ。ノア、お前はこんな怪物を従えているのか……!)


 レオンは血を吐きながらも、呪いの強制力によって再び立ち上がる。


 両足の骨にヒビが入り、内臓が激しく損傷しているのが分かる。だが、それでも構えを解くことは許されない。


「……はぁ、はぁ……なぜだ……!」


 血まみれの顔を上げ、レオンは信じられないものを見る目でシトリーを睨みつけた。


「なぜ貴様ほどの力を持つ化物が、ノアに従う……!その力があれば、お前が直接六枢機どもを皆殺しにすることだってできるはずだ!」


 その悲痛な問いに、シトリーは優雅に口元を隠し、心底見下したように嗤った。


「……ふふっ、本当に頭の悪い駄犬ですこと。ただ物理的に殺すだけでは、あのゴミ共は教会に『悲劇の殉教者』として神格化されるだけ。ノア様が望んでおられるのは、奴らが不当に築き上げた権威と尊厳を根こそぎ奪い、自らの罪を吐き出させながら絶望の泥水で溺れさせること」


 シトリーの赤い瞳が、熱を帯びて恍惚と細められる。


「それに、ノア様のその冷酷で美しい知略の前では、私の暴力などただのノイズにすぎませんわ。あの方の生み出す絶望の盤面こそが至高の芸術。……ノア様こそが、私のただ一人の神様なのですから♡」


「狂ってやがる……ッ!」


「失礼ですね!私はノア様とのお茶の時間を邪魔されたくありませんの。さっさとその足を折らせて、大人しく転がっていてくださいな」


「……あ、あああああっ!!」


 レオンは獣のような咆哮を上げ、再びシトリーへと突進する。


 王国最強の騎士の誇りと、六枢機の呪印が生み出す限界突破の力。そのすべてを乗せた、渾身の連続剣。


 白銀の閃光と、真紅の爪が空中で幾度も激突し、その余波だけで周囲の建物が次々と倒壊していく。


「ふふっ、あははははっ!良いですわ、良いですわよ駄犬!ほんの少しだけ、準備運動にはなりますわね!」


 だが、絶望的なまでに次元が違った。


 制限を解除されたシトリーは、まるで羽虫をあしらうかのようにレオンの決死の剣をいなし、笑いながら彼の肉体を確実に削っていく。


 ザシュッ!


 ゴキィッ!


「が、はっ……!」


 右肩を爪で抉られ、左膝に強烈な蹴りを叩き込まれたレオンは、ついにバランスを崩し、石畳に無様に這いつくばった。


「チェックメイトですわ」


 シトリーがレオンの背中に冷酷に足を乗せ、彼の両脚の関節を完全に極める。


「……ま、待て……俺は、バルドを……!」


「お黙りなさい。貴方はここで、ノア様に助けられるだけの無力なお姫様でいればいいのです」


 ボキィィィィンッ!!!


 鈍く、おぞましい骨の折れる音が大通りに響き渡った。


「あああああああああっ!!!」


 レオンの悲鳴が上がり、彼の意識がついに呪印の強制力を上回る激痛によって完全に刈り取られた。白眼を剥き、糸が切れた人形のように動かなくなる。


「ふぅ。手こずらせてくれましたわね。……まったく、ノア様も過保護すぎますわ。こんな男、さっさと血を啜って殺してしまえば楽でしたのに」


 シトリーは足元のレオンを見下ろし、つまらなそうにため息をついた。


 だが、その直後。


「ご苦労だったな、シトリー。完璧な仕事だ」


「ノア様……♡」


 遅れて大通りに到着した俺が声をかけると、シトリーは一瞬で殺気立った怪物の顔から、恋する乙女のような満面の笑みへと表情を切り替えた。背中の巨大な翼もスッと消え去り、元の可憐なメイドの姿に戻る。


「ええ、ええ!言い付け通り、命だけは取らずに両脚を綺麗に砕いて差し上げましたわ!これでこの駄犬も、しばらくは大人しくしているでしょう!」


「ああ、助かった。……お前がいなければ、確実に計算が狂うところだった。だが制限解除もそろそろ限界か」


 俺はシトリーの頭を軽く撫でてやると、再度封印をかける。この吸血鬼が全力を発揮出来る時間は限られている。一度制限を解けば数週間は並みの人間と同程度の力になってしまうのだ。この状態で致命傷を負えば恐らくシトリーといえど、ただではすまないだろう。


「出来るだけ、お前の力は解放したくなかったんだがな」


「仕方ありませんわ、何事もイレギュラーは付き物でしてよ、力が戻るまでは守ってくださいな」


「ああ、当然だ。にしても...」


 気絶しているレオンの横にしゃがみ込み、彼の首元で不気味に明滅を続けている『呪印』を見つめた。


「脚を折って無理やり気絶させたが、この呪印のシステム自体が消えたわけじゃない。……元凶である六枢機を消し去らなければ、レオンは一生このままだ」


 俺は立ち上がり、はるか前方に消えていった三千の軍勢と、彼らが向かった『聖導教会本殿』の方角を鋭く睨みつけた。


「さあ、盤面の整理は終わった。……仕上げのチェックメイトを見物に行こうか、シトリー」


 盤上を荒らす最強のレオンは制圧した。


 あとは、俺が操るバルドの軍勢が、残る枢機卿たちをどう蹂躙するかを見届けるだけだ。


 最弱の反逆者の目は、すでに腐りきった権力者たちの悽惨な末路をハッキリと捉えていた。

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