1.土下座から始まるチェックメイト
絢爛豪華なシャンデリアが、欲望と嘘で塗り固められた夜会を照らしている。
王都の中心にそびえる『聖導教会』の大広間。ここでは今宵も、特権階級の貴族たちがグラスを片手に、領民からどれだけ税を搾り取るかの密談に花を咲かせていた。
その中心に座すのは、丸々と太った体に豪奢な法衣を纏った男――バルバロス枢機卿。
国内最高峰の炎属性魔法の使い手にして、逆らう者を異端として次々と火あぶりにしてきた、この国を裏で牛耳る【六枢機】の一人だ。
「……さて、迷える子羊よ。私に直談判とは、よほどの供物を持ってきたのだろうな?」
バルバロスが、豚のような鼻を鳴らして見下ろしてくる。
俺――ノアは、仕立ての悪い商人の服をすり減らすように、大理石の床に深々と額をこすりつけていた。
「は、はい!枢機卿猊下!本日は猊下に、大いなる富をもたらす品をお持ちいたしました……!」
俺の声は、怯えと卑屈さに震えている。
バルバロスの背後には、全身を魔導装甲で固めた屈強な近衛兵が一人、冷ややかにこちらを見下ろしている。俺のような、剣も魔法も一切使えない「無能」など、彼が剣を抜けば一秒で消し炭になる。周囲の貴族たちが、薄汚いネズミを見るような目で俺を嘲笑っていた。
(……よし、完璧な土下座(DOGEZA)だ。大理石が冷たくて額が痛いが、まぁ我慢してやる)
俺は心の中で毒づきながら、震える手で懐から一冊の羊皮紙の束を取り出した。
「こ、この権利書を猊下に献上いたします!実は隣国との国境沿いで、極秘の『魔石鉱脈』を発見いたしまして……ですからどうか、私めを猊下の御用商人としてお取り立てくださいませ……!」
「ほう……?」
バルバロスは羊皮紙を手に取り、パラパラとページをめくる。
その顔に、醜悪な笑みが広がっていくのがわかった。
(……掛かった。チョロい豚だ)
床に額をこすりつけたまま、俺は声を出さずに嗤う。
それは魔石鉱脈の権利書などではない。バルバロスが裏で手を染めている、人身売買と横領の『真の裏帳簿』だ。三年の月日をかけ、泥水をすすりながらかき集めた、奴を破滅させるための絶対的な爆弾。
「……なるほど。これは確かに、素晴らしい“供物”だ」
バルバロスは羊皮紙をパタンと閉じ、見下すような冷たい声を降らせた。
その声色に殺意が混じったのを、俺の耳は聞き逃さなかった。当然だ。自分の致命的な弱みを握っている小悪党など、生かしておくはずがない。
「おい、この者を別室へ案内しろ。……“手厚く”もてなしてやる必要がある」
「あ、ありがとうございます猊下!ああ、これで私の人生も……!」
歓喜の涙を流すふりをしながら、俺は一人の近衛兵に腕を掴まれ、大広間の奥にある豪奢な執務室へと引きずられていった。
分厚い扉の前。俺は目を輝かせる田舎商人を装い、腕を掴む近衛兵にすり寄った。
「素晴らしい調度品ですね……!私も貴方のように、ここで猊下にずっとお仕えすることができるのでしょうか?」
近衛兵は、哀れな豚を見るような目で俺を見下ろし、鼻で笑った。
「ああ、喜べ。お前はこれから『永遠に』ここで猊下にお仕えすることになるさ」
(……どうせこの部屋で俺を始末するつもりなんだろう?分かりやすい三下ムーブで助かるぜ)
俺は心の中で毒づきながら、怯えた商人の演技を続ける。
あとは、奥でふんぞり返っている豚から『決定的な一言』を引き出すだけだ。
◆
バタンッ!
執務室の分厚い防音扉が閉まった瞬間、空気が一変した。
俺の腕を掴んでいた近衛兵が、俺を床に乱暴に蹴り飛ばす。
「ぐはっ……!?」
「静かにしろ、ネズミめ」
遅れて部屋に入ってきたバルバロスが、革張りの椅子に深く腰掛けた。その手には、先ほど俺が渡した『裏帳簿』が握られている。
「猊、下……?い、いったい何の手違いで……手厚くもてなしてくださるのでは……!?」
俺は床を這いずり、バルバロスの足首にすがりついた。
バルバロスは汚物を見るような目で俺を一瞥すると、その顔面を容赦なく蹴り上げた。
ドガッ!!
「がはっ……!」
鼻血が床に散る。痛みにうずくまる俺を見下ろし、バルバロスは喉の奥で嗤った。
「愚かな平民め。このような偽造文書で、この私を脅迫しようなどと……。どこの手の者だ?答えるなら、少しは苦痛を和らげてやろう」
「お、脅迫などと滅相もない!私はただ、猊下のお役に立ちたくて……!」
「口の減らないネズミだ。おい、その腕を切り落とせ」
バルバロスの命令に、背後に控えていた近衛兵が剣を抜く。冷たい刃が、俺の右腕に押し当てられた。
「ひ、ひぃぃっ!お、お待ちください!命だけは……命だけはお助けをぉぉッ!」
俺は無様に涙と鼻水を流し、床に額を何度も叩きつけた。
もっとだ。もっと俺を見下せ。圧倒的な優位に立ち、俺という存在を路傍の石ころ以下だと錯覚しろ。
権力者の最も脆い部分は、その肥大化した『傲慢』だ。
「……チッ、汚らわしい。殺す価値もないクズめ」
バルバロスは忌々しそうに舌打ちをした。その目が、手元の裏帳簿に落ちる。
「だが、この情報は少々厄介だな。……おいネズミ。お前、この『ヴェイン家』の生き残りについて、何か知っているか?」
ヴェイン家。
その言葉が出た瞬間、俺の心臓は氷のように冷たく脈打った。
噂では十年前の『灰の夜』。国境の魔石鉱脈を独占しようと企んだ六枢機の陰謀によって、異端の濡れ衣を着せられ、一族郎党すべてが屋敷ごと火あぶりにされた誇り高き辺境伯爵家。
あくまで噂であり、六枢機はこれを否定した…だがこれは事実だ。
事故に見せかけられ刺殺された父、炎の中で叫びながら焼け死んでいった母と妹。そして、この火事に巻き込まれ、顔の半分に醜い火傷を負ってしまい、今では俺以外には心を開けなくなってしまった許嫁。
俺の、本当の名前。
「ヴェ、ヴェイン家……?ひ、ひぃっ!あ、あの十年前の反逆事件の……!?私はただ、その帳簿を闇市で拾っただけで、噂レベルでしか…詳しい内情までは何も……!」
「ほう?本当に『噂』以上のことは何も知らないのだな?」
バルバロスが、探るような目で俺を見る。
ここで、決定的な罠を仕掛ける。
「ほ、本当です!田舎の商人が裏事情など知る由もありません!ですからどうか……その帳簿はお譲りします!私のことは忘れてください!猊下のように清廉な方が、あの恐ろしい事件の裏側に一切関わっているわけがないと、そう信じておりますから……!?」
俺は、すがるような目でバルバロスを見上げた。
この男の性格なら、絶対に『見栄』を張る。自分を神聖な存在だと信じて疑わないこの豚は、小悪党の前で自分の罪を認めることなど絶対にしない。
バルバロスは、フンと鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「当たり前だ。あの忌まわしい異端者どもは、女神の怒りに触れて自滅したに過ぎん。私のような清廉潔白な神の代行者が、あのような下劣な陰謀に手を染めるわけがなかろう」
――言ったな。
「……本当に、あなたは何の陰謀にも手を染めていないのですね?」
俺の声から、震えが消えた。
バルバロスが、怪訝そうに眉をひそめる。
「くどいぞネズミ。私は女神シエインに誓って、ヴェイン家粛清の陰謀など企ててはいない」
俺はゆっくりと、床から立ち上がった。顔面を覆っていた卑屈な笑みは、すでに欠片も残っていない。
「……なんだ貴様?なぜ私に断りもなく立っている?」
「『私のような清廉潔白な神の代行者が、陰謀に手を染めるわけがなかろう』」
俺は、バルバロスの言葉を冷たく反芻した。
「女神へ誓ったと言ったか?バルバロス・レイ・グーテンベルク」
俺がフルネームを呼んだ瞬間、執務室の空気が、物理的な質量を持って重く沈み込んだ。
「き、貴様……いったい何者だ……!?ええい、衛兵、こいつを――」
「証明しよう」
俺は血に塗れた口元を歪め、指を鳴らした。
パチンッ!
瞬間。バルバロスが握っていた『裏帳簿』の羊皮紙が、眩い光を放ち始めた。
「な、なんだこれは!?」
バルバロスが慌てて帳簿を取り落とす。
床に落ちた羊皮紙から、魔法陣の立体映像が空中に浮かび上がった。そこに映し出されたのは、他でもないバルバロス自身が、暗殺者ギルドの頭目と密会し、ヴェイン家の屋敷に火を放つよう指示を出している『記憶の映像』だった。
「なっ……!?ば、馬鹿な!なぜこんなものが……!」
バルバロスが顔面を蒼白にして後ずさる。
「十年だ」
俺は、床に落ちた血を靴の裏で踏みにじりながら、一歩前へ出た。
「お前が証拠隠滅のために殺した暗殺者の脳髄から、裏社会の魔術師を脅して記憶を抽出する魔法陣を組ませるのに十年かかった。お前が握っていたその帳簿は、俺の『指を鳴らす音』に反応して起動するマジックアイテムだ」
「き、貴様……!?いや...その顔、見覚えがあるぞ!まさか、ノア・ヴェインか……!?生きていたのか、あの時のガキが!」
ブワァァァァッ!!
バルバロスの指先に、極大の炎の魔法陣が展開される。
触れれば一瞬で灰になる、枢機卿クラスの絶大な魔力。
「...俺はあの日、炎の中で母と妹が焼かれる音を聞きながら、一つの契約を交わした。自らの魔力回路をすべて焼き切ることと引き換えに、この絶対的な力を左眼に宿した」
「この狂人が!死ねぇぇッ!!」
バルバロスが極大の炎を放とうとし、背後の近衛兵も剣を振り上げて殺到しようとした、その瞬間。
「今、条件は満たされた」
カチリ。
俺の左眼の奥で、黄金の『天秤』が傾く音がした。
【発動条件クリア】
【対象の『嘘』を検知。絶対命令権を確立します】
異能――『天秤の制約』。
「お前はたった今、俺に対して『決定的な嘘』を吐いたな。『ヴェイン家の粛清など企ててはいない』と。しかもあろうことか、女神に誓ってな。……神への誓いを伴う嘘の『質』と同等の絶対命令権を、俺は世界から強制的に借り受ける」
俺の左瞳が、黄金に輝く天秤の紋章へと変貌する。
「衛兵、お前は俺が殺されることを知っていながら『ああ、喜べ。お前はこれから永遠にここで猊下にお仕えすることになるさ』と言ったな。……自害しろ」
その光を見た瞬間、突進してこようとしていた近衛兵の動きが、まるで時間が停止したかのようにピタリと止まった。
「……承知」
ザシュッ!!
近衛兵の顔から一切の感情が消え失せ、無機質な返答と共に自らの首に剣を突き立てる。大量の鮮血が吹き出し、男は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「なっ……!?」
さらに、バルバロスの指先に灯っていた炎も。
プスリ。
音を立てて消え去る。魔法が使えないのではない。世界そのものが、バルバロスの行動を『禁じた』のだ。
「な、なんだ……!?なぜ魔法が消えた!」
「無駄だ。お前の魔法も権力も、この絶対的な『真実の天秤』の前では紙屑以下。……さあ、一度だけチャンスをやる。天秤の力ではなく、お前自身が話すんだ。...十年前、お前に実行を命じた【六枢機】の残り五人の名前を」
「ひっ……!い、言えない!奴らの名前を出せば、私は教会の呪いで内臓から腐り落ちる!ま、待ってくれ、金か!?地位か!?何でもくれてやる!だから私の命だけは……!」
先ほど俺に見せた命乞いを、そっくりそのまま這いつくばって見せるバルバロス。
俺は、その醜い顔に冷酷な視線を落とし、絶対の命令を下した。
「――最後までどうしようもないな、バルバロス。ノア・ヴェインが命ず、残る五人の名前を血でこの床に書き記せ。その後、拡声魔法で己の罪を王都全域に自白し……お前が母と妹を焼いたのと同じ炎で、自らを灰にしろ」
ギギギ、と。
バルバロスの肉体が操り人形のように立ち上がった。恐怖に引きつっていたはずの顔から感情がスッと消え失せ、ガラス玉のような虚ろな目で俺を見据える。
「……承知いたしました、我が主」
一切の感情を持たない平坦な声。彼は躊躇いもなく自らの指を容赦なく噛みちぎり、無表情のまま床に狂ったように血文字を書き殴り始めた。
絶対の命令にただ従順に従うその無機質な姿を見下ろしながら、羊皮紙に名前を書き写していく。
俺は大きく息を吐き出した。
(……まずは一人。リストは手に入った。残る五人を盤上から消し去るための、これが第一手だ)
だが、復讐のカタルシスに酔いしれる間もなく。
ドゴォォォォンッ!!
背後の分厚い防音扉が、落雷のような轟音とともに吹き飛んだ。
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