2.王国最強
「……そこまでだ、ノア」
粉塵を切り裂いて現れたのは、白銀の鎧を纏った一人の騎士だった。
王国最強の称号を持つ『真実の騎士』――レオン。かつて俺の父の従士であり、俺と兄弟のように育った、ただ一人の幼馴染。
「レオン……。お前が駆けつけるのは分かっていたさ、だが少し遅かったな」
俺が皮肉げに笑いかけると、レオンは自らの首元――そこに刻まれた『絶対隷属の呪印』を苦しげに押さえながら、悲痛な顔を歪めた。
「なぜこんなことをしている!俺が十年前、六枢機に魂を売り渡し、この王国の犬に成り下がる『呪印』を受けたのは……お前だけは辺境で、復讐など忘れて生きていてほしかったからだぞ、ノア!!」
レオンの叫びが、執務室に響く。
そう、枢機卿の行いを間近で見てきたこの男が「法による正義」などを信じているわけがない。誰よりもこの王国を憎んでいるのはレオンだ。だが、彼は俺の命を救うことと引き換えに、王家と六枢機に刃を向ければ全身の血が沸騰して死ぬという、残酷な呪いをその身に受けた。
俺が六枢機に手を出せば、自動的にレオンが俺を殺しにくるように、この盤面は最初から仕組まれているのだ。
「六枢機に危害が加わるような事があれば、いや!お前が動けば……俺の呪印が、お前を殺せと強制してくる。頼む、ノア。今すぐここから逃げてくれ。俺は、俺の手でお前を斬りたくない……!...俺の妹、婚約者のノエルと幸せに暮らしていく道はないのか!?お前が死んだらノエルはどうしたらいい!」
レオンが、血を吐くような声で聖剣を抜いた。
「...そのノエルに火傷を負わせ、心を壊したのは六枢機だ!」
彼の意志とは裏腹に、呪印の力でその腕は一切の淀みなく、俺の首元へと切っ先を向けている。
「っ...それでも!」
(……相変わらず、理不尽なステータスしてやがる。こちとら魔力回路を焼き切ってて魔法が使えない最弱なんだぞ)
俺は内心で冷や汗を拭いながら、親友を見据えた。
そして何より最悪なのは、俺の『天秤の制約』が、この不器用な男には永遠に発動しないということだ。俺の命を守るという誓いのために生きるレオンは、俺に対して決して嘘を吐かない。そして、この天秤の能力はこの能力を意図的に利用しようとする第三者の嘘には発動しない。それはこの能力自体の制約でもある。
従って、レオンにこの能力を伝えて、意図的に嘘をついてもらい、何かしらの効果を得ることは出来ない。
「……相変わらず、不器用で損ばかりする男だなお前は」
「ノア、よせッ!!」
聖剣が俺の心臓めがけて振り上げられる。殺気はない。ただ純粋な、呪いによる『排除』の動き。
「悪いな、レオン。お前と真っ向から付き合う気はないんでね」
俺は指をパチンと鳴らした。
瞬間。先ほどバルバロスが自らの血で床に書き殴った『残り五人のリスト』――その血文字に仕込んでおいた魔力火薬が、起爆した。
ドォォォォンッ!!
目眩ましの煙幕と、赤い炎が執務室を包み込む。
「なっ……!?」
視界を奪われ、レオンの動きが一瞬だけ硬直する。そのコンマ数秒の隙を突き、俺は迷うことなく背後のバルコニーへと身を躍らせた。
眼下は、王都の裏路地へと続く数十メートルの断崖。
常人なら墜落死する高さだが、俺は躊躇なく夜の闇へとダイブした。
「ノアァァッ!!」
背後からレオンの悲痛な叫びが聞こえる。
風が耳元で轟音を立てて通り過ぎる中、俺は虚空に向かって声を張った。
「――受け止めろ、シトリー!」
「はいはい、お待ちしておりましたわ。私の神様♡」
フワリ。
落下地点の闇の中から、巨大な蝙蝠のような漆黒の翼を広げた影が飛び出した。そいつは空中で俺の体を優しく、まるで壊れ物を扱うように抱きとめると、そのまま音もなく路地裏の暗がりへと滑空し、見事に着地した。
「お怪我はありませんか、ノア様?……もし一本でも髪の毛が抜けていたら、今すぐあの教会に引き返して、全員の首を刎ねてまいりますけれど」
俺を抱きかかえたまま、甘ったるく、それでいて常軌を逸した殺気を放つ声。
闇の中で月光に照らされたのは、純白のメイド服に身を包んだ、人形のように美しい少女だった。透き通るような銀髪に、血のように赤い瞳。
彼女の名はシトリー。数年前、俺が裏社会の奴隷市場から『知略』で奪い取った、吸血鬼の生き残りにして、俺に狂信的な愛を捧げる専属メイド兼・暗殺者だ。
「下ろせ、シトリー。怪我はない。……それより、予定より到着が遅かったじゃないか」
俺が足を地につけながら文句を言うと、シトリーは不満げに頬を膨らませた。
「もー!心外ですわ。ノア様の逃走ルートに群がっていた教会のネズミどもを、塵一つ残さず『お掃除』していたのですから。……それにしても」
シトリーは赤い瞳を細め、遥か上空のバルコニーを睨みつけた。
「先ほどの白銀の騎士……レオンとか言いましたか。あのような男がノア様のお命を狙うなど、万死に値します。私が今から行って、あの首輪ごと引きちぎって差し上げましょうか?」
「やめろ。あいつは殺さない」
「……ノア様は、あの男には甘いのですね。嫉妬で胸が張り裂けそうですわ」
シトリーが不貞腐れたように唇を尖らせる。
(……相変わらず物騒なメイドだ。俺の周りには、まともな倫理観を持った奴がいないのか?)
俺は内心でため息をつきつつ、先ほどバルバロスに書かせた羊皮紙を懐から取り出した。
「作戦は成功だ。バルバロスの豚は処理し、残り五人の名前も手に入れた。……これで、連中の急所を一つずつ潰していける」
俺は羊皮紙に書かれた名前のリストを冷ややかに見下ろした。
「レオンの呪縛を解くには、術者であるこいつら六枢機を全員殺すしかない。……俺に呪いを解く魔法は使えないからな。それにそんな甘い呪いをかけるような奴らじゃない。ならば術者そのものを物理的に破壊するまでの話だ」
「ふふっ。ノア様のその冷酷な合理性、たまりませんわ。……それで?次の『ゴミ掃除』のターゲットはどなたになさいますか?」
シトリーが舌なめずりをして問う。
俺はリストの一番上にある名前を指で弾いた。
「『聖信商会』の元締め、マクシム枢機卿。……教会の資金源を一手に担う、強欲な金庫番だ。まずは奴の資金源を枯渇させ、嘘で塗り固められた資産を根こそぎ奪い取ってやる」
俺は夜空に浮かぶ教会の尖塔を睨みつけた。
力のない最弱の復讐者が、絶対的な権力者たちを盤面から引きずり下ろす。
俺の武器は、ただ一つ。相手の傲慢から生まれる『嘘』だけだ。
「さあ、帰るぞシトリー。……次の『交渉』の準備だ」
「御意のままに、我が王♡」
「はぁ、俺は神だったり、王だったりと忙しいな」
「♡~」
シトリーの狂信的な微笑みと共に、俺たちは王都の闇へと姿を消した。
血塗られた反逆のゲームは、まだ始まったばかりだ。
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