60.メイド
僕には、年上の幼馴染がいる。
小さい頃から何かと世話を焼かれ、そのたびに「お姉ちゃん!」と後ろをついて回っていた。当時の僕にとって、彼女は頼れて優しい存在そのものだった。
だが、中学生になった頃から事情は変わる。
いつもそばにいる彼女を少し鬱陶しく感じてしまうようになった。
「ちょっと! ノックくらいしてよ!」
「今さら何言ってるの。昔からこうでしょ?」
そう言って、彼女は悪びれもせず僕の部屋に入ってくる。
両親からの信頼は厚く、いつの間にか合鍵まで持たされていた。階段を駆け上がる足音が聞こえるだけ、まだ良心的と言えるかもしれない。プライバシーという概念は、ほぼ存在しなかった。
だからこそ、僕は県外の大学を選んだ。
初めての一人暮らし。
段ボールに囲まれながら、新生活への期待と少しの不安を胸に、荷ほどきをしていた、その時だった。
ピンポーン。
「……誰だ?」
この部屋に、僕を訪ねてくる知り合いはいないはずだ。
ドアを開けた瞬間、思考が停止した。
そこに立っていたのは――見慣れた顔。
そして、あり得ない格好。
「お世話をしに来ました! ご主人様!」
「なんでメイド服!?」
白と黒のフリルが眩しい。
どう見ても、メイド喫茶で見るやつだ。
「驚いた? 実はね――」
彼女は、こともなげに言った。
僕が引っ越したと知った瞬間、今まで働いていたメイド喫茶を辞め、この街の、しかも僕の家の近くにある店に移ったらしい。
「……はは。夢だよな、これ」
「現実だよ?」
軽く、いや、かなり絶望した。
さらに追い打ちをかけるように、彼女は続ける。
「ご両親にも話したんだけどね。すっごく賛成してくれたよ。初めての一人暮らしで心配だからって」
「裏切られた気分なんだけど……」
そして、極めつけ。
「あ、そういえば、私ここに住むことになったから」
「……は?」
こうして僕は理解した。
今まで“ほぼ無かった”プライバシーは、完全に消滅したのだと。
とはいえ。
洗濯物はいつの間にか片付いているし、食事は栄養バランス完璧。
生活が楽なのは、否定しようがなかった。
「このままだと人間としてダメになる……」
「じゃあ、簡単な家事は自分でやる?」
「お願いします!」
必死に頼み込み、最低限の自立は確保した……つもりだ。
ある日の昼下がり。
僕がソファでスマホを眺めていると、背後で掃除機の音が鳴り始める。
ちらり、と視界に入ったメイド服のスカート。
――短い。
「……あのさ」
「なに?」
「その、目のやり場に困るんだけど……」
一瞬きょとんとした後、彼女はにやりと笑った。
「じゃあ、執事服も持ってるから着替えるね」
そう言ってクローゼットを漁り始めた彼女に、僕は慌てて部屋を出る。
「ちょ、ここで着替えるの!?」
「今さらでしょ?」
数分後。
「着替え終わったよ」
さすがに文句の一つでも言ってやろうと、部屋に入った瞬間――
「……お帰りなさい、旦那様」
低い。落ち着いていて、凛とした声。
さっきまでの、鈴を転がすような声とは別人だった。
心臓が、大きく跳ねてしまう。
「……っ」
俯き、悟られないように小さく呟く。
「……だから苦手なんだよ」
執事服に身を包んだ幼馴染は、楽しそうに微笑んでいた。
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