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『猿飛』で移動した先は、体育館だった。
一階がコートとなっており、二階は観客席のようだ。赤、青、黄と色分けされた観客席の上にはバックなどの荷物が無造作に置かれていた。どうやら、今日、この場所では大会が開催されていたらしい。
コートとコートの間に運ばれた得点板には学校の名前が記載され、その向かいには審判たちが使っていただろう時間表示の機器が置かれていた。
コート上にはバスケットボールが転がり、ベンチには選手たちの水筒やタオルが散らばる。
そして、コートの中。
得点を決めるためのバスケットゴールに――人間が頭から突き刺さっていた。身動きを取れぬようにするためか、手足は千切られ乱雑な止血が施されていた。
生きたまま、遊ばれているのか……。
僅かに残る意識で現れた南部達に助けを求める。
「た、助けてくれぇ」
二つのコートに突き刺さった4人の男女。その中の二人には、首に黒い首輪の跡があった。それは、『回士』と相棒となった『申』の証。
どうやら、彼らが――『申回士』のようだ。
二つのコートの中心。
天井にぶら下がるようにして――『神成』はいた。
「へぇー。新しい人間が来てくれたんだ。ちょうど見てるの飽きたから、良かったよ」
天井の格子から手を放した『神成』は、コートに向かって垂直に落ちる。太い足をクッションのように曲げて着地する。
「これまでと……違う?」
南部は現れた『神成』に戸惑いを浮かべる。
これまで、南部が見た『神成』は、全身が黒の影に覆われたような姿だった。
だが、今、目の前にいる『神成』は違う。
兎のような長い耳と太い足は、生物特有の毛並みがあった。色も艶感も生物そのものだ。
不思議そうに眺める南部にイネが言った。
「知能を持つ『神成』は色付くのよ。ようするに、色があればあるほど強敵ってわけ」
「なるほど……ね」
改めて『神成』に視線を向ける。
身体の三分の一が白。
更には言葉を話すだけの知能もある。
それだけで――強敵だということが南部には理解できた。『申』は知能を捨て、簡単な指示を『回士』から受ける。
だが、目の前の『神成』は、自分の意志で話をしていた。つまり、考える力があるということだ。
「ま、強敵だろうが――俺がやることは変わらないか。イネ……。俺はどうなってもいい。だから、力は出し惜しみするな」
南部が瞼を閉じると全身が白く輝き出す。
「……あなた」
イネが持つ『禱能』を使えば、身体が壊れる。それが分かっているにも関わらず、南部の身体を纏う光は純粋な白い輝きだった。
迷いも邪念もない光。
南部は、自分が壊れてもいいと本気で言っているのだとイネに届いた。
「とにかく、これを!!」
『申』状態になった南部にイネが短剣を投げ渡した。
カランと音を立てて地面に落ちる。
南部は短剣を拾うと同時に、『神成』に向かって飛び掛かった。
「うーん。やっぱり、単純な動きだね」
南部の動きにため息を吐き、『神成』は、太い足を曲げて天井に向かって跳躍をする。南部の頭上を跳び天井の一番高い場所を掴む。
高所から狙うべき獲物を見定めた『神成』は、迷うことなくイネに飛び降りた。
「くっ!! 南部!!」
イネの叫びに応じた南部が、イネにタックルするように腰を掴んだ。間一髪の差でイネが立っていた場所に、『神成』の足が降る。
「へぇ……。これを躱せるって凄いじゃん。あの二人はこれで終わったのに」
「……『回士』を狙ったわけね」
そう。
それこそが『申回士』の弱点だった。身体能力が強化されるのは『申』であり、『回士』は普通の人間と変わらない。
故に司令塔である『回士』を潰せば、『申』も倒せる。人の知能を持つ『神成』ならば、すぐに思い付く対応策だ。
「二人一組じゃないと『神』になれないなんて、馬鹿すぎ。本気で望めばこんな簡単に力が手に入ったのにさ」
『神成』は手に入れた力に酔いしれるように手を広げた。
「僕はレギュラーにもなれないし、背も低くて馬鹿にされてた。でも、この身体ならばどこまでも高く跳べる。身長が高い相手を踏みつぶせる。なんて、快感なんだ!!」
「それがあなたの神にした願いってわけね……」
『神成』の言葉で、イネは彼が大会に参加していた学生だと知った。レギュラーに選ばれなかった少年。彼は自分の弱さを見返すべく祈りを捧げた。
「これで僕は誰にも馬鹿にされない。最強の選手だ!!」
「そう……ね」
選手と呼ぶには人の姿から離れすぎていることに――少年は気付かない。
「ほらほら! 僕の動きを追えるもんなら追ってみなよ! おサルさんには出来ても君には出来ないでしょ?」
強化された身体能力を見せつけるかのように体育館を縦横無尽に跳ねまわる。特出すべきはやはり、色付いた太い足。その脚力は体育館の端から端までを水平に跳ぶほどの力を秘めていた。さながら、狭い部屋に投げ入れられたスーパーボールのようだ。
「ほらほら! どうした!? 指示を出さないと二人とも死んじゃうよ?」
南部は通り過ぎる『神成』に飛び掛かるが、勢いが違う。広げた両手は空を切り、馬鹿にするようにしてその前を通り過ぎていく。
力を手にした余裕から遊んでいるのは明白だ。
「ねぇねぇ。『申回士』には不思議な力があるんでしょ? 早くソレを使わなくてもいいの?」
「……ええ、そうね」
使うことを躊躇う『禱能』。
イネは目を大きく見開き微笑した。
「あなたには使わなくても良さそうで安心したわ」
まだ、私は覚悟が出来ていないから。
そう呟いたイネは、南部に指示を出す。移動させた先は――、
「な、え!?」
『神成』の着地先だった。
壁を水平に跳んだ瞬間を見計らい、着地地点へ、南部を先回りさせたのだ。
それも、移動速度を補うべく一番長い距離の時にだ。
『申』である南部ですら捕えきれなかったのに、何故、『回士』の――ただの人間であるイネが捕らえることが出来るのか。
視力と知力を用いた攻略法に『神成』は驚きの声を上げる。
「馬鹿な!! なんで人間が僕の速度に付いてこれるんだよ!!」
「『申の目』――」
「は?」
「私は生まれながらにして『申』の視力を持ってるのよ。だから、あなたの動きはある程度なら終えるってわけよ」
本来、『申』の状態でしか発動しない目を――イネは持っていた。
「そんな、馬鹿なことが!!」
空中で腕を振り藻掻くが、自分の脚力で生み出した推進力は緩むことはなかった。真っ直ぐに、ただ、真っ直ぐに前に立つ南部に向かっていった。
「俺はこんなところで――!」
ザン。
空中で身動きの取れぬ『神成』と地に足を着けた南部では使える可動域が違っていた。身体を捻った南部はその勢いを利用して短剣を投げ付けた。
短剣は深々と『神成』に突き刺さる。
「私も欲しくてこんな目を手に入れたわけじゃないんだけどね」
イネはそう言いながら片目を閉じる。
意思を消失した『神成』の身体は、勢いのまま壁にぶつかり、だらりとコートに転がる。消えていく『神成』を前に、イネは手を合わせるのだった。