反論1 男女の格差
まず男女格差の場合。
男社会とフェミニズムとの合作で少なくとも女の社会進出と人権は踏みにじられている。のが日本社会である。
男社会に於いては女は使われる道具である。
優良嫁と言う概念を肯定した時点で家庭にとって使われるだけの奴隷でありさえすればいいと言う思考が露顕した。
人の人権が平等であれば優良嫁等という幻想は抱くはずではない。
フェミニズムが害悪である理由は、性犯罪を煽ったからである。
1990年代には少なくとも性犯罪を受けても女は相手がイケメンであれば性的に気持ち良くなると言う運動を行っている。
多分80年代にもやってるだろうが、クズの戯言である。
この発言は男女同権を目指す上で行われた。
先ず、一夫多妻が少なくとも社会的に認められるのであれば一妻多夫も社会的に認められるべきであるとした。
次に男の浮気や不倫が社会的にどうしようも無い事と言う位置付けであるのなら、女の浮気や不倫もどうしようも無い事と社会的に受け止めるべきであるとした。
上の二つが認められなければ、社会的に男女が平等であるとは言えない社会である。
なので、上の二つは認められるべきである。とした。
で、女の人権を踏みにじる悪魔の軍団であるフェミニズムは次の事柄を提唱する。
男の中にある一定の性犯罪に対する肯定がある。それは、中学生男子で有った時に、仮に女に誘拐されて性犯罪を受けたとしても、それが若し美人だった場合、男だったら最初の内はショックだったとしても、回数重ねる内に気持ち良くなる。性行為が待ち遠しくなる。美人だった場合の男の性であると。
それを受けてフェミニズムは、男女同権を掲げ男と同じ事をして、同じ様な事を言って非難される事の無い社会実現の為に、今こそ同じ内容の事柄を言わなければならない。として、
例え性犯罪であっても痴漢やら強姦であっても相手がイケメンなら女は気持ち良くなる。と吹聴し始めた。
この行為の問題点は、世の中には真に受ける馬鹿や生意気だからそんな発言する人に報復として強姦をしてやろうと言う野卑な人間が要ることであるし、女性の中に性犯罪を許容する人がいる印象を与えれば、犯罪者の思考回路は手前勝手に考えることから、女性に対する無差別の性犯罪を煽った形になる。
これは犯罪をする方が悪いとフェミニストは発言する。
つまり、実行犯と被害者という状態のところにフェミニストが指示役・指南役として介入したのである。
これを犯罪者が悪いのだからとフェミニストは相手にはしない。
これが運動の一貫として不問に処されたとしても、事実上の指南・指示役であり、犯罪行為に関与した事実を省みない腐った性根がフェミニストにはあるのである。
また、その発言を小学生の時に聞いて、女性に対する固定観念が形成され、成人以上になった時、何処から聞いたのか、例え忘却していたとしても、潜在意識の中で女性は性暴行を受けても条件次第で気持ち良くなると言う歪んだ知識とナルチシズムが組合わさった時、更に他者の意思を尊重する傾向が無く法順守が意識外、或いは盲点であった場合、性犯罪へと移行する可能性がある。
また、犯罪動機の別のケースとして自身の欲望を満たす為なら、物事をねじ曲げて受け取るケースもある。
その場合鏡でどれだけ不細工に写って見えても、もしかしたら特定の女から見ればイケメンに見えるかもしれない等と妄想に入り、或いは自分の美醜に対する情報の組み込みに対する必要性を一切念頭に上がらず、性暴行を加える人間が出てもおかしくない。
以上の中で、性暴行の標的になるのは性犯罪者の食指を動かくかどうかであり、被害者の意思など関係がない。
性犯罪を女性が条件次第で許容するような印象操作を行った事実は、女性への弾圧以外のものでなくそれを素知らぬ不利をして、まるでフェミニズムが女の人権を確立させるかの様な印象操作は、確実に政治の道具として使い捨てる意思のみであり、将来に渡って使い捨てを行わない保証など無いし、2010年代もセクシャルハラスメントを擁護した亦は、傍観した事実がある。
それは財務省高官が朝日テレビの女性記者へセクシャルハラスメントを行い、それを受けてテレビ朝日が告発をするな! と女性記者へ圧力をかけたのである。
女性の記者は上司へ不振を抱いて、雑誌社へと被害実態を訴えたらしい。
その後、雑誌が財務省高官の不祥事は事実か? と言う追求をした。
女性への人権を擁護する世論や個人的に動くフェミニストは安倍晋三の権力で財務省高官を被害者不明で解雇するように要求をだし、日本テレビ・フジテレビ・ TBS・テレビ朝日がこの件に限らず自社の女性記者に対する権力者への性の提供と情報の提供と言う交換関係を築いてきたのを認めた。
つまり、マスコミは事実上のセックス・スレイバシステムをマスコミの意思をもって構築してきたと認めた。NHKはどうだったか知らない。
そのシステムに代々権力者への提供と情報と言う対価を得てきたが、そのシステムに従わないからと女性記者を弾圧したのだ。
そもそも、テレビ朝日は雪印乳業が1990~2000年代の間に不祥事を起こした時に、告発をした加害者も(会社での風当たり上従わざるを得なかった。)同列に司法が罰を与えた事に対して、告発者は保護するべきである。彼の様な人間を罰っする等、罪を明らかにしていく様な社会の構築の為には告発をした加害者〔モノにもよるが〕への減罰や不問こそあるべきだ! と伝えてきた。
それが自社の不祥事に於いて(財務省高官と阿吽の呼吸で女性記者へ口止めをしていた。女性記者への口止めが慣例化しているから。)女性記者に雑誌社へセクシャルハラスメント被害を受けたことを話したことを厳しく糾弾した。つまりは、内部告発を非難し、女性記者は、悪い人間であると社内へのアピールに使った。のだ。
結局のところテレビ朝日を始め、フジテレビ・日本テレビ・TBSは何の反省もせずに財務省高官を蜥蜴の尻尾切りで退職へと追い込んだ。
明らかにテレビ局の腐敗取材が温存された形となった。
マスコミは昔から、不祥事を起こした市長の車に対し、突撃特攻を記者へ指示している前科がある。
テレビ的な絵になるから、取材記者は死なない程度に市長の車に轢かれてこい! と公然と言ってきた。それが、女性記者に対しては、色で情報を取ってこい! と指示をしていたのであり、それが時代だと言い訳しながら、労働者を奴隷とする慣習が永遠と引き継がれてきたのである。
そしてこの、事実上のセックススレイバシステムの維持を煽動報道をしつつ、まるで財務省高官だけを潰せば終わりであるかの様に印象操作をして、セックススレイバシステムの補完をテレビ朝日・日本テレビ・フジテレビ・TBSは完遂したのである。
そこにフェミニズムはどの様に関与したのか。
この一連の蜥蜴の尻尾切りに於いて、女性記者の立場が悪くなるのだと、マスコミの立場が悪くなるのだといった。
それは若しこれが全体へのセックススレイバシステムの利用停止となると、取材先の人達に、「セクハラしちゃいけなくなったんだよね」と、聞かれるから。と言うものだった。
これをまるで正しいかの様に吹聴したのである。
では、昔、穢多・非人制度によって差別されていた人達がいて、その運動が全国に広まった時、
「これからは被差別部落の人を差別しちゃいけなくなったんでしょ」と言った人々を左翼は何て言ったのか。
「そんなのは当たり前だ! 人を侮蔑するなんて有り得ない。もし、差別をしたいのにしてはいけない世の中になっちゃったんだねぇ~♪と差別社会を惜しんでいるのであれば、それはその発言者の心根が腐っているからであり、その腐りきった性根を直せ! 若しそんな理由で同調するものがいるならソイツも差別主義者なのだから主体的に差別発言しているヤツとソウヨソウヨ軍団も諸とも差別主義者として糺弾すればいい!」
と言っていた。
つまりは、左翼の中では、『これからはセクハラしちゃいけない世の中になっちゃったんだねぇ~♪』と言う奴も、そういう発言をする奴が出るから止めとこうと言う事無かれ主義者も、全て女性蔑視主義者でしか無いのである。
にも関わらず、『セクハラしちゃいけない世の中になっちゃったんだねぇ~♪』と方々で言われちゃうからとマスコミがフェミニズムが、世間の《報道機関事、内の抑圧者事セックススレイバシステム等叩き潰せ!》と言う世論の欲求を潰したのは、明らかに女性蔑視運動の手先としてメディアと言う大企業に屈服したからである。
今や日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日・TBSは何の反省もなく女性労働者を抑圧する女性弾圧体制を堅固なものにしたのである。
『行き過ぎた自己責任論による(セクハラを自身の許容の範疇に抑える事が女性記者としての手腕だ! それが出来ないのは使えないからだ! 貴女が悪い! と言って労働者を攻めるのが、メディア業界の常識となっている)格差社会への反撃としての無差別殺人は肯定されるべき』と言う発想は、明らかに抑圧体制の犬として貢献しようと言うのがみえみえである。
男女格差社会を理由に無差別殺人を肯定されるべきであると言う考えは代償行動の肯定であり、且つ性犯罪を煽った体制への貢献であると言える。
体制を叩き潰さない限り、彼女彼たちは反省などしない。
張本人に報復しろを否定する思考を持つのは、その人が抑圧体制の犬だからである。




