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第9話 「点と線のあいだ」

第9話です。


奇跡の共演のあと、

静かに離れた夜のつづき。


今回は、エリーの側から。


音が残ったままの朝を、

少しだけ、覗いていただけたら嬉しいです。


エリーは、冷静だった。


そう自分に言い聞かせるように、

テーブルの上のスマートフォンを手に取る。

アップされた動画を、ひとつ残らず再生していく。


もう一度、あの音を聴きたかった。

そして――

あの青年が、本当にそこにいるのか、確かめたかった。


鍵盤の上を滑る、白くしなやかな指。

無駄のない手首の角度。

呼吸と音が、寸分違わず重なる瞬間。


視線が、ふと右手に止まる。


薬指の横。

小さな、ほくろ。


「……」


息が、浅くなる。


目を逸らした先。

花瓶の中の白いチューリップ。

あの日、彼が何も言わずに置いていった花束。

まだ、やわらかく開いている。

胸の奥で、何かが静かに噛み合う。

偶然だと思っていた点が、

ゆっくりと線になる。


エリーはスマートフォンを持ち直す。

メンバーとのトーク画面。


「前に言ってた、あのピアニストのチャンネル、教えてくれる?」


数秒後、通知音。

表示された名前。


sugar


「……sugar?」


LIVEのアーカイブを再生する。

今度は、音を聴くのではなく、

その人間を見つめるように。


鍵盤の上で踊る指。

静かに揺れる長い睫毛。

そして、やはりそこにある、あのほくろ。


「……すい


名前が、自然にこぼれる。

間違いではない、とどこかで分かってしまう。


一曲、また一曲。

優しい音。

透明な旋律。

赦すように、ほどいていく響き。


エリーは目を閉じる。

これまで、自分は“愛の音”を作ってきた。

足りないものなどないと、思っていた。


けれど――


胸の奥が、わずかに軋む。


「……出たい」


その呟きは、部屋の空気に溶ける。


気づけば、朝方だった。

眠れないまま、スマートフォンを手に取る。


DMの画面。


”君のせいで眠れない”


短い一文。

あまりにも、正直すぎる。

送信ボタンの上で、指が止まる。


まだ、違う。

画面を伏せる。


代わりに、ギターを手に取る。


昨日、公園で生まれた旋律。

月の下で、重なった音。

指先を置き、弦を鳴らす。

同じはずの旋律が、どこか落ち着かない。

無意識に、力が入る。


――ぱちん。


乾いた音。

六弦が、切れていた。


エリーは、しばらく動かない。

こんなに強く弾いたつもりはなかった。

指先に残る、細い震え。

焦っているのか。

追いつきたいのか。

それとも、自分の殻を破りたいのか。

答えは出ない。


切れた弦を外さず、

そのまま、もう一度、鳴らす。

不完全な和音。

少し濁った音が、部屋に広がる。


それでも――

確かに、鳴っている。


眠れない夜の、その先へ。


——つづく


読んでくださって、ありがとうございます。


9話は、ほとんど何も起きていません。

けれど、エリーの中では、確実に何かが動きました。


彼はずっと、“愛の音を作れる側”にいました。

与える側で、満たす側で、余裕のある大人でいることに慣れていた人です。


でも翠の音は、

与えられる音ではなく、

揺らされる音でした。


弦が切れたのは、怒りでも絶望でもなく、

ほんのわずかな焦りと、

初めて自分の殻が軋んだ瞬間。


まだ恋とは言いません。

けれど、もう何も変わらない、という状態ではなくなりました。


静かな回でしたが、

ここから距離は、少しずつ形を変えていきます。


次話も、ゆっくりお付き合いいただけたら嬉しいです。

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