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第6話 「満月が導く」

今夜は、

理由のないまま歩いてしまう夜です。


分かっていることは、ほとんどありません。

それでも、行き先だけは、なぜか分かってしまう。


そんな感覚を、

満月の夜に重ねました。


静かな一話です。


二月の東京。


冬の冷えた空気は澄みきっていて、夜空の色は深く、黒い。

その中央に、輪郭のはっきりした満月が浮かんでいた。

白く、冴えた光。

音が、遠くなる。

街は眠っていないはずなのに、この夜には、ひとつの余白があった。


——音が、生まれる前の。


すいは、夜の歩道をゆっくりと歩いていた。

耳に届く都会の音は、決して少なくない。

車の走行音、遠くの話し声、靴底が地面を打つ乾いた音。

けれど彼は、それらをそのまま「雑音」として聞かない。

一つ一つが、内側でほどける。

気づけば、流れになっている。

それは癖というより、呼吸に近い感覚だった。

けれど今夜は、どうしても残る音がある。

シュガーの、短い「ミャ」という鳴き声。

旋律ではない。

リズムですらない。

それなのに、その音だけが胸の奥に引っかかって、離れなかった。

まるで、何かが――自分の中に入ってくる前触れのような感覚。


翠は足取りを緩め、ふと立ち止まる。

顔を上げると、満月が視界いっぱいに広がった。

思ったより、近い。

理由は分からない。

ただ、行く先だけが分かる。

彼はそのまま、公園の方へ歩き出した。

同じ頃。

エリーもまた、夜の東京を歩いていた。


「……公園は、確かホテルの方だったよな」


独り言のように呟きながら、道を確かめる。

細い道、広い道。

夜中だというのに、車も人も途切れない。

明かりが消えない街。

視界の端に、東京タワーの赤が入る。

それだけで、胸の奥がざわついた。


——おれは、黒が好き。

——暗闇が好き。


そう思い込むように、頭の中で言葉を並べる。

明るい場所は、落ち着かない。

暗闇の方が、まだ、ましだ。


だから黒を着る。

だから、強く見せる。

どうでもいいことを考えていないと、

何かが、ずれてしまいそうで、落ち着かない。


けれど。あの音を聴いてから、

思考が、奥へ奥へと引きずられていた。


触れないようにしてきた場所。

自分でも見ないふりをしてきた、本性の奥へ。


そうして、エリーは公園に着く。

街の喧騒から切り離されたような、夜の静けさ。

月明かりが、地面に淡い影を落としている。


そのときだった。

公園の反対側に、白い影が見えた。

白い、ボリュームのあるアウター。

華奢で、儚げで、

それなのに、やけに整った雰囲気の青年。


視線が、合う。


一瞬で分かる。


——あいつだ。


——つづく




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第6話では、

「選んだ」のではなく、

「導かれてしまった」夜を描きました。


言葉は、まだ追いついていません。

音も、感情も、その前にあります。


次のお話で、

その距離がどう変わるのか、

見届けていただけたら嬉しいです。

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