表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/66

第1話 パリの朝

舞台はパリ。

サンジェルマン・デ・プレの小さなアパルトマン。


まだ街が完全には目覚めていない朝、

コーヒーの香りとともに、

ふたりの静かな一日が始まります。


朝の光が、キッチンの床に落ちている。


パリ——

サンジェルマン・デ・プレの古いアパルトマン。

街はまだ、完全には目覚めていない。


すいは小さなミルを回していた。


コリ、コリ。


エリーのキッチンにあった、細身の金属のミル。

見た目は静かなのに、回すと少しだけ原始的な音がする。


挽いた粉をドリッパーに入れ、

ゆっくりお湯を落とす。


白い湯気が立ち、

コーヒーの香りが広がる。


翠はカップを持ち上げ、一口飲む。

そして、少し考える。


「……違う」


またミルを回す。


コリ、コリ。


もう一杯淹れる。


飲む。


まだ違う。


気がつくと、カウンターにはカップが並んでいた。


三つ。

四つ。

五つ。


そして六つ。


翠は最後のカップを持ち上げる。


そのとき。


背中から、そっと腕が回る。

静かに、抱きしめられる。


耳元で。


「おはよう」


翠は小さく笑う。


「おはよう」


エリーはそのまま翠の肩に顎を乗せ、

カウンターに並んだカップを見た。


少し間。


「……朝から、何人来るの?」


翠は困った顔をする。


「ごめん」


「初めてのミルだったから、調整してた」


エリーは小さく笑い、腕をほどく。

カップを一つ取って、一口。


次のカップ。

また一口。


三つ目。


少し考える。


四つ目。


そして最後。


翠が持っているカップを取り、一口飲む。


少し沈黙。


エリーはうなずく。


「やっぱり、これだな」


翠が少しほっとする。


エリーは首を傾ける。


「……いや」


小さく笑う。


「これだ」


翠の唇に軽くキスをする。


コーヒーの香りの奥に、

昨夜のエリーの温度が、ふっとよみがえる。


翠は一瞬だけ、息を止めた。


そのとき。


テーブルの上でスマートフォンが震える。


エリーが眉をしかめる。


「朝から誰だろ」


画面を見る。


エージェント。


通話に出る。


窓の方へ歩きながら、フランス語で話す。

軽い声。


途中で少し変わる。


「……レマン湖?」


翠はカウンターにもたれ、

その様子を見ている。


通話が終わる。


エリーが戻る。


少し笑っている。


「音楽祭」


「レマン湖だって」


翠は少し驚く。


「レマン湖?」


エリーは肩をすくめる。


「呼ばれた」


短い沈黙。


エリーが言う。


「行く?」


翠は窓の外を見る。


朝のパリ。

湯気の残るコーヒー。


鳥の囀り。

遠くで鳴る、教会の鐘。


それから少し笑う。


「考えとく。」


翠はピアノへ向かう。


エリーはギターを手に取り、

低いコードをひとつ鳴らす。


翠はそれに応える。


朝の光の中で、

二人の音がゆっくり重なっていく。


窓の外で

パリの街が少しずつ動き始めていた。


それでも音はまだ、

部屋の中で静かに揺れている。


——つづく


ここまで読んでくださってありがとうございます。


まだ何も決まっていない朝。

けれど、この小さな会話が、

ふたりの次の扉を少しだけ開きます。


次回から、物語はゆっくり動き始めます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ