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第11話 「眠れない人のための子守唄」

第11話です。


眠れない、という言葉は、

誰かに向けたもののはずなのに、

気づけば自分の胸に返ってくることがあります。


今夜は、五分だけの子守唄。


静かな夜に、そっと置く回です。


配信を終えると、

すいはいつものようにスマートフォンを伏せた。


反響は、追わない。

数字も、言葉も。


音が鳴り終わったあとに残るのは、

静けさだけでいい。


それに今日は――

ルルがいる。



朝からふたりで出かけた。

マジネコのショップに寄り、

ルルはシュガーちゃんの新しいキーホルダーを選んだ。


「お兄ちゃん、これも!」


「……それ、三つ目じゃない?」


「でも、表情ちがう!」


譲らない目をしている。

翠は小さく息を吐き、結局すべてレジへ持っていった。


昼下がり。

街の奥の、静かなカフェ。


窓際に差すやわらかな光の中で、

アフタヌーンティーを囲む。

ルルはケーキを前に、

満ち足りた顔で足を揺らしている。


「ねえ、お兄ちゃん」


「ん?」


「昨日の配信、どうだったかな」


そう言いながら、スマートフォンを取り出す。


「聴きたい人、いっぱいいるみたい」


イヤフォンをつけ、

ケーキをひとくち。

画面を見つめて、ふふ、と笑う。


翠は紅茶に口をつける。

気にしていないふりを、少しだけする。


「ねえ、お兄ちゃん。すごいね」


ルルが、画面をこちらへ向ける。

短い一文。


”À cause de toi, je ne dors pas.(君のせいで眠れない)”


一瞬、

音が遠のく。


「これ、私にだよね。ふふ」


ルルは楽しそうに言う。


「眠れないくらい、よかったってことだよね」


翠は、すぐに返せなかった。

フランス語。

視界の奥で、

青い瞳と、夜の公園が揺れる。


……違う。


そう思いながら、

胸のどこかが、わずかに熱を帯びる。


「……たまたまだよ」


ルルは首をかしげ、

また画面へ戻る。


「じゃあさ」


ケーキを食べ終えながら、

無邪気に言う。


「その人のために、今日は子守唄、配信しよ?」


「……子守唄?」


「うん。眠れない人に」


くす、と笑う。


「私も吹く。ちゃんと眠れるやつ」


翠は、少しだけ目を伏せる。


(眠れない人)


誰の顔も、浮かべないようにして。


「……五分だけなら」


「やった!」



夜。

部屋の灯りを落とし、

小さなランプだけをともす。


ルルはパジャマのまま、フルートを構える。

翠は、静かにピアノの前へ。


子守唄。


特別な曲じゃない。

技巧もいらない。

眠りへ向かって、

音をひとつずつ置いていくだけ。

指が、そっと鍵盤に触れる。


――あの夜。


彼が弾いた、最初の和音。


ためらいなく、

同じ高さをそっと重ねる。

ルルが呼吸を合わせる。

祈るみたいに、やわらかな息を音にする。


フルートは、

夜の空気へ溶けていく。


五分。

それだけのLIVE。


コメントの流れを、翠は見なかった。

配信を終えると、

ルルは満足そうに笑い、

そのままベッドへ潜り込む。

シュガーが当然のように隣で丸くなる。


「おやすみ、おにいちゃん」


「おやすみ」


灯りを消す。


……静かだ。


翠は何気なく、スマートフォンを手に取る。

通知はない。

画面を閉じ、

少しして、また開く。


……何もない。


それでも、

同じ動作を、何度も繰り返していた。

まだ、確かめてもいないのに。

ルルとシュガーの寝息を聞きながら、

ベッドの端に腰を下ろす。


胸の奥が、

小さく波立っている。

理由は、まだ言葉にならない。

そのざわめきを抱えたまま、

翠はいつの間にか眠りに落ちていた。


返事のない夜が、

静かに伸びている。


——つづく


読んでくださって、ありがとうございます。


「君のせいで眠れない」という一文。


軽い冗談のようにも、

まっすぐな告白のようにも聞こえる言葉ですが、

本当に揺れているのは、

それを受け取った側なのかもしれません。


眠らせるための音を置きながら、

自分の胸がざわついていることに気づく。


翠はまだ、自分の中の変化に

名前をつけていません。


でも、確実に何かが動き始めています。


次回も、静かに続きます。

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